嘘つきと疫病神

 中には記憶に残っているままの位置で写真機などがいたる所に置かれている。仁武が自信満々に語っていた写真も全て昔のまま残っていたのだ。初めて蕗が写真を取った椅子も、ライトも何もかもが昔のままである。

「遅かったね、蕗ちゃん」

 ふうわりと微笑んだ和加代が傍に駆け寄ってきた。彼女以外にも芝や小瀧、江波方、紬などの顔ぶれが揃っている。そして何より目を引いたのは机の上に並んだ質素な料理であった。

「あれ、忘れちゃったの? 今日は仁武くんの誕生日だよ」

 誕生日、そうだ、そうだった。何故忘れているんだ。去年も一昨年も彼の誕生日を祝ったはずなのに。まだ記憶に新しいはずなのにまさか忘れていたのか。
 一人で逡巡する蕗を差し置いて、皆はワイワイと現実から逃げるように様々な話に花を咲かせた。何枚もの写真を取り、仁武はおそらく最後になる誕生日会を楽しんだ。この顔ぶれで誕生日を迎えられるのは今日が最後になるだろう。
 料理もさることながら、二人減るだけでこんなにも寂しい誕生日会になってしまうのか。だが、仁武はそんな寂しさなど見せず皆と笑っていた。変わらず取り残される蕗は何が起きているのかも分からなくなっている。
 それでもまた皆が笑っている。それが純粋に嬉しいと思えた。

「皆さんに、報告があります」

 楽しい雰囲気が一段落し、皆が静かに余韻に浸っている頃合いを見計らって芝がやけに改まった態度で口を開いた。
 不思議そうに見ている蕗以外の皆の表情に影が差す。それだけで芝が何を言おうとしているのか察してしまった。

「出撃命令が出ました」

 たった一言そういった芝は深々と頭を下げた。蕗にはその言葉の意味が理解できず、芝が今何と言ったのか、何故皆が悲しげな表情を浮かべるのか分からなかった。

────特攻隊に志願しました────

 ぷつんと頭の中で何かが途切れた音がした。血流に沿うように一瞬で身体を絶望が覆い尽くす。芝は頭を下げたまま何も言わない。

「おめでとうございます」

和加代が頭を下げながらそう言った。紬も頭を下げ、芝はそんな二人を見て優しく微笑む。

 何がおめでとうございますなんだ?

和加代と紬の行動に理解が追いつかず、固まる蕗を見た仁武は視線を逸らした。何故逸らすのかと聞く前に、芝の声で蕗の疑問は掻き消される。

「楽しかったよ、お前らといるの。寂しいなんて思う時間が一秒もなかった」
「俺も」

 芝の言葉に仁武も頷いて賛同する。溢れ出る涙はもう枯れていた。泣くことも、笑うこともできずただ芝のことを見つめる。
 仁武の誕生日だと言って、なんとかして皆が揃う時間を作りたかったのだろう。一人で旅立たないよう、誰かに見届けてもらえるように。
 目を見開いたまま固まる蕗に向かって芝は優しく笑い掛けた。どうして仁武も鏡子も芝も最後の最後まで誰かにこうして優しく笑い掛けられるのだろう。
 やめてほしいと言ってしまいそうなくらい、今は芝が向ける笑顔が苦痛だった。
 死ぬことが決まったのだ。芝は絶対に死んでしまう。二度とこの場所に帰ってくることも、この笑顔を見ることもない。
 もう決まった未来を今から変えることはできないのだ。諦めと絶望の混ざったなんとも言えない気持ちは、口にすることができなかった。