静かな丘の向こう側から、人による激しい息遣いが聞こえてきた。草を踏み締める音が徐々に近づいてきて、苦しげな息遣いも呼応するように大きくなってきた。
誰かがこの丘を登ってきているのだと、やけに冷静になった頭で考える。それまでぐちゃぐちゃになっていた頭の中が、その音を聞く度に整理されていった。頭で考えられるようにはなったが、動けるわけではなくその場に蹲ったまま足音が近づいてくるのを待つ。
血だらけの子供が丘の上で蹲っていれば、少なからず町では噂になる。噂になるだけならばまだマシな方だろう。
酷ければ、何故子供を一人にしたのだと祖母が責められてしまうかもしれない。自分が痛い目に遭うよりも、祖母が傷つけられてしまう方が何よりも辛い。そこに蕗がいるのだから尚更である。
足音が近づいてきた。草を踏み締める音が軽い、登ってきた相手は小柄な子供か何かだろうか。
「仁武…………?」
ざあっと強い風が仁武と声の主の間を通り過ぎていく。木々が揺れ動き、鳥が飛び立ち、生い茂る草が波打つ。
膝に埋めていた顔を思わず上げた。声が聞こえた方に視線を向けると、太陽の光を背にして小さな子供が立っている。
逆光で顔を伺うことはできないが、目の前にいる人物を知っているような気がした。
「蕗? 何でここに……」
「どうしたのその傷!?」
仁武が何かを言うよりも先に、蕗は傷だらけの身体に飛びついた。震える手を伸ばし、血と土で汚れた頬に触れる。
まるで自分のことのように痛みに歪む表情を向ける蕗を見て、仁武は目の前の視界が歪んでいくのを感じた。
目の奥がじいんと痛み、目頭が熱くなっていく。
頬に何かが伝う擽ったさを感じた。それが涙であることに気がついたのは、蕗の澄んだ瞳が微かに揺れ動いたからである。
「仁武?」
先程は確認するように口にした名前も、今では自分のことを呼ぶために口にしてもらえる。
その安心感と現実が、切れないように繋ぎ止めていた涙腺を途切れさせた。
「い、痛いの? ああ、やっぱりおばあちゃんにも来てもらえばよかった……っ!」
止めどなく溢れる涙で歪んでしまった目では、目の前にいる蕗の表情を伺い知ることはできない。
肩に触れる彼女の手が震えていて、自分の情けなさに気づけば余計に涙が止まらなくなる。
こんな情けないところなど、目の前にいる彼女に一番見られたくはなかった。けれど一度見られてしまったからか、吹っ切れたせいで微かに声が漏れる。拭うことも忘れて、縋り付くように言葉を紡ぐ。
「俺っ、弱いから。……何か言われても、違うって……否定できなかった。言い返せなかった。…………一瞬でも疑った自分が情けなくて、憎くて…………」
言ってしまえば、それまで確かにあったはずの何かが壊れてしまう気がした。
言ってしまえば、目の前で優しく微笑む彼女がいなくなってしまう気がした。
言ってしまえば、もう二度とあの寂しい日々に戻れなくなるしまう気がした。
けれど、目の前にいる彼女はどれだけ情けない嘆きを聞こうと、その場から動こうとはしなかった。
誰かがこの丘を登ってきているのだと、やけに冷静になった頭で考える。それまでぐちゃぐちゃになっていた頭の中が、その音を聞く度に整理されていった。頭で考えられるようにはなったが、動けるわけではなくその場に蹲ったまま足音が近づいてくるのを待つ。
血だらけの子供が丘の上で蹲っていれば、少なからず町では噂になる。噂になるだけならばまだマシな方だろう。
酷ければ、何故子供を一人にしたのだと祖母が責められてしまうかもしれない。自分が痛い目に遭うよりも、祖母が傷つけられてしまう方が何よりも辛い。そこに蕗がいるのだから尚更である。
足音が近づいてきた。草を踏み締める音が軽い、登ってきた相手は小柄な子供か何かだろうか。
「仁武…………?」
ざあっと強い風が仁武と声の主の間を通り過ぎていく。木々が揺れ動き、鳥が飛び立ち、生い茂る草が波打つ。
膝に埋めていた顔を思わず上げた。声が聞こえた方に視線を向けると、太陽の光を背にして小さな子供が立っている。
逆光で顔を伺うことはできないが、目の前にいる人物を知っているような気がした。
「蕗? 何でここに……」
「どうしたのその傷!?」
仁武が何かを言うよりも先に、蕗は傷だらけの身体に飛びついた。震える手を伸ばし、血と土で汚れた頬に触れる。
まるで自分のことのように痛みに歪む表情を向ける蕗を見て、仁武は目の前の視界が歪んでいくのを感じた。
目の奥がじいんと痛み、目頭が熱くなっていく。
頬に何かが伝う擽ったさを感じた。それが涙であることに気がついたのは、蕗の澄んだ瞳が微かに揺れ動いたからである。
「仁武?」
先程は確認するように口にした名前も、今では自分のことを呼ぶために口にしてもらえる。
その安心感と現実が、切れないように繋ぎ止めていた涙腺を途切れさせた。
「い、痛いの? ああ、やっぱりおばあちゃんにも来てもらえばよかった……っ!」
止めどなく溢れる涙で歪んでしまった目では、目の前にいる蕗の表情を伺い知ることはできない。
肩に触れる彼女の手が震えていて、自分の情けなさに気づけば余計に涙が止まらなくなる。
こんな情けないところなど、目の前にいる彼女に一番見られたくはなかった。けれど一度見られてしまったからか、吹っ切れたせいで微かに声が漏れる。拭うことも忘れて、縋り付くように言葉を紡ぐ。
「俺っ、弱いから。……何か言われても、違うって……否定できなかった。言い返せなかった。…………一瞬でも疑った自分が情けなくて、憎くて…………」
言ってしまえば、それまで確かにあったはずの何かが壊れてしまう気がした。
言ってしまえば、目の前で優しく微笑む彼女がいなくなってしまう気がした。
言ってしまえば、もう二度とあの寂しい日々に戻れなくなるしまう気がした。
けれど、目の前にいる彼女はどれだけ情けない嘆きを聞こうと、その場から動こうとはしなかった。



