嘘つきと疫病神

 それでも、たとえ自分の思い込みだとしても、交わした約束を信じて縋っている。何でもいいから生きる理由が、生きる希望がほしいのだ。
 だから、十年前に交わした約束を今も変わらず引き摺っている。

「重いって思われちゃうか……」

 店で働いている時は愛想笑いを欠かさないよう気を張っていて、とにかく嫌われないように必死だった。近頃は鏡子との会話も減ってきているし、気が休まる時間がほとんどない。
 唯一落ち着けるのが、部屋に独りでいる時間だった。そして、毎日必ずと言っていいほど窓辺に座っている。

「会いたいな」

 部屋にいる間は、誰かに独り言を聞かれる心配がない。だから窓の外を眺めていると、そんな独り言が口をついて出てきてしまう。
 彼が「いつか必ず帰るから」と言ってから十年が経った。十年間、自分は愚かにもその言葉を信じ続けている。
 どれだけその言葉を信じていようと、彼は遠くの街で新たな幸せを見つけているかもしれない。自分のことなどとうの昔に忘れているかもしれない。
 それが彼にとっての幸せならば自分も受け入れられる。何処かの街で生きているのなら、命を紡いでいるのならそれでいいと思う。
 けれど、そう思っていても、もしかしたら帰ってきてくれるかもしれないと、約束を忘れずにいてくれているかもしれないと信じ続けていた。
 裏切られた時に辛くなるだけだというのに、信じていないと余計に辛くなる気がしてやめられないのだ。
 空が橙色に染まっていく。何気ない一日が終わりを迎える準備を始めていた。
 自分も部屋を片付けて布団を敷いて、明日に備えて早く眠りにつこう。このままでは夜になっても外を眺めていそうだから。
 窓を閉じるため扉に手を掛けながら立ち上がろうとした時、コンコンと甲高い音が外から聞こえた。そしてそのすぐ後に聞き慣れた女性の声が聞こえてくる。

「蕗ちゃん、いるかしら」
「はい。今行きます」

 声は部屋の扉の外から聞こえた。窓を閉じて扉の前に立ち、ゆっくりと扉を開ける。
 するとやはり、外には鏡子が穏やかな微笑みを浮かべて立っていた。やけに楽しげで、手を後ろで組んで何かを隠しているようである。

「あの、どうかしたんですか?」

 蕗が問うと、待ってましたと言わんばかりにその表情が花の如く晴れやかになる。
 鏡子が楽しげにしている反面、彼女が何をしたいのか分からない蕗は怪訝な面持ちだ。扉に掛けている手に力が籠り、今すぐにでも部屋に戻りたい。
 そういう年頃だからか、最近どうも鏡子と面と向かって話すのが億劫なのだ。親と言うにはまだ若い彼女は、自分の姉のような存在であるが、その立場は育ての親と何ら変わらない。
 何だか嫌な予感が胸に渦巻くが、彼女にそんな事が分かるはずもない。

「蕗ちゃんにいいものが届いているのよ」
「いいもの、ですか?」

 突拍子もない事を言い出す鏡子の言葉に、蕗はぽかんと口を開けて固まる。
 そんな彼女のことなどお構いなしに、鏡子は後ろに隠していた“いいもの”を差し出した。

「これって……手紙ですか?」

 鏡子が差し出してきたのは宛名のない手紙である。恐る恐る受け取ると、用が済んだらしい鏡子はそれ以上何も言わずその場を去っていく。
 呼び止める隙もないままに、部屋の前に独り取り残されてしまった。