嘘つきと疫病神

 その後は到底町を散策する気にはならず、気がつけば導かれるままに町外れの丘に向っていた。
 昔から一人になりたい時や、考え事をしたい時にはあの丘に行っていた気がする。幼い頃の自分は、やけに丘の頂上から見える景色を気に入っていた。
 丘は町とは違い、記憶の中にある姿のままで変わらず同じ場所に聳えていた。
 上がる息を殺しながら丘を登る。ザクザクと足の裏で草を踏み締めながら登ると、何だか妙に不安の念が胸の中で渦巻き始めた。草を踏み締める音が耳に届く度に、あの暑い日に丘の上で聞いた足音を思い出す。
 仕事と言って家を出たきり帰ってこなくなった自分を探していた蕗は、どういう思いでこの丘を登ったのだろう。
 今感じているこの不安と同じ思いを彼女も抱いていたのだろうか。
 この丘の先に自分がいるかもしれないと微かな希望を抱いていたのだろうか。
 丘を登りきると、頂上からは町を一望できた。木々がフレームのように町を囲い、まるで写真機を媒介してみているような景色だ。 
 そうだった。自分はこの景色を「写真機から見ているようだ」と思って、蕗が綺麗だと後に褒めてくれる写真を撮ったのだ。
 軍服の胸ポケットに入れていた古びた写真を取り出す。十年以上も前に撮ったその写真は今でも変わらずお気に入りのまま。
 目の前に広がる景色に合うように掲げてみると、やはり写真に写っている景色と何も変わっていない。初めて与えられたお下がりの写真機で撮ったお気に入りの場所は、お気に入りの写真のままで残っているのだ。
 安心した。何も変わっていなくて。
 一目見るだけでは気が付かないほどに、この景色が変わってしまっていたらどうしようかと思った。
 丘を登りながら感じていた不安は、その先に待っているであろう思い出がなくなってしまっているかもしれないという懸念からのものだった。
 けれどそれも今は安心に変わっている。思い出は何も変わっていなかったのだから。
 見たいものを見れて、知りたいことを知れて満足した。もうここには用がない。日が昇り切る前に町に戻ろうと踵を返す。
 サクリと草を踏み締める軽い音が背後で聞こえた。

「お前、ジンか?」

 そしてそのすぐ後に自分の名前を呼ぶ声が聞こえてくる。このぎこちない名前の呼び方には、聞き覚えがあった。
 振り返らないほうがいい。またあの辛い日々に戻ってしまうぞ。今にもその手に持っている木の棒で殴りかかってくるかもしれない。
 忘れたはずの遠い過去の記憶が目の前いっぱいに広がり出す。身体中が痛みを発し、塞がっていた傷跡が開いていくような感覚。
 気持ち悪い。怖い。痛い。辛い。
 誰かに操られているかのように自分の意志とは反対に首が動く。ゆっくりと目の前の景色が移り変わって、そうして自分は振り返ってしまった。

「あ…………」

 思わずそんな声が口から漏れる。
 目の前にいたのは一度も見たことがない細身の青年だった。