嘘つきと疫病神

 耳元で布の擦れ合う音が鳴る。洸希の目の色が変わり、仁武の背後を見つめる彼の目に恐怖の色が滲んだ。
 ゆっくりと仁武は振り返る。そこに誰がいるのか、大方予想できつつも今は勘違いであってほしかった。

「……もう、知られちゃったんだね」

 たった一言で辺りの空気を変える。幼さなど感じさせない凛と澄んだ声。
 目と目が合い、恐怖すら感じる空気が辺りを包み始める。薄暗い店内では、目の前にいる人物の顔色を伺うことすらままならない。

「駄目でしょう。ここまで隠してきたんだから」
「悪い、なんて思わねえからな。俺はあくまでも協力しただけ、加害者として扱われたくはねえな」
「お、おい、どういうことだ。どうして蕗が……。協力したって……」

 洸希の方へと顔を向けようとした時、蕗の手によって無理矢理視線を動かされる。
 鼻と鼻が当たるくらいまで近づけられた彼女の表情は、何処か楽しげに笑っていた。自分が守りたいと思った笑顔とは違う、悪巧みをする絵本の中の悪役のような顔だ。
 
 こんなの、蕗じゃない。

 唇に当てられた人差し指が微かに震えていようと、彼女の表情は変わらない。

「仁武は知らなくていい。もう終わったことだから、ね」

 ふうわりと微笑む彼女は仁武の傍を離れようと動き出す。背後で洸希が立ち上がる音が聞こえた。
 隠されている。自分だけが違う世界にいるようで、二人の間にいようと自分は部外者であるのだと言われている気がした。
 それでも噂の件に仁武が部外者でいられるわけではない。長年の悩みが、謎が二人は知っていると分かったのだ。
 ここで逃げられるほど浅はかな覚悟でこの町に帰ってきたわけではない。

「待て」

 店の奥へと戻ろうとしていた蕗の腕を掴み呼び止める。決して優しくはなく、痛くない程度とはいえ力を込めて掴んだからか、振り返った蕗の表情は驚きに満ちていた。
 その反面、仁武の表情は微かな悲しみと怒りが滲む。全てを隠されていたこと、ここまで悩ませておいてまだ先延ばしにされようとしている事実が腹立たしいのだ。

「俺は知らなくていい、だって? 違うな。俺は知らないといけない。疫病神の噂の根源と、お前ら二人の関係。全部、俺には知る権利がある」

 振り返って仁武を見つめる蕗の表情に色はない。いたずらが失敗した子供のように悔しがってくれれば、こんなにも罪悪感を感じることはなかったかもしれない。
 しかしこうでもしないと、彼女はまた問題を先延ばしにする。約束したのだ、あの丘の上でずっと傍にいると。その約束を守るためにこの町に戻ってきたのだから。
だから、たとえ今ある関係が壊れようと、自分は蕗の傍に居続ける。誰にだって秘密の一つや二つあることは理解している。けれど互いに共通した問題を抱えているのなら、等しく知っておかなければならないはずだ。

「だ、そうだぜ。俺はもう協力してやらねえからな。隠すも明かすもお前の勝手だ」
「約束と違う」
「あ? なんか約束したか?」
「何があっても、私のことは仁武には話さない。噂のことも真実も秘密にするって、言ったのに」

 蕗の今にも泣き出しそうな目を向けられようと、洸希は気にした素振りを見せず二人に背を向ける。
 乱暴に店の扉を開けた洸希は、振り返ることなく蕗へと吐き捨てる。

「最後まで隠し通せる嘘なんてねえんだよ。一度吐いた嘘は二度と取り消せねえし、一生を共にしないといけなくなる。その覚悟がないなら、約束なんて言う曖昧なものに縋るくらいなら、嘘なんか吐くんじゃねえ」

 扉の向こうへと消えていく背中を見つめる蕗の目に、光がないのは照明がついていないせいだからなのだろうか。