嘘つきと疫病神

 壁掛け時計の針が進む音だけが部屋の中に響き渡る。
 祖母が亡くなり、二人だけになってしまった家にはかつての明るさなど微塵も感じさせない。二人の間に会話という会話はなく、ぼんやりとした何をするでもない時間がひたすらに流れていった。
 机に伏せて無情に流れる時間に身を委ねていると、二人の耳に鐘の音が届いた。誰かが入ってきたらしい。
 顔を上げて入口に目を向けると、そこには微笑みを浮かべる鏡子が立っていた。

「鏡子さん」
「おはよう二人共」
「どうしたんですか? 何か用でも?」

 椅子から立ち上がり鏡子の元に向かうと、彼女はゆっくりと頷き店の奥で窓の外を眺めている仁武を見た。
 仁武に何か用があるのだろうか。蕗もつられて彼を見ると、視線を感じたらしく渋々立ち上がった。

「何、俺に用?」
「ええ、とっても大切な話があるの」
「話?」
「外に出たら分かるわ。付いて来て」

 そう言うと、仁武の手を強引に引いて部屋を出ていく。突然のことに仁武は驚いて手を振り払おうとするが、鏡子が離れないように強く握っているため無力にも従うしか無かった。
 何か嫌な予感がする。鏡子に引っ張られながら恐怖に滲む顔を蕗に向けた。
 二人は同じ予感を抱いているらしい。鏡子の様子にいつもの余裕さはなく、逃げるような足取りだ。
 連れて行かないで。思わず二人の手を振り解こうと飛び出しそうになったが、足が上手く動かせなかった。
 鏡子と仁武が部屋を出ていく。その後を雛鳥のように付いて行くことしか蕗にはできない。

「嗚呼、仁武。大きくなったな」

 遅れて部屋を出ると、外には三十代ほどの男女が立っていた。二人は仁武を見るなり心底嬉しそうな表情を浮かべて、互いに身を寄せ合う。
 何が起こっているのか分からない。この人達は一体誰だ。何故仁武の名前を知っているのだ。
 どうして仁武は二人を見て怯えているんだ。

「父さん、母さん?」
「そうだよ。迎えに来るのが遅くなってしまってすまない。寂しい思いをさせてしまったね」

 恐らくこの夫婦は仁武の両親なのだろう。蕗には両親の顔が見えず、彼らが今何を思っているのか表情からは伺い知れない。
 ただ仁武の小さな後ろ姿が小刻みに震えていた。傍で肩を抱いていた鏡子が手を離し、一人で佇んでいる蕗の元へ歩み寄る。
 振り返って不安げな表情を浮かべる仁武は、声にならない声で「助けて」と言っている気がした。
 けれど鏡子も蕗も動き出そうとはしない。夫婦の嬉しげな表情を見ていると、どうしても動き出せなかった。

「さあ、仁武。一緒に帰ろう」

 父親の声が辺りに反響する。怒鳴り声というわけではなく優しい声であるはずなのに、蕗の耳には雑音混じりの不協和音のように聞こえた。
 仁武は何も言わない。何も言えないのだろう。
 歩み寄る父親を無気力に見上げているだけだ。父親の大きな手が仁武の手を握り、穏やかな微笑みを浮かべる。