嘘つきと疫病神

 淡い期待を胸に、鏡子に渡された地図の通りに道を進む。しばらく歩くとそれなりに栄えていた町はすっかり静まり、辺りには古びた家屋が疎らに建っているだけの小さな集落に出た。
 少しづつ地図が頼りにならなくなり、見ず知らずの町を一人で進むようになる。
 辺りを見渡しながら進んでいると、ふと視界の端に瓦礫の山が入った。立ち止まってその瓦礫を見つめる。元は家だったのだろう、ところどころ瓦が見え隠れしており、外に放り出された家具が庭と思しき土地に散らばっていた。
 思い出などあるはずもなく、見るも無惨な姿になったかつての住処。実家とは思えず、ただ雨風を凌ぐためだけに居座っていたのだと思うほどに思い入れがない。始めから人並みの暮らしなど、蕗にはなかった。
 それでも一目だけ見たいと思った。何か記憶に残っているようなもの、自分と母がこの家で暮らしていたという証拠が無いかと。
 玄関先らしき塀の傍に籠を置き、一歩草が生い茂った敷地内に足を踏み入れる。膝近くまで生い茂った草を掻き分けながら進むと、ひしゃげた玄関扉が草に隠れて残っていた。
 当然開けることはできない。しかし人一人分入りそうな穴が扉に空いており、その穴に身体を滑り込ませて中に入った。
 埃の匂い、カビの匂い、腐敗臭など不快な匂いが中には充満している。あの日から、母はどうなったのだろう。誰かに見つけてもらえたのだろうか。
 せめて、家を出る前に母を弔ってあげるべきかと一瞬頭を過ったが、今ではもうどうしようもないことである。
 自分が入れそうな隙間を見つけては入ってを繰り返していると、いつの間にか部屋を抜け庭に出ていた。
 家具や瓦礫やらが散乱した庭はなんとも物騒な見た目である。足元に気を配りつつ庭を歩くと、足元で何かが揺れ動いた。

「あ…………」

 そこにあったのは、真夏だと言うのに生き生きと太陽の光を受けて揺れる一本の蕗だった。
 和加代が誕生日会で贈ってくれた蕗は、残念ながらこの蕗よりは萎れていた。足元で揺れる蕗は季節など関係なく力強く生えていた。

「今は、これくらい明るくなれたかな」

 かつての自分は根暗だったと自分でも思う。見窄らしい見た目とその性格で疫病神だと噂されたのかもしれない。
 だが、今は変わった。一人で生きていく術だけでなく、誰かと共に生きることを知った。一人ではないことを、誰かを頼っていいということを学んだ。
 仁武に出会って、自分は世界の広さ知り、灰色だった世界が色づいたのだ。
 今の自分は、この蕗と同じように季節や現実など関係なく強く生きていける。母は蕗がそうやって生きていけるようにと願ってその名前をつけたのかもしれない。そして、そうなれた気がする。
 庭の真ん中で立ち止まり、目を閉じると集中力が上がり周りの音が鮮明になる。風の音、蝉の鳴き声、子供達の笑い声、それらの音がはっきりと耳に届いた。
 目を開けて空を見上げると、視界いっぱいに青空が広がっている。この空を見られるのも、音が聞こえるのも全ては自分が生きているから。
 自分は今もこの家で生きている。庭に咲く一輪の蕗が枯れない限り、蕗はこの家で母と共に生き続けるのだ。
 たとえ全てを忘れてしまうとしても、覚えている今だけはその証を胸に刻む。