嘘つきと疫病神


「俺じゃない。噂を流したのは、俺じゃないんだ」
「……は?」

 静かな店内に二人きりの時間が流れる。張り詰めた空気が二人の間を満たし、頬を冷たい汗が伝うのを感じた。
 視線を落とした洸希の目に悲しみの色が滲んでいることなど、仁武が気づくはずもない。それでも周りから浮いて見える洸希の横顔から目が離せなかった。
 蕗は何処に行ってしまったのだろう。鏡子や紬達従業員が店の奥にいるはずなのに、話し声は愚か人の気配すら感じない。
 この店にいるのは、仁武と洸希の二人だけだと錯覚してしまいそうだ。もしかしたら、始めから自分達以外に誰もいなかったのに、いると錯覚していたのだろうか。そう感じるほどに、二人の間に流れる沈黙は耐え難いものであった。

「いや、言い方が悪いな。噂を広めたのは俺だ。でも、俺に噂の元になる話を持ち込んだ奴がいた」
「誰がそんなことを……。お前の取り巻きの中にそんな奴がいたのか?」

 沈黙を打ち破ったのは洸希であった。変わらず視線は落としたままで、ゆっくりと開かれる口から零れ落ちた言葉が仁武の脳裏に鋭く焼き付く。
 見た目こそ変われど、目の前にいる洸希は仁武を虐めていた張本人。彼の周りにはいつも似通った数名の取り巻きがいた。
 彼の言う通り噂の根源となる話を持ち込んだ者がいるのならば、仁武のようにその取り巻きの中の誰かだと考えるのが普通だろう。

「違う」

 けれど、そんな仁武の予想はいとも簡単に弾き落とされる。
 仁武の予想でしかない発言に、洸希は閉じていた目を開けるとぼんやりと机の木目を見つめた。昔とは似ても似つかない儚い佇まいに、仁武はいつの間にか逃げ場を失っていた。

「彼奴等の中に噂の話を知っている奴はいなかった」
「じゃあ、誰が」
「そいつのことは、俺よりもお前の方がよく知っているんじゃないか?」

 一つ瞬きをすると、洸希の鋭い視線が貫いた。何も映さず、何も見ることができない濁った瞳は、仁武の心の奥底を見透かそうと睨めつけてくるのだ。
 やはりこんな相手など信用するんじゃなかった。
 今更したところで無駄な後悔を感じ始めた頃、洸希の言葉の意味を理解してしまった。

「……そういうことか」

 もはや声とも言えない声に洸希は満足げに口角を上げる。その仕草に嵌められたと、仁武はがっくりと肩を落とした。
 話を聞いていると、仁武がよく知っているらしい相手は、洸希に噂を流すよう仕向けたようではないか。
 その人物が誰であるのか分からないほど仁武も馬鹿ではない。今でこそ収まったとはいえ、一度はこの町を恐怖に陥れた噂。その根源となる人物は。

「蕗、なんだな」