「誕生日おめでとう、蕗」
膝を折って屈んだ仁武は、そっと蕗の手を取って握った。今では傷だらけ、豆だらけのボロボロの手だけれど、この手が地獄から救い出してくれたのだ。
当然仁武も蕗も、この場にいる皆が成長する。子供の頃よりも大きくなった仁武の手は、昔よりもしっかりと蕗の手を包んだ。
微かに蕗の方が目線が高い。珍しく仁武が蕗を見上げる形となり、何だか妙にむず痒い。けれど決して不快などではなく、むしろ仁武とこうして間近にいられることが嬉しくて堪らなかった。
「お姫様みたいね」
和加代の呟きは、心底嬉しげに弾んだ声をしていた。楽しげな和加代の反面、意味が理解できていない蕗と仁武はぽかんと口を開けて彼女を見ているだけである。
理解できまいと頭を回転させている仁武がおかしかったのか、笑いを零した和加代は年頃の乙女さながらに語り出す。
「蕗ちゃんは絵本を読んだことはある? 特に童話とか」
「見たことはあるけど読んだことはないかな。童話って……ごめん、よく分かんない」
「いいわよ。童話っていうのは子供に読み聞かせたりする物語のことよ」
「その童話がどうしたの?」
蕗の間抜けな問いに和加代はとうとう笑いが堪えられなくなったらしく、肩を揺らして笑い出した。
「今の仁武くんがしていることって、絵本の中の王子様がお姫様にすることとよく似ているのよ」
そう言われて、顔を下げると仁武と目が合った。ボンッと頭が爆発する。バクバクと心臓が暴れ出し、顔は炙られたように熱を帯びて真っ赤に染まり出す。
反射的に仁武の手を強く握れば、彼もまた顔を赤くしてそっぽを向いた。
背後で紬が腹を抱えて笑い出す。ひーひーと呼吸を荒げながら笑う姿は普段の紬とは大違いである。こういう時、鏡子が彼女を窘めたりでもしようものなのだが、揃って笑っているのはもはや清々しい。
言い出しっぺの和加代はというと、馬鹿にするでもなく目を輝かせて蕗と仁武を見ていた。
この空間に彼女達を止められる者はいない。小瀧は微笑んで傍観しているだけで止める素振りはないし、芝は椅子に座って笑いながら見守っていた。
ゲラゲラと笑っている芝達の横で止めるべきかと迷っている江波方が辛うじて動こうとしているが、彼の性分ではそこから動き出せないのが残念である。
こうなれば皆の見せ物になる外なく、ひたすらに言葉に言い表せない感情に振り回されるだけだった。
今日一日は皆に揶揄われて終わる。そう思うと楽しい半面、喜んで良いものかと疑問に思う。
目を閉じ項垂れていると、不意に仁武が強く手を握った。両手で包み込むように握り、額を手に近づける姿は王子が姫に跪いているようにも見える。
「蕗」
はっきりとした声で、仁武は蕗の名前を口にする。顔を上げた仁武の表情は決意に満ちていた。
「俺さ、思うんだ」
いつの間にか紬達の笑い声は鳴りを潜め、ただ静かにことの成り行きを見守っている。
暖かい空気に満ちているはずなのに、仁武の手を握る自分の手が震える。寒いわけではない、ただこの後に何を言われるのか想像ができなくて恐ろしいのだ。
「今あるこの瞬間、それって君がいなかったらなかったんじゃなかったかって」
仁武の声が棘のようにして蕗の胸の奥に突き刺さる。優しい声色なのにどうしてこんなにも苦しいのだろう。



