嘘つきと疫病神

 誰かを呼んできてと言われて、頼れるような人など蕗には数少ない。そんな中で仁武もよく知っている人の元に一刻も早く辿り着くため、家を飛び出してから人目も気にせず蕗は走り続けた。
 まだ朝方で町は静まり返っている。この時間ならばまだ店はやっていないだろう。
 どうか店にいますようにと肩で息をしながら願う。自分は彼女しか頼れるような人がいないのだ。

「……さん、鏡子さん!」
「あら、蕗ちゃん? こんな時間にどうしたの?」

 店の中に飛び込むと、店内の掃き掃除をしていた鏡子が箒を持ったまま振り返った。何度か目にしただけの微笑みではあるが、彼女の微笑みは見ているだけで安心する。
 けれど現在の状況下でそんな呑気なことは考えていられなかった。
 朝方に部屋着のままの蕗が一人で店に飛び込んできたのだから、鏡子が驚くのも無理からぬことであろう。
 しかし今は、外を部屋着で出歩いただとか、髪がボサボサであるとかなどはどうでも良かった。
 ただ助けてほしい。仁武と祖母がいる家に来て、助けてほしかった。

「おばあちゃんが、おばあちゃんが!」

 蕗の言葉を聞いた鏡子は、一瞬頭の理解が追いつかず目を剥いて固まった。

「助けて。お願い! 助けて!」

 目に涙を浮かべて入口に立つ蕗を見て、鏡子は箒を放り捨てると店を飛び出した。彼女が何を言おうとしているのか、それ以上は聞かなくても察しがつく。
 弟のように可愛がっている仁武が一人寂しく家で待っているのだと思うと、ほとんど面識がない彼の祖母のことであっても懸念が湧く。まだまだ幼い二人を置いて、あの気の強い老婆がくたばるなど信じられなかった。
 最後にいつ訪れたのか覚えていないほど、風柳写真館とは縁がなかったように思う。しかし久々に訪れた写真館は、記憶の通りの場所に変わらない姿で建っていた。

「仁武ちゃん! 仁武ちゃん!」

 何度もその名を呼ぶ。朝方の町に鏡子の悲痛な叫びが響き渡っていた。
 蕗に連れられ店の奥にある住居に足を踏み入れると、廊下の突き当たりにある部屋の前で仁武が蹲っている。
 その姿を見た瞬間に身体から力が抜けた。崩れ落ちるように彼の傍に膝を付くと、小さな少年はゆっくりと窶れた顔を上げる。

「きょーこ……?」

 年頃の男の子の割に華奢な身体付きをしている仁武のことがいつも心配だった。ちゃんと食事は摂っているのかと、ちゃんと眠れているのかと何度も問うた。
 その度に見せる窶れた表情。目の前で蹲り震える仁武はその時と同じ、全てに絶望をした色のない表情を浮かべていた。
 鏡子はそんな仁武を見ていられず、壊れないように優しくも力強く抱き寄せた。
 夏だというのに氷のように冷え切った身体は、どれだけ抱き寄せても震え続ける。今にも砕けてしまうのではないかという不安が、鏡子の胸の中を掻き乱していく。

「大丈夫、もう大丈夫よ」

 何が大丈夫なのかくらい言ってやれたらどれほど良かっただろう。
 何も言えずただ抱き締めることしかできない自分の不甲斐なさに、ぎりぎりと奥歯を噛み締めた。