嘘つきと疫病神

 景色を睨めつけたまま、降ろしていた手を窓枠に置くとぎゅっと握った。煤と灰が掌全体に付着するのを感じたが、その力を緩めることはない。

「私、行かなきゃ」

 窓辺から離れると、そのまま一目散に学校を出た。辺りが焼け野原で広大な敷地だけが広がる中に、幾つか焼け残った家が建っている。
 突然飛び出した蕗の後ろ姿を仁武は驚きに目を見開いて眺めていた。しかしすぐに立ち上がり、教室を飛び出していった彼女の背を追いかける。

「あ、ちょっと! 外はまだ危険ですよ!」

 小瀧の忠告を無視して仁武は黒く焼け焦げた廊下を走り抜ける。何段もの階段を駆け下り、正面玄関から外に飛び出すとすぐに先を走る蕗の後ろ姿が目に入った。
 何処かに向かって外を走っている二人を窓越しに見て、小瀧はふっと呆れたように笑った。勢いに任せて行動を取る者が周りには多くいる。そのためか、小瀧はこういうことにも慣れていた。だから無駄に追いかけることもせず、ただ成り行きを見守る。
 傍らで怪我人が痛みで呻き声を挙げる。和加代がすぐに救急箱を抱えて駆け寄り、手際よく傷口を消毒し包帯を巻いた。
 こうしている間にも、飛び出していった二人を誰でもいいから追いかけるべきだっただろう。しかしそう分かっていながらも、誰の動き出そうとはしなかった。いや、動き出せなかったのかもしれない。
 突然人が変わったように走り出した蕗、彼女と似たような状態に陥った人を彼らは知っていた。
 友里恵が突如として店を飛び出し、その先で殺害されたことを。

「っ……」
「大丈夫ですか」 

 小さく呻いた和加代の傍で小瀧が膝を折って屈む。和加代の顔を覗き込むと、微かに冷や汗を浮かべて表情を歪めていた。
 見れば指先を押さえつけている。彼女の足元にはハサミが転がっており、おそらくそのハサミで指先を傷つけてしまったのだろう。
 小瀧はそっと和加代の手を取り、傷口を見るとすぐに消毒液を含ませた綿で軽く血を拭い、慣れた手付きで包帯を巻いた。

「あっ、あの、大丈夫です。これくらいなんとも無いですから」
「ここは環境が悪い。どんなに小さな傷でも感染症が怖いですからね。それに___」

 和加代の手を離し、目を見て微笑む。普段は眼鏡を掛けているため、この距離でも顔はよく見えない。だが、和加代が顔を赤らめて狼狽していることは手に取るように分かった。
 今の自分がどのような顔をしているのかは分からないが、見なくともろくな表情をしていないのだろう。それでも余裕のある大人を演じなければ、彼女の中で形作られた自分という存在が崩れてしまうような気がした。

「貴方には傷ついてほしくないんです」

 最後ににっこりと笑いかけて立ち上がると、そのまま背を向けて教室を出ていく。
 残された和加代は、包帯が巻かれた指先を眺めて小さく笑みを零した。
 届かぬこの想いは彼も同じだろうか。届かぬこの想い、彼の手の温もりが傷ついた指先を眺めていると蘇って来るような気がした。