歌が歌える猫

天気……朝は空が厚い雲に覆われていて、太陽が見えなかった。お昼になって、ようやく薄日が、雲のすき間から射し込んでくるようになった。しかしそれもつかの間。空はまた厚い雲に覆われて、太陽は見えなくなった。

アーヤーは、シャオパイの別荘に住み込んで、一日中、九官鳥から人の言葉を習うことにした。むろんシャオパイの許可を取った。飼い主さんはまだ帰ってきていないが、シャオパイの許可が得られた以上、アーヤーが別荘に住むことを許してくれるはずだ。それに飼い主さんとぼくは顔見知りだから、ぼくの子どもであるアーヤーが別荘に住み込むことも悪くは思わないだろう。ぼくはそう思っている。
アーヤーがしばらくうちへ帰ってこなくなるのは、ぼくも妻猫も寂しいが、ぼくは毎日、午後になるとアーヤーと会うことができた。九官鳥とアーヤーは毎日、午後になると、連れ立って翠湖公園にやってきて、東門の近くで、新聞売りのお年寄りの売り声を何度も何度も聞いているからだ。日が暮れて新聞売りのお年寄りが帰ったあと、アーヤーと九官鳥は別荘に帰り、九官鳥は頭に残っている売り声を何度も何度も声に出して真似している。アーヤーにはまだ真似は無理なので、九官鳥の口の動きを見ているだけだそうだ。朝になると、九官鳥は、アーヤーに声の出し方を教えている。練習は大変だけど、頑張っているとアーヤーが話していた。
アーヤーと九官鳥が翠湖公園から別荘に帰っていったあと、ぼくは老いらくさんと出会った。
「アーヤーは、どうしているか」
老いらくさんが聞いた。
「頑張っています。人の声が話せるようになるために、九官鳥に師事して頑張っています」
ぼくは、そう答えた。
「そうか。頑張っているか。どんなことでも成果をあげるためには、見えないところで長い時間、地道な努力を積み重ねていかなければならないので、大変だが、頑張ることはよいことだ。頑張らなければ、才能があっても大成できないし、頑張ることで不足している才能を補うこともできる」
老いらくさんが、そう言った。
「ぼくもそう思います。はっきり言って、アーヤーに人の言葉が話せるようになる才能はゼロだと思います。それでもあきらめないで頑張ることで、神様から奇跡というプレゼントを与えられるかもしれない。ぼくはそう思っています」
「そうかもしれないな」
老いらくさんが、うなずいていた。
「九官鳥が人の声真似ができることは誰でも知っているが、できるようになるためには何百回も何千回も聞いたり、話したりしているとは、誰も思っていないだろう。つい最近まで、わしも思っていなかった。九官鳥は生まれつき声真似の才能があるから練習しなくても簡単にできるものとばかり思っていた。ところがそうではなかったことを知って、とても感動した」
老いらくさんが、そう言った。
「才能がないと思っても、あきらめたり、ほかのことに目標を変えたりしないで、とことんやってみる。そうしたら、不可能なことは、ほとんどないのでしょうか」
ぼくは老いらくさんに聞いてみた。
「そうだと思う。根気よくやりさえすれば、たいていのことはできるようになる。『石の上にも三年』というではないか」
老いらくさんが、ことわざを引用して、そう言った。老いらくさんは、ことわざをたくさん知っているので、話のなかに、ことわざがよく出てくる。老いらくさんの話に説得力があるのは、ことわざを引用して、生き方の大切なポイントを、こんこんと、さとしてくれるからだ。老いらくさんは、そのあと、妻猫のことを、引き合いに出した。
「卑近な例をあげれば、お前の奥さんがいい例ではないか。お前の奥さんは、どうしてあんな高い白玉塔のてっぺんに登ることができたのだ。おまえは登れないだろう」
ぼくは、うなずいた。
白玉塔と言えば、翠湖公園のシンボルタワーで、公園のなかで一番目立つ高い塔だ。白玉塔のてっぺんに登りたいと、どの猫もみんな思っていたが、登ることができたのは、妻猫だけだった。こわくて登ることができなかったからだ。妻猫の勇気ある行為と、優れた技量を、ぼくは称えた。しかしぼく以外のすべての猫は、称えることはしないで、逆に、ひどくねたんでいた。自分にできないことを成し遂げた妻猫をねたんで、よそよそしい態度をとって、妻猫を仲間外れにした。ほかの猫ができなかったことを妻猫だけができたのは、特別な才能に恵まれていたからではない。運に恵まれて、偶然できたのでもない。毎日、ひとしれず地道な努力を積み重ねてきたからだ。ぼくたちがぐっすり寝ている夜更けに、妻猫はそっと起き出して、翠湖公園に行き、白玉塔の上に登る練習を繰り返しておこなっていた。月と星、そして老いらくさんだけがその様子を見ていた。
ぼくたちは、誰でもみな成功したいと思っている。どうしたら成功することができるかについて、ぼくはこれまで、ひとりで何度も考えてきた。老いらくさんとも何度も話し合ってきた。結論はいつも同じだった。「やろうと思ったことを、ただひたすら、何度も繰り返して一生懸命練習し、最後まであきらめないこと。それが成功の秘訣だ」
ぼくも老いらくさんもそう思っている。口で言うのは簡単だが、実際にやってみると、とても難しい。九官鳥とアーヤーが今、練習している新聞の売り声も同じだ。
「人民日報、ローカル新聞、ビジネス新聞」
九官鳥とアーヤーは毎日、何度も何度も、この売り声を聞いて、何度も何度も練習している。熱心さには感心するが、熱心さが、まわりに迷惑をかけることもある。シャオパイが、最近、ぼくに会うたびに、愚痴をこぼすようになった。
「毎日、うるさくてたまらないよ。耳ざわりで我慢できない。頭がどうかなりそう」
ぼくはそれを聞いて、シャオパイにわびるよりほかなかった。
「おまえの気持ちは、よく分かるよ。ごめん」
シャオパイの愚痴を、ぼくは九官鳥とアーヤーにも伝えた。
「悪いとは思うが、一日も早く、売り声を習得したいと思っているのだ」
九官鳥がそう答えた。
「私もシャオパイにすまないと思っているわ。でも早く売り声を覚えて、あの障害者のお年寄りを助けたいの」
アーヤーはそう言った。
九官鳥とアーヤーの気持ちを、ぼくはシャオパイに伝えた。
九官鳥は練習のし過ぎで、口から血が出ていた。アーヤーは、声がかすれていた。
「あまり無理をし過ぎないようにしなさい。体をこわしたら、練習できなくなってしまうから」
ぼくは、アーヤーと九官鳥に、いつもそう言っている。
ぼくは毎日、午後になるとすぐ、翠湖公園の東門に行って、アーヤーと九官鳥がやってくるのを待っている。今日も行った。新聞売りの元気なお年寄りが、いつものように、そこにいて、新聞を売っているからだ。お年寄りの元気な声を聞くと、ぼくも元気をもらえるような気がする。でも今日はお年寄りは大きな売り声を出さずに、ひっきりなしに、せきをしていた。そのためか新聞を買いにやってくる人がいつもよりとても少なかった。
しばらくしてから九官鳥とアーヤーがやってきた。九官鳥は木の枝に留まった。アーヤーは、ぼくの近くにやってきた。
「お父さん、あのお年寄りは、今日はどうして、威勢のいい売り声を出さないの」
アーヤーが、ぼくに聞いた。
「どうやら風邪をひいたようだ」
ぼくは、そう答えた。
「声があまり出ないから、新聞が売れていない」
ぼくがそう言うと、アーヤーがうなずいた。
新聞売りのお年寄りは、これではいけないと思ったのか、無理をして声を出そうとしていた。ゴホン、ゴホンと、せきをしてから、のどの奥を開いて
「人民日報、ローカル新聞、ビジネス新聞」
と、苦しそうに声をしぼり出していた。そのあと、「ハハハ、ハクショーン」と、大きなくしゃみをした。いつもは京劇のなかに出てくるせりふのような抑揚をつけて楽しそうに売っているが、今日は声を出すのが精いっぱい。声に抑揚をつける余裕はなく、気分が悪そうな顔をしながら、無理やり、声を出していた。
そのとき、どこからか不意に
「人民日報、ローカル新聞、ビジネス新聞」
「人民日報、ローカル新聞、ビジネス新聞」
という売り声が聞こえてきた。
(えっ)
ぼくは、びっくりした。新聞売りのお年寄りは、ぼく以上に、びっくりして、口をぽかんと開けて、あたりを、きょろきょろ見回していた。あたりに人は誰もいなかった。お年寄りは、手をのどに当てて、自分の声ではないことを確かめてから、小首をかしげていた。
聞こえてくる売り声は、お年寄りの売り声とそっくりだった。声に抑揚があって、節回しが滑らかで歌っているように美しかった。
お年寄りは再び、あたりを、きょろきょろと見回して、どこから聞こえてくるのか声の主を探そうとしていた。声の主を探し当てる前に、お年寄りの周りには、もうすでに新聞を買いに来た人たちがたくさん集まってきていた。思ってもいなかったことが起こり、お年寄りは、訳が分からずにきょとんとしていた。それでも新聞が飛ぶように売れていったので、お年寄りは、猫の手も借りたいほど、ばたばたしていた。
「人民日報、ローカル新聞、ビジネス新聞」
「人民日報、ローカル新聞、ビジネス新聞」
売り声とともに、新聞を買いに来る人の数が、ますます多くなっていった。そしてみんな不思議そうな顔をしていた。新聞売りのお年寄りが声を出していないのに、どこからか新聞の売り声が聞こえていたからだ。
「おじいさんは、テープレコーダーを持っているのかな」
「いや、どこにも見当たらないよ」
「たぶん、どこかに隠しているのだよ」
新聞を買いに来た人たちは、思い思いのことを話していた。
お年寄りは、当て推量を聞いて、くすくすと、含み笑いを浮かべていた。お年寄りは新聞を買いに来た人たちよりももっと不思議な気持ちで、どこからか聞こえてくる声を聞いていた。
ともあれ新聞はまたたくまに、売り切れてしまった。お年寄りが忙しく、後片付けをしているときに、九官鳥が木の上から降りてきて、ぼくたちのところにやってきた。
「あなたは、本当にすごいです」
ぼくはそう言って、九官鳥の功績をたたえた。九官鳥のくちばしには、うっすらと血がにじんでいた。
「大丈夫ですか」
ぼくは心配して、そう聞いた。
「大丈夫だよ。気遣ってくれてありがとう」
九官鳥が、そう答えた。
「それにしても、本当に素晴らしいです」
「いやいや、まだ、これくらいでは、たいしたことはない。これくらいはおれの守備範囲だからな。朝飯前だよ」
九官鳥がそう答えた。
「おまえの子どもに教えることができたときに、初めて、ひとかどの仕事ができたと、おれは思っている。それまでは有頂天になるわけにはいかない」
九官鳥の殊勝な心がけに、ぼくは感じ入った。
「これから西門に行こう」
九官鳥がそう言った。九官鳥の気持ちが、ぼくには分かった。西門の前には、言葉が話せない障害者のお年寄りがいるので、新聞を売って助けてあげようと思っているのだろう。
それからまもなく、ぼくたちは西門の前に着いた。思っていたとおり、言葉が話せないお年寄りが、そこにいて、新聞を売ろうとしていた。新聞は、ほとんど売れていなくて、お年寄りの前には、新聞が山のように積まれたままだった。お年寄りは、やるせなさと憂いに沈んだ目で、道行く人たちを見ていた。道行く人たちは、見て見ぬふりをして、足早にお年寄りの前を通り過ぎていた。
「人民日報、ローカル新聞、ビジネス新聞」
「人民日報、ローカル新聞、ビジネス新聞」
九官鳥はお年寄りの後ろにある木の上に留まって、売り声を出した。京劇のなかに出てくるせりふのように、抑揚をつけながら、正しい発音で滑らかに話していた。その声に引き寄せられるように、道行く人たちがお年寄りの前にたくさんやってきて、先を争うようにして、新聞を買っていった。新聞の売り声が木の上から聞こえることに気がついた人もいたが、九官鳥は葉陰に姿を隠して姿を見せなかったので、道行く人たちは、九官鳥の声だとは気がついていなかった。お年寄りが木の上に置いたテープレコーダーから売り声が聞こえているのだとばかり思っていたようだ。
お年寄りは、言葉が話せないだけでなくて、耳も聞こえなかったので、九官鳥の売り声は耳に入っていなかった。そのためにどうして急に、道行く人たちがたくさんやってきて、新聞を買っていったのか、さっぱり見当もつかないでいた。お年寄りは、夢でも見ているのではないかと思って、ぼーっとした顔をしていた。