震える手を押さえるように、仁武は強く握り直す。安心させるために彼はこうして優しくしてくれるのに、どうしても安心することができない。
毒虫を奥歯で噛み潰したみたく表情を歪める蕗を前にして、仁武はふっと小さく笑みを落とした。
「なあ、きょーこ。もう話してもいいか?」
「ええ、仁武ちゃんがそれを望むなら」
何故鏡子に許可を取る必要があるのか、話すとは一体何なのか、その真意を汲み取れるほど蕗は器用ではない。
だが、仁武もそれらを隠し通せるほど器用ではなかった。何事にも不器用で隠すことが苦手な仁武に、隠し事ができないことくらい蕗はよく知っている。それは鏡子も同じだ。
「俺が軍に入ろうと思ったのは、蕗がいたからなんだ。俺一人じゃ、きっとばあちゃんが死んだことを受け止めきれなかった。でも蕗が隣りにいてくれたから、俺は受け入れられたんだよ。だからさ、思ったんだ。君を守りたいって」
真っ直ぐと向けられた仁武の瞳は揺らぎなく決意に染まっていた。仁武の決意と覚悟がひしひしと伝わってきて、蕗は何も言うことができず黙り込む。
仁武はずっと前から、それこそ蕗と出会う前から覚悟していたのだ。いつか訪れる戦争、そこへ自分は行かなければならないと分かっていた。戦場に行けば生きては帰れない、帰れる保証など何処にもないと分かっていてもなお、戦場へ行くことを望んだ。
仁武だけではない。小瀧も江波方も戦場に行けば無事に帰ってくるか分からない。特攻隊に志願した芝など、死にに征くようなものだ。
それでも彼らは征く。この国のためにと豪語して。
少しは割り切って受け入れていたつもりだったが、何も理解できていなかったらしい。
何故なら、彼の決意を聞き入れたというのに送り出す言葉の一つも思いつからないから。
「こんなの俺の我が儘でしかないけど、少しでも君が笑っていてくれたらいいんだ」
「笑えるよ。笑ってるよ……」
右手に和加代が贈ってくれた蕗を握り、左手で仁武の手を握り返す。
ようやく絞り出した声は、仁武の言葉を遮って否定する意が混ざった声になってしまった。
本当はこんな事を言いたいわけではない。そう言いたいのに、その言葉だけは上手く声にならなかった。
けれど、もう誤魔化したりなどしない。言葉にしなければ、戦場に行かないでと。死なないでと。
「私だって仁武がいなかったらこうして笑えてなかったよ。貴方と出会ってなかったら、私は死んでたよ。ここまで生きていられなかったよ。死のうとして、でも死ぬ勇気なんてなくて、生きるために盗みをしようとしたら失敗して。十年前、知らない男の人に話しかけられた時にね、私思っちゃったの。やっと死ねるんだって、やっと楽になれるって。でも、その時仁武が現れた。仁武があの地獄から救い出してくれたんだよ。それで、私は……」
言いたいことがもっとたくさんあるはずなのに。言いたいことなんて二の次で、口から溢れ出すのは自分でも思ってもみない言葉ばかり。
思い浮かぶのは、ようやく見つけた幸せな日々ばかりだった。
「まだ生きたいって思っちゃった」
だから貴方にも生きてほしい、なんて言えなかった。
目の前にいる仁武の悲しげな目が自分を見ていた。この目は、一度見たことがある。
まだ出会ったばかりの頃、仁武が新聞配達に行ってから帰ってこないことがなかった。探しに行って丘の上で彼を見つけた時、信じられないといった目で見てきたことを今でも覚えている。
今、向けられている仁武の目はその時と同じだった。
毒虫を奥歯で噛み潰したみたく表情を歪める蕗を前にして、仁武はふっと小さく笑みを落とした。
「なあ、きょーこ。もう話してもいいか?」
「ええ、仁武ちゃんがそれを望むなら」
何故鏡子に許可を取る必要があるのか、話すとは一体何なのか、その真意を汲み取れるほど蕗は器用ではない。
だが、仁武もそれらを隠し通せるほど器用ではなかった。何事にも不器用で隠すことが苦手な仁武に、隠し事ができないことくらい蕗はよく知っている。それは鏡子も同じだ。
「俺が軍に入ろうと思ったのは、蕗がいたからなんだ。俺一人じゃ、きっとばあちゃんが死んだことを受け止めきれなかった。でも蕗が隣りにいてくれたから、俺は受け入れられたんだよ。だからさ、思ったんだ。君を守りたいって」
真っ直ぐと向けられた仁武の瞳は揺らぎなく決意に染まっていた。仁武の決意と覚悟がひしひしと伝わってきて、蕗は何も言うことができず黙り込む。
仁武はずっと前から、それこそ蕗と出会う前から覚悟していたのだ。いつか訪れる戦争、そこへ自分は行かなければならないと分かっていた。戦場に行けば生きては帰れない、帰れる保証など何処にもないと分かっていてもなお、戦場へ行くことを望んだ。
仁武だけではない。小瀧も江波方も戦場に行けば無事に帰ってくるか分からない。特攻隊に志願した芝など、死にに征くようなものだ。
それでも彼らは征く。この国のためにと豪語して。
少しは割り切って受け入れていたつもりだったが、何も理解できていなかったらしい。
何故なら、彼の決意を聞き入れたというのに送り出す言葉の一つも思いつからないから。
「こんなの俺の我が儘でしかないけど、少しでも君が笑っていてくれたらいいんだ」
「笑えるよ。笑ってるよ……」
右手に和加代が贈ってくれた蕗を握り、左手で仁武の手を握り返す。
ようやく絞り出した声は、仁武の言葉を遮って否定する意が混ざった声になってしまった。
本当はこんな事を言いたいわけではない。そう言いたいのに、その言葉だけは上手く声にならなかった。
けれど、もう誤魔化したりなどしない。言葉にしなければ、戦場に行かないでと。死なないでと。
「私だって仁武がいなかったらこうして笑えてなかったよ。貴方と出会ってなかったら、私は死んでたよ。ここまで生きていられなかったよ。死のうとして、でも死ぬ勇気なんてなくて、生きるために盗みをしようとしたら失敗して。十年前、知らない男の人に話しかけられた時にね、私思っちゃったの。やっと死ねるんだって、やっと楽になれるって。でも、その時仁武が現れた。仁武があの地獄から救い出してくれたんだよ。それで、私は……」
言いたいことがもっとたくさんあるはずなのに。言いたいことなんて二の次で、口から溢れ出すのは自分でも思ってもみない言葉ばかり。
思い浮かぶのは、ようやく見つけた幸せな日々ばかりだった。
「まだ生きたいって思っちゃった」
だから貴方にも生きてほしい、なんて言えなかった。
目の前にいる仁武の悲しげな目が自分を見ていた。この目は、一度見たことがある。
まだ出会ったばかりの頃、仁武が新聞配達に行ってから帰ってこないことがなかった。探しに行って丘の上で彼を見つけた時、信じられないといった目で見てきたことを今でも覚えている。
今、向けられている仁武の目はその時と同じだった。



