「友里恵さん!」
店を飛び出してからどれほど走っただろう。息も絶え絶えに彼女を見つけたのは、大きな木が植えられた庭がある一軒家の前だった。
視界の先にいる友里恵は蕗達に背を向けて立っている。その向こう側には別の誰かがいるようだ。背丈は隣に立っている仁武よりも一回りほど小さい。
夜の闇で一瞬誰だか分からなかったが、闇に目が慣れ出した頃、その人物の正体をはっきりと捉えた。
「洸希………? お前、何して………」
仁武の声でようやくこちらの存在に気がついたのか、洸希はゆっくりと首を動かし仁武の方へ向き直る。
その隣に立っている蕗を見るなり、彼はニヤリと口角を上げて笑ってみせた。
月明かりが不気味に洸希と友里恵を照らす。風に乗って何やら鉄錆のような匂いが鼻腔を刺した時、洸希の足元に友里恵が力なく倒れ込んだ。
「友里恵さん!」
蕗が飛び出し、洸希には目もくれずに倒れた友里恵の身体を抱える。
月明かりに照らされた彼女の顔は青白く、口からは泡を吐き出している。そして何より、首筋に刻まれた赤い一本線が目に痛い。
「ひっ……」
「蕗! どうした!?」
駆け寄った仁武が蕗の傍で身を屈める。抱えられた友里恵の顔を覗き込み、彼もまた目を見開く。
力なく項垂れる友里恵、首筋に刻まれた切り傷。友里恵の状態を目にした瞬間、頭の中で毒撒きの疫病神の噂が浮かんだ。
それらが線と線で繋がれた時、仁武の中で一つの確信が形を成す。何もかも、全てが繋がった。
町を脅かしている毒撒きの疫病神の正体とは。
その時、仁武の背後で風を切る鋭い音が鳴った。音が鳴ったと同時に振り返れば、洸希が月明かりで鈍く光る包丁を振り上げている。
「やめろ!」
目を瞑り、訪れようとしている未来を迎え入れる。突然のことで身体は避けきれない。
このまま死ぬのだと、不思議と全てを受け入れることができた。死ぬ時、案外人は何も考えないらしい。
けれど、どれだけ待っても死は訪れず、痛みもなければ衝撃も何も無かった。
「離せ! 俺は、俺は願いを叶えただけなんだ!」
洸希の叫び声と共に目を開けると、振り上げた腕を誰かが受け止めていた。
「江波方さん!?」
仁武の声でその人物が江波方であると認識する。彼は洸希の細い腕をしっかりと掴み、身動きを封じていた。
「やっぱり、お前だったのか……」
「江波方さん、どうしてここに」
江波方が腕から手を離すと、洸希は数歩後ろに下がり、俯いて包丁を握る手を投げ出す。
洸希と蕗達の間に立ち塞がった江波方は、真っ直ぐと洸希を睨みつけている。そのあまりに鋭い視線は、向けられていない仁武ですら怯むほどだ。
「毒撒きの疫病神、この噂を聞いた時から薄々感じていたんだ。軍の中で被害にあった奴は戦争に対して反感を覚えていた。和加代さんのお母さんも旦那さんを戦争で亡くしていて、少なからず恨みの念を抱いていたことだろう。そして、友里恵さんもまた、戦争を恨んでいた」
一見、毒撒きの疫病神によって殺害された人々に共通点はないように思われた。
けれど、決定的な共通点があった。
「お前は、戦争を恨む者や戦争を止めようとする者達を狙ったのだろう」



