嘘つきと疫病神

 避難所である女学校に戻ると、当然そこに仁武達はいなかった。寂しさと虚しさを誤魔化すために怪我人の手当に勤しむ。
 気づけば怪我人の数は学校を出た時よりも増えており、その中には無数の遺体も混ざっていた。
 この中に愛している人を残して死んでいった人々はどれほどいるのだろうか。身寄りを失ってしまった人はどうなってしまうのだろう。無事にあの世へと向かうことはできるのだろうか。
 考えても答えは見つからず、別の教室に向かうために救急箱を抱えて教室を出る。煤と灰で黒くなってしまった廊下を進んでいると、教室の前で立ち尽くすやけに体格の良い男性が目に入った。

「芝さん……?」
「ん、ああ、蕗ちゃんか」

 軍事基地にいるはずの彼が何故ここにいるのだろう。悲しげな目で教室の中を見ていた芝は、蕗の声を聞いて見慣れた笑顔を向けた。しかしその笑顔には違和感があり、何処かぎこちない。
 向けられた顔を見て蕗はぎょっと目を剥いた。煤と砂に汚れた頬には痛々しいほどの傷がある。手当をされていないのか傷は膿んで悪化しているようだ。慌てて蕗が救急箱の中を漁り、壁際に芝を座らせると消毒液で傷口を消毒する。
 手当を受けている間、芝は一言も話さなかった。そして笑うこともなく無表情で手当が終わるのを待つ。
 傷の痛みか、地獄のような現状からか、芝は時々表情を歪めた。蕗も黙って傷の手当に集中する。
 手当が終わり救急箱の中身を片付け始めると、不意に芝がぽつりと呟いた。

「鏡子さんは、いないのか……?」

 するりと消毒液の入った小瓶が手から滑り落ちた。子気味の良い音を立てて転がる小瓶が芝の足元で動きを止める。彼が小瓶を拾い上げ、傍に置いていた救急箱に入れるまで蕗は身動き一つ取れなかった。
 音を立てて降り掛かる燃え上がった瓦礫、鈍い音を立てて潰れる身体、最後に見せた鏡子の必死の表情。
 あの時の光景が脳裏で蘇り、激しい頭痛と吐き気が襲いかかる。
 突然頭を抱えて唸り出すの蕗の変わり様に、芝は小さな背中を撫でながら、聞いてはいけないことを聞いてしまったと察する。蕗の様子を見て何があったのか聞かずとも想像できた。

「死にました。もういません……」

 芝は微かに期待していたのだ。焼け残った女学校に蕗達がいると聞き、もしかしたら皆が揃っているかもしれない。紬と和加代が別の教室で怪我人の手当をしているのを見て、蕗もその近くにいることを確認した。
 けれど、何処にもいるはずの鏡子がいなかったのだ。
 だから一つ一つ教室を見て回り、鏡子を探していた。けれど今いる教室の前に来た辺りで察してしまった。
 鏡子は、もうこの世界にいないことを。

「そう、か」

 苦し紛れに絞り出せたのはそんなそっけない返事だけである。蹲った蕗の背中を見つめ、やるせなさに強く奥歯を噛み締めた。

「あら、芝さん。いたのなら声をかけてくれたら良かったのに。って、蕗ちゃんどうしたの?」 

 紬が別の教室に移るために出てきたらしい。不思議そうな表情で廊下に座り込んだ二人を見下ろしていた。
 顔を上げた蕗は「なんでもないです」と言いながら乾いた笑みを落とす。
 蕗の背から手を離した芝は立ち上がると、軍帽を深く被り厳格さの滲む真剣な眼差しを蕗と紬に向けた。

「征くべき場所を見つけました。それでは、行って参ります」

 去り際、芝はそう言い残し軍帽で顔を隠しながらその場を去っていった。