嘘つきと疫病神


「やめろ」

 ぎこちない空気が蕗と鏡子の間に流れているのを感じ取ったのか、それまで黙り込んでいた仁武が声を上げた。
 一言聞くと厳しさを含んでいるようだったが、表情は特に苛立った様子もない。
 ただ鏡子の揶揄いのような発言が蕗を戸惑わせているのだと思い、ぶっきらぼうにも言っただけのようである。
 言い止められた鏡子は一瞬動きを止め、仁武を見上げた。その顔は驚きに染まりきっている。

「仁武ちゃん……」

 苦し紛れに鏡子は仁武の名を呼ぶが、彼がその声に答えることはない。
 焦点の合わないぼんやりとした目を机の木目に落としながら、まるで独り言のように仁武は言う。

「蕗、別に俺達はそんなんじゃないから。あんまり変な想像しないで」
「あっ……ご、ごめん」

 心を読まれてしまったのだろうか。いや、不躾ではあるが不器用な仁武ならば有り得ない。
 もしかしなくても、自分にそう言い聞かせるために言ったのだろう。何故だかそんな気がした。
 次は蕗と仁武の間に何とも言えないぎこちない雰囲気が流れ出した。
 その雰囲気を感じとった鏡子が徐に立ち上がり、仁武の傍に寄ると頭をわしゃわしゃと撫で始める。
 突然のことに仁武は不機嫌そうに表情を歪め、鏡子の細い腕を掴んで抵抗した。

「おい、何すんだよ」
「蕗ちゃん、いい子じゃない。絶対に手放しちゃ駄目よ」
「はあ?」

 鏡子は仁武にだけ聞こえるように小さく囁いた。
 何を言っているのか蕗には聞き取れず、仁武の理解できないと言いたげな表情を見て想像するしかできない。
 案の定、仁武は鏡子の腕を掴んでそんな素っ頓狂な声を上げた。

「ねえ、蕗ちゃん」
「は、はい」

 振り返った鏡子は穏やかで儚げな雰囲気を纏っていた。
 今すぐにでも砕けて消えてしまいそうなほどに、浮かぶ表情は硝子細工のように美しい。
 何を言われるのかと身構える蕗を見て、鏡子は朗らかに微笑んだ。
 大人びた彼女にしては、随分と幼い気がした。

「こんなこと言っているけれど、悪い子じゃないのよ。不器用で鈍感なだけだから、仲良くしてあげてね」
「……はい、もちろんです」

 ずっとおどおどとしていて、自分の意見など口にできないと思っていた蕗が案外真っ直ぐとした目を向けてきたため、驚きに鏡子は大きな瞳を一層見開いた。
 そうしてふっと微笑む。顔こそ似ていないが、鏡子と仁武は姉弟のようであった。

「困ったことがあったらここに来てくれたら良いからね。いつでも歓迎するから」

 そう言い残し鏡子は店の奥へと去っていく。
 すらりとしていて華奢な背中が見えなくなるまで、蕗は彼女の後を目で追っていた。