平静を装った口調をしていながらも、彼の体温は上がるばかりである。緊張と戸惑いから、きっと顔を真っ赤に染めているに違いない。
不器用な彼が、こうして余裕ぶった仕草を取るなど想像できないのだ。
「忘れるわけがないでしょう。忘れられるわけがない……」
彼の胸元に顔を埋めながら、聞こえるか聞こえないかの声量で呟く。
自分はこんなにも拗らせるような性格をしていただろうか。もっとさっぱりとしていて、すぐに割り切ってしまうくらいの余裕があったはずなのに。
今では自分の熱い頬を押し当てながら、必死にその表情を隠しているのだ。
これを成長と言ってしまっていいのだろうか。長い時間離れ離れになって、彼に対する想いを拗らせただけなのではないだろうか。
しかし、そんなことはもうどうだっていい。今は目の前にある幸せを噛み締めていたい。
「ねえ、いきなりどうしたの? 手紙もこうして店に来るのも、どうして今だったの?」
今更帰ってきやがって、なんて言うつもりなどない。ただ、十年間も離れ離れであったのに、今になって手紙を寄越した理由が分からないのだ。
手紙を寄越すだけならば、今までに機会はいくらでもあったはずだ。
「あー、それは。今になってやっと自由に動けるようになったからさ。これまでは親の目が厳しくて家を出るのもやっとだったんだけど、俺だって大人になったから自分のことは自分でできるようになったんだよ。独り立ちして家を出たのが最近のことだから、今になっちゃったんだ」
顔を上げると、随分とぎこちなく笑う顔があった。何かを誤魔化しているのか、何か知られたくないことがあるようである。
「そう、だったんだ」
「……もうこんな時間だ。店仕舞いがあるだろうし、あんまり長居するのは悪いな。そろそろ帰るよ」
また、何かを誤魔化した。店仕舞いを理由に上手く帰ろうとしているのだろう。
何のためにそうするのか理解できたものではないが、隠し事の一つや二つ彼にもある。
追求すること無く一歩退けば、外から差し込む夕焼けを背にして立つ姿が目に映る。やけに自然な微笑みが優しく見下ろしていた。
「また来るよ」
名残惜しくも明るい笑顔でそう言い残すと、背を向けて店を出ていく。
扉が閉じる瞬間まで彼がいた場所を眺めていると、不意に背後から黄色い声が聞こえてきた。
「甘酸っぱいわねー」
「揶揄わないでください」
「あの蕗ちゃんが隠そうともしないなんて。本当に嬉しいのね」
厨房の壁にもたれて腕を組んだ鏡子がニヤニヤと笑いながら見ている。
彼女から向けられる視線を受けながら振り返れば、片付けを終えた紬と友里恵も便乗して店の奥から笑顔を向けていた。
「……片付けに行ってきます」
逃げるように外に出ると、すっかり辺りは橙色に染まっていた。仁武の姿も当然見当たらない。
暖簾を外し落とさないようにしっかりと握ると、小刻みに手が震えていた。緊張からか、喜びからか。
「また来る、か……」
彼がこの町にいることが分かった。そしてまた店に来ることも。
この手の震えは喜びによるものだと自分に言い聞かせて、蕗は店の中に戻っていった。
不器用な彼が、こうして余裕ぶった仕草を取るなど想像できないのだ。
「忘れるわけがないでしょう。忘れられるわけがない……」
彼の胸元に顔を埋めながら、聞こえるか聞こえないかの声量で呟く。
自分はこんなにも拗らせるような性格をしていただろうか。もっとさっぱりとしていて、すぐに割り切ってしまうくらいの余裕があったはずなのに。
今では自分の熱い頬を押し当てながら、必死にその表情を隠しているのだ。
これを成長と言ってしまっていいのだろうか。長い時間離れ離れになって、彼に対する想いを拗らせただけなのではないだろうか。
しかし、そんなことはもうどうだっていい。今は目の前にある幸せを噛み締めていたい。
「ねえ、いきなりどうしたの? 手紙もこうして店に来るのも、どうして今だったの?」
今更帰ってきやがって、なんて言うつもりなどない。ただ、十年間も離れ離れであったのに、今になって手紙を寄越した理由が分からないのだ。
手紙を寄越すだけならば、今までに機会はいくらでもあったはずだ。
「あー、それは。今になってやっと自由に動けるようになったからさ。これまでは親の目が厳しくて家を出るのもやっとだったんだけど、俺だって大人になったから自分のことは自分でできるようになったんだよ。独り立ちして家を出たのが最近のことだから、今になっちゃったんだ」
顔を上げると、随分とぎこちなく笑う顔があった。何かを誤魔化しているのか、何か知られたくないことがあるようである。
「そう、だったんだ」
「……もうこんな時間だ。店仕舞いがあるだろうし、あんまり長居するのは悪いな。そろそろ帰るよ」
また、何かを誤魔化した。店仕舞いを理由に上手く帰ろうとしているのだろう。
何のためにそうするのか理解できたものではないが、隠し事の一つや二つ彼にもある。
追求すること無く一歩退けば、外から差し込む夕焼けを背にして立つ姿が目に映る。やけに自然な微笑みが優しく見下ろしていた。
「また来るよ」
名残惜しくも明るい笑顔でそう言い残すと、背を向けて店を出ていく。
扉が閉じる瞬間まで彼がいた場所を眺めていると、不意に背後から黄色い声が聞こえてきた。
「甘酸っぱいわねー」
「揶揄わないでください」
「あの蕗ちゃんが隠そうともしないなんて。本当に嬉しいのね」
厨房の壁にもたれて腕を組んだ鏡子がニヤニヤと笑いながら見ている。
彼女から向けられる視線を受けながら振り返れば、片付けを終えた紬と友里恵も便乗して店の奥から笑顔を向けていた。
「……片付けに行ってきます」
逃げるように外に出ると、すっかり辺りは橙色に染まっていた。仁武の姿も当然見当たらない。
暖簾を外し落とさないようにしっかりと握ると、小刻みに手が震えていた。緊張からか、喜びからか。
「また来る、か……」
彼がこの町にいることが分かった。そしてまた店に来ることも。
この手の震えは喜びによるものだと自分に言い聞かせて、蕗は店の中に戻っていった。



