芝は仁武の肩に手を置くと白い歯を見せて笑った。この笑顔を見るのがこれで終わりになってしまうのがもったいないと思ってしまうほど、眩しい彼の笑顔。
「それじゃあ、己の信念にかけて戦おう。そしていつか成し遂げた成果を皆に報告しような」
「はい。一人でも多く、俺は敵を倒す。そして少しでも生きやすい世の中になるようにこの戦争を終わらせます」
「よく言った」
満足したように頷くと、肩から手を離し背中を見せて基地の中へと入っていく。
訓練を終えた軍人達はすでに就寝している時間帯。起きて基地の中を徘徊していることが知られてしまったら、上官の雷が落ちるに違いない。
だが不思議と、夜の基地、何処で誰が見ているのか分からない今でも恐怖心は湧いてこなかった。
それは芝が傍にいるからか、それとも自分の本心を打ち明けて微かに自信を手に入れたからか。
「このままじゃ、寝られんなあ」
不意に振り返った芝が仁武に同意を求めるように問うた。何かを企んでいる、いたずらっ子のような笑顔を向ける芝は楽しげである。
立ち止まった仁武は、一瞬何を言われたのか理解できず首を傾げる。芝は廊下側の窓の外を眺めてふっと笑った。
「月明かりが眩しすぎる。俺は暗いところでしか寝られないんだ」
「確かに、今日は夜だというのに随分と明るい」
芝の横に立つと、仁武も同じく窓の外を眺めた。絵に描いたようにまん丸で金色の月が夜空にぽつんと浮かんでいる。
これほどまでに静かな夜があっただろうか。皆が寝静まった今、この夜空を見上げている人はどれほどいるのだろう。別れを告げた蕗は、紬は、和加代は、この夜空を見ているかのだろうか。
願わくば、この夜空を彼女と共に見たかった。別れる前に共に見れば、こんなちっぽけな後悔などせずに済んだはずなのだが。
「どうだ、この後“いいもの”でも見に行かないか」
「何ですかいきなり。こんな時間に出歩いては俺まで叱られてしまいますよ」
「なんだ、お前がそんなこと気にするなんてな。もう小瀧と江波方には話をつけてあるぞ。待たせるわけにはいかん。ほら、早くしろ」
「あ、ちょ、ちょっと! 本当にどうなっても知りませんよ!」
飄々とした様子で廊下を進んでいく芝には、もう何を言っても無駄だろう。いつものように、彼の調子の載せられ大人しくその後ろを追いかけて基地の外に出る。
基地の裏手にある小さな広場には、小瀧と江波方が空を見上げて待っていた。芝が二人に声をかけると、「やっと来た」と小さく江波方が呟く。
「待たせてすまんな」
「それはいいんですが、何故ここに?」
不思議そうに小瀧が芝へと尋ねる。夜中の広場に三人を呼び付けて何をしたいのか、芝の考えは全くもって読めない。
そして何故この顔ぶれなのかも皆目見当がつかなかった。
問われた芝は夜空を見上げ、見惚れたようにそれに魅入る。
「最後くらい、共に見たいじゃないか。もうこの夜空は見られないんだからな」
いつの間にか、他の軍人達も部屋からこの夜空を見ていた。
これから散りゆく命が同じ空を見上げている。ほとんどの命が失われる戦争、けれど戦争がなければ出会わなかった彼らとの時間。
本当の幸せとは何なのだろうか。
嘘つきで不器用な少年が出会った少女は、町で疫病神と噂されていた。出会うまで、どんな恐ろしい人なのだろうかと怯えていたが、実際に出会ったのは大人しそうな少女。
弱っているところを見兼ねて自分の家で共に暮らすようになり、初めはぎこちない関係だった。
それでも自分の写真家になりたいという夢を馬鹿にせず、隣にいてくれた彼女の人柄に惹かれた。
守りたいと、ずっと一緒にいたいと心から願った。色恋沙汰とは無縁だと思っていたし、そういった類の感情を抱くことなど無いと思っていたが、年齢を重ねる度にその想いに正直になってしまった。
初めて好きになった人、そして最後に好きになった人。
一度は離れ離れになってしまったがまた出会えた。きっと神様が最後のチャンスを与えてくれたのだ。
そのチャンスを握り締めて彼女との新しい時間を歩んだ。
けれどそれもこれで終わり。
嘘つきと疫病神の物語はこれで終わったのだ。
いつの日かこの美しい夜空の中に自分の星が生まれて、それを彼女が見てくれていたなら、どれほど嬉しいことだろうか。
出会わなければと思ったこともあったが、最後には出会えてよかったと思う。
「出会ってくれてありがとう。俺も、忘れないから」
「それじゃあ、己の信念にかけて戦おう。そしていつか成し遂げた成果を皆に報告しような」
「はい。一人でも多く、俺は敵を倒す。そして少しでも生きやすい世の中になるようにこの戦争を終わらせます」
「よく言った」
満足したように頷くと、肩から手を離し背中を見せて基地の中へと入っていく。
訓練を終えた軍人達はすでに就寝している時間帯。起きて基地の中を徘徊していることが知られてしまったら、上官の雷が落ちるに違いない。
だが不思議と、夜の基地、何処で誰が見ているのか分からない今でも恐怖心は湧いてこなかった。
それは芝が傍にいるからか、それとも自分の本心を打ち明けて微かに自信を手に入れたからか。
「このままじゃ、寝られんなあ」
不意に振り返った芝が仁武に同意を求めるように問うた。何かを企んでいる、いたずらっ子のような笑顔を向ける芝は楽しげである。
立ち止まった仁武は、一瞬何を言われたのか理解できず首を傾げる。芝は廊下側の窓の外を眺めてふっと笑った。
「月明かりが眩しすぎる。俺は暗いところでしか寝られないんだ」
「確かに、今日は夜だというのに随分と明るい」
芝の横に立つと、仁武も同じく窓の外を眺めた。絵に描いたようにまん丸で金色の月が夜空にぽつんと浮かんでいる。
これほどまでに静かな夜があっただろうか。皆が寝静まった今、この夜空を見上げている人はどれほどいるのだろう。別れを告げた蕗は、紬は、和加代は、この夜空を見ているかのだろうか。
願わくば、この夜空を彼女と共に見たかった。別れる前に共に見れば、こんなちっぽけな後悔などせずに済んだはずなのだが。
「どうだ、この後“いいもの”でも見に行かないか」
「何ですかいきなり。こんな時間に出歩いては俺まで叱られてしまいますよ」
「なんだ、お前がそんなこと気にするなんてな。もう小瀧と江波方には話をつけてあるぞ。待たせるわけにはいかん。ほら、早くしろ」
「あ、ちょ、ちょっと! 本当にどうなっても知りませんよ!」
飄々とした様子で廊下を進んでいく芝には、もう何を言っても無駄だろう。いつものように、彼の調子の載せられ大人しくその後ろを追いかけて基地の外に出る。
基地の裏手にある小さな広場には、小瀧と江波方が空を見上げて待っていた。芝が二人に声をかけると、「やっと来た」と小さく江波方が呟く。
「待たせてすまんな」
「それはいいんですが、何故ここに?」
不思議そうに小瀧が芝へと尋ねる。夜中の広場に三人を呼び付けて何をしたいのか、芝の考えは全くもって読めない。
そして何故この顔ぶれなのかも皆目見当がつかなかった。
問われた芝は夜空を見上げ、見惚れたようにそれに魅入る。
「最後くらい、共に見たいじゃないか。もうこの夜空は見られないんだからな」
いつの間にか、他の軍人達も部屋からこの夜空を見ていた。
これから散りゆく命が同じ空を見上げている。ほとんどの命が失われる戦争、けれど戦争がなければ出会わなかった彼らとの時間。
本当の幸せとは何なのだろうか。
嘘つきで不器用な少年が出会った少女は、町で疫病神と噂されていた。出会うまで、どんな恐ろしい人なのだろうかと怯えていたが、実際に出会ったのは大人しそうな少女。
弱っているところを見兼ねて自分の家で共に暮らすようになり、初めはぎこちない関係だった。
それでも自分の写真家になりたいという夢を馬鹿にせず、隣にいてくれた彼女の人柄に惹かれた。
守りたいと、ずっと一緒にいたいと心から願った。色恋沙汰とは無縁だと思っていたし、そういった類の感情を抱くことなど無いと思っていたが、年齢を重ねる度にその想いに正直になってしまった。
初めて好きになった人、そして最後に好きになった人。
一度は離れ離れになってしまったがまた出会えた。きっと神様が最後のチャンスを与えてくれたのだ。
そのチャンスを握り締めて彼女との新しい時間を歩んだ。
けれどそれもこれで終わり。
嘘つきと疫病神の物語はこれで終わったのだ。
いつの日かこの美しい夜空の中に自分の星が生まれて、それを彼女が見てくれていたなら、どれほど嬉しいことだろうか。
出会わなければと思ったこともあったが、最後には出会えてよかったと思う。
「出会ってくれてありがとう。俺も、忘れないから」



