嘘つきと疫病神

 記憶障害に似た症状。身体が自分の物ではないように思えて、これまでの思い出は全て作り物のように感じて。
 身体が、頭が、視界が、思考が、何もかもがおかしくなってきている。

「皆さんは、これからどうされるのでしょう」

 不安げな和加代の視線が蕗を貫く。彼女もすでに察しているのだろう。
 これから自分達はバラバラに別の道を歩むことになる。再会することなど絶望的で、生きているうちにもう一度顔を合わせることなどできない。
 血の繋がった身内が生きているのかさえ分からない状況で、帰る場所など何処にもないのだ。

「私はまた仕事を探しに町を出るわ」

 そう言いながらも紬の瞳には悲しみが滲んでいる。
 伏せられた瞼の奥にある瞳には何が映っているのだろう。それすら蕗には知ることができなかった。

「私達は基地に戻ります。そして戦場に行くことでしょう」

 小瀧は眼鏡を失いぼやけた視界の中に仁武と江波方を映す。目と目を合わせた二人は言葉を発することはなく、静かに頷いてみせた。
 蕗の視界の端で和加代が身動ぎをした。見れば、彼女は俯いて肩を震わせている。
 決して声に出すことはないが、もう二度と顔を見ることができなくなると理解してしまったのだ。
 小瀧、仁武、江波方、そしてこの場にはいない芝。彼らは柳凪の常連客であり家族に近い存在だった。そんな彼らは近い未来帰らぬ人となってしまう。
 そのことがどれだけ残酷で、抗えない未来であることなどこの場にいる全員が理解していた。

「和加代は?」
「……実家に帰ることになると思う。学校は無くなってしまったし、家業を継ぐことになるでしょうね。蕗ちゃんはどうするの?」

 皆それぞれの未来が決まっている。定められた運命を辿ろうとしているのだ。
 最後に残った蕗の元に皆の視線が向けられる。優しい眼差しは、どれも先を見据えている落ち着いた視線だ。
 すぐに答える事ができたら少しは自信が持てたのだろう。しかし蕗には答えることができなかった。
 実家など無く、帰る場所は初めから柳凪しかなかった。それすら失った自分に、他に何が残されているというのだろう。
 このまま町を出るのも一つの手だ。けれどそれは間違っている気がする。何のために今まで彼らと共にこの町に残っていたのか、分からなくなってしまう気がしたから。

「答えなんてすぐに出せるものではないわ」

 紬の掌が蕗の頬に触れる。滑らかな肌触りが心地良く、ずっとそうしていてほしいと思ってしまう甘えがあった。

「私は、この町に残る」

 今はこの町に残り、命が続く限り生きる。それが蕗が出した答えだった。

「皆に出会ったこの町が大切で離れたくなくて、大好きだから」

 もう迷いたくはない。このまま終わってしまうのなら、始まったこの町で終わりたい。
 この町で生きていれば、離れ離れになっても皆が生きていたという小さな歴史を残すことができる。
 そしてなりより、この記憶障害がこの先蕗の身体を蝕むのなら、抗ってやろうと思ったのだ。

「俺も、この町に残りたかったな」

 仁武の小さな呟きは、皆の耳に届いてしまった。全員の顔色が曇り、辺りの空気が重く伸し掛かる。

「あのさ、最後に皆で行きたい所があるんだ。一緒に来てくれないかな、あの丘に」

 作り物ではない、純粋な願いから生まれた仁武の笑顔に迷いはなかった。