天気……昨夜は一晩中風が吹いて、雨も降った。今日は黄砂は、ほとんど見られなかった。それでもまだ空がけむっていて、ぼーっとしていた。
ぼくはずっとアーヤーのことを心配していた。九官鳥から言われた手厳しい批判が、アーヤーのけなげな心に、針のように鋭く突き刺さっているかもしれないと思ったからだ。九官鳥から破門されたことはアーヤーの心に少なからず影響を与えたことは確かな
ようだ。しかし、それでもあまり気にしないで、これからは、マイペースでやっていこうと、アーヤーは思っているようだった。
朝起きると、アーヤーはご飯を食べてから、そわそわと出かける準備を始めていた。
「今日も、翠湖公園の西門で、お年寄りを手伝って、新聞を売るわ」
アーヤーが、そう言った。
「そうか。頑張れよ」
ぼくがそう言うと、アーヤーがうなずいた。
「夜はどうするのか。病院に行くのか」
と、アーヤーに聞いた。
「もちろんよ。依依のお母さんがまだ意識を取り戻していないから、行かないわけにはいかないじゃない」
アーヤーが真面目な顔で、そう言った。それを聞いて、ぼくは、ほっとした。
九官鳥から雑音と言われたことで、歌うことに自信を失って、もしかしたら、もう病院に行って歌わないと言うかもしれないと思っていたからだ。
老いらくさんが昨日、ぼくに聞いた問いを、今度は、ぼくがアーヤーに投げかけた。
「おまえは、依依のお母さんに歌を聞かせることで、意識を回復させることができると、本当に思っているのか」
「分からないわ。でも依依は歌の力でお母さんの意識を回復させることができると思っているわ。だからわたしも、そう思うことにしているの」
アーヤーが、そう答えた。
「そうか。じゃあ、頑張れよ」
ぼくはそう言って、アーヤーを励ましてあげた。
それからまもなく、ぼくとアーヤーは、うちを出て、公園の西門の前に行った。アーヤーは、いつものように障害者のお年寄りを手伝って、新聞を売り、ぼくは少し離れたところから、アーヤーの働きぶりを見ていた。アーヤーが新聞を全部売り上げると、ぼくはアーヤーと一緒に、うちへ帰り、昼ご飯を食べてから、ひと休みした。夜が更けると、ぼくとアーヤーは病院へ行った。ぼくは病室の入口の前で見張り役をして、アーヤーは、ベッドの上で『鲁冰花(ルピナス)の花』を歌った。
♪
毎晩、母の言葉を思い出す
懐かしくて涙が出る
涙はルピナスの花のように
きらきらと輝きながら
ほおを伝わって流れる
夜空の星を見上げながら
母に語りかける
星は何も答えないが
降り注ぐ星の光に
母の愛を感じる
母の愛はルピナスの花のように
きらきらと輝いている
故郷の茶畑にルピナスの花が咲くころ
母とともに過ごした母の日
あー、あの日がとても懐かしい
母の愛は永遠に輝き続け
永遠にわたしを見守り続ける
……
歌を歌い終えたばかりのとき、アーヤーが
「あっ、お父さん、ほら、ちょっと見て」
と、言った。
「どうしたのだい?」
ぼくは、けげんに思って聞き返した。
「お母さんのまつ毛が、かすかに、ぴくぴく動いているわ」
アーヤーが、そう言った。
「えっ、本当か?」
ぼくはびっくりして、入口の前から走ってきて、ベッドの上に飛び上がった。お母さんの顔を見ると、確かに、まつ毛が、かすかに、ぴくぴく動いていた。いままで、こんなことはなかった。ぼくもアーヤーも感激で胸が震えた。
「奇跡だ。奇跡が起きた。お母さんが意識を回復する可能性が出てきた」
ぼくは興奮して高ぶった気持ちを抑えることができなかった。
ぼくのうわずった声を聞いて、アーヤーは涙をぽろぽろ流し始めた。それを見て、ぼくも思わず、もらい泣きをせずにはいられなかった。
「よかった、よかった」
「歌の力で奇跡が起きた。わたしの歌の力で奇跡が起きた」
ぼくとアーヤーは肩を抱き合って泣き続けた。
泣きながら、ぼくはテーブル台の上にある鉢植えにふっと目をやった。すると、鉄砲ユリのつぼみが大きく膨らんでいて、もう少しで咲こうとしていた。
(お母さんの意識の回復が近いのを知って、鉄砲ユリもうれしくなって、咲こうとしているのかもしれない)
ぼくはそう思った。アーヤーも鉄砲ユリが咲こうとしているのに気がついて、明るい顔をしていた。
「この花は鉄砲ユリだけれども、おまえは、ルピナスの花を知っているか」
ぼくはアーヤーに聞いた。
「ううん、知らない。どんな花なの。わたしはこれまで『鲁冰花(ルピナス)の花』を何度も歌ってきたけど、どんな花なのか、全然知らないでいるの。翠湖公園にも、この花がありますか」
アーヤーが聞いた。ぼくは首を横に振った。
「ルピナスの花は観賞用の花ではないので、翠湖公園にはないよ」
「じゃあ、どこにあるの」
「歌にもあるように茶畑にあるよ」
ぼくはそう答えた。
「春になると茶畑のなかで、ルピナスの花が咲いて、花がしおれると土のなかにすき込
まれて、お茶の木を育てるための肥料となる。公園で多くの人に観賞されることはなく、茶畑のなかで、楚々として咲いている花、それがルピナスの花だ」
ぼくの説明に、アーヤーは耳を傾けていた。
「ひかえめで、利己的な欲望はなく、ひたすら、ほかのものを生かすために献身的に生きる花として、ルピナスの花は人々の心のなかに深く根づいている。そのためにルピナスの花は、この世で一番利他的な愛の象徴となっている。その愛とは何だか分かるか」
ぼくはアーヤーに聞いた。
「分かるわ。母性愛でしょ」
アーヤーがすぐにそう答えた。さすが聡明なアーヤーだけあって、よく分かっている。ぼくは感心した。
「あの歌には、お母さんを思う気持ちがたくさん込められているけど、どうしてルピナスの花なのか、これまでよく分からないでいたわ。でもお父さんの話を聞いて、目からうろこが落ちたようだわ」
アーヤーが、にこやかな顔をして、そう答えた。
「人や動物が生きているのは、みんなお母さんのおかげだ。お母さんが生んでくれたから生きていられる。依依が生きているのは、それだけではない。交通事故が起きたときに、お母さんが命がけで助けてくれたおかげだ。そのためにお母さんへの感謝の気持ちが、普通の子ども以上に強くて、あの歌を歌っているのだと思う」
ぼくは、そう言った。
「そうだね。わたしも、そう思っているわ。依依があの歌を歌っていたのは、ただ単に、お母さんの愛唱歌で、よく歌ってくれた歌だからではない。もっと深い意味をこめて歌っていたのだわ」
アーヤ―がそう答えた。ぼくは、うなずいた。
ルピナスの花の特性を知ったアーヤーは、お母さんの耳元で、再び『鲁冰花(ルピナス)の花』を歌い始めた。アーヤーはこれまでは依依が歌う『鲁冰花(ルピナス)の花』を口真似しながら歌っていたが、今日はちがっていた。ルビナスの花がどんな花なのか知ったことで、歌にさらに深みが加わって、味わい深く歌っているように聞こえたからだ。
涙を流さずには聞いていられないほど情感のこもったアーヤーの歌を聞きながら、ぼくは、依依のお母さんの顔の表情をじっと見ていた。
そのとき、お母さんの目から涙が出ていることに気がついた。
「あれっ、ほら見て。お母さんの目から涙が出ている」
ぼくがそう言うと、アーヤーが途中で歌うのをやめて、お母さんの顔をのぞきこんでいた。
「本当だ。お母さんが泣いている。お母さんに感情が戻ってきたのだ」
「そうだね。もしかしたら、もうすぐ目を開けるかもしれないよ」
「そうだね。わたし、とてもうれしいわ」
「お父さんもうれしいよ。でも今はまだ目を開けないでほしいな」
「どうして?」
アーヤーが、けげんそうな顔をして、ぼくに聞き返した。
「長い眠りから覚めたあと、最初に見えるものは、ぼくたちではなくて、お母さんが一番愛している依依であってほしいと思っているからだ」
ぼくはそう答えた。アーヤーがうなずいた。
「わたし、お母さんのために、もう一度、『鲁冰花(ルピナス)の花』を歌ってあげようかしら」
「いいね。今はまだ、お母さんの目が開いていないから、まさか猫が歌っているとは思ってもいないだろうな。依依が歌っているのだとばかり思っているだろうから、依依になりきって歌いなさい」
「ええ、そうするわ」
アーヤーは、そう答えると、再び心をこめて、『鲁冰花(ルピナス)の花』を歌い始めた。
アーヤーの歌を聞きながら、お母さんの目から涙が、とめどもなく流れていた。
ぼくはずっとアーヤーのことを心配していた。九官鳥から言われた手厳しい批判が、アーヤーのけなげな心に、針のように鋭く突き刺さっているかもしれないと思ったからだ。九官鳥から破門されたことはアーヤーの心に少なからず影響を与えたことは確かな
ようだ。しかし、それでもあまり気にしないで、これからは、マイペースでやっていこうと、アーヤーは思っているようだった。
朝起きると、アーヤーはご飯を食べてから、そわそわと出かける準備を始めていた。
「今日も、翠湖公園の西門で、お年寄りを手伝って、新聞を売るわ」
アーヤーが、そう言った。
「そうか。頑張れよ」
ぼくがそう言うと、アーヤーがうなずいた。
「夜はどうするのか。病院に行くのか」
と、アーヤーに聞いた。
「もちろんよ。依依のお母さんがまだ意識を取り戻していないから、行かないわけにはいかないじゃない」
アーヤーが真面目な顔で、そう言った。それを聞いて、ぼくは、ほっとした。
九官鳥から雑音と言われたことで、歌うことに自信を失って、もしかしたら、もう病院に行って歌わないと言うかもしれないと思っていたからだ。
老いらくさんが昨日、ぼくに聞いた問いを、今度は、ぼくがアーヤーに投げかけた。
「おまえは、依依のお母さんに歌を聞かせることで、意識を回復させることができると、本当に思っているのか」
「分からないわ。でも依依は歌の力でお母さんの意識を回復させることができると思っているわ。だからわたしも、そう思うことにしているの」
アーヤーが、そう答えた。
「そうか。じゃあ、頑張れよ」
ぼくはそう言って、アーヤーを励ましてあげた。
それからまもなく、ぼくとアーヤーは、うちを出て、公園の西門の前に行った。アーヤーは、いつものように障害者のお年寄りを手伝って、新聞を売り、ぼくは少し離れたところから、アーヤーの働きぶりを見ていた。アーヤーが新聞を全部売り上げると、ぼくはアーヤーと一緒に、うちへ帰り、昼ご飯を食べてから、ひと休みした。夜が更けると、ぼくとアーヤーは病院へ行った。ぼくは病室の入口の前で見張り役をして、アーヤーは、ベッドの上で『鲁冰花(ルピナス)の花』を歌った。
♪
毎晩、母の言葉を思い出す
懐かしくて涙が出る
涙はルピナスの花のように
きらきらと輝きながら
ほおを伝わって流れる
夜空の星を見上げながら
母に語りかける
星は何も答えないが
降り注ぐ星の光に
母の愛を感じる
母の愛はルピナスの花のように
きらきらと輝いている
故郷の茶畑にルピナスの花が咲くころ
母とともに過ごした母の日
あー、あの日がとても懐かしい
母の愛は永遠に輝き続け
永遠にわたしを見守り続ける
……
歌を歌い終えたばかりのとき、アーヤーが
「あっ、お父さん、ほら、ちょっと見て」
と、言った。
「どうしたのだい?」
ぼくは、けげんに思って聞き返した。
「お母さんのまつ毛が、かすかに、ぴくぴく動いているわ」
アーヤーが、そう言った。
「えっ、本当か?」
ぼくはびっくりして、入口の前から走ってきて、ベッドの上に飛び上がった。お母さんの顔を見ると、確かに、まつ毛が、かすかに、ぴくぴく動いていた。いままで、こんなことはなかった。ぼくもアーヤーも感激で胸が震えた。
「奇跡だ。奇跡が起きた。お母さんが意識を回復する可能性が出てきた」
ぼくは興奮して高ぶった気持ちを抑えることができなかった。
ぼくのうわずった声を聞いて、アーヤーは涙をぽろぽろ流し始めた。それを見て、ぼくも思わず、もらい泣きをせずにはいられなかった。
「よかった、よかった」
「歌の力で奇跡が起きた。わたしの歌の力で奇跡が起きた」
ぼくとアーヤーは肩を抱き合って泣き続けた。
泣きながら、ぼくはテーブル台の上にある鉢植えにふっと目をやった。すると、鉄砲ユリのつぼみが大きく膨らんでいて、もう少しで咲こうとしていた。
(お母さんの意識の回復が近いのを知って、鉄砲ユリもうれしくなって、咲こうとしているのかもしれない)
ぼくはそう思った。アーヤーも鉄砲ユリが咲こうとしているのに気がついて、明るい顔をしていた。
「この花は鉄砲ユリだけれども、おまえは、ルピナスの花を知っているか」
ぼくはアーヤーに聞いた。
「ううん、知らない。どんな花なの。わたしはこれまで『鲁冰花(ルピナス)の花』を何度も歌ってきたけど、どんな花なのか、全然知らないでいるの。翠湖公園にも、この花がありますか」
アーヤーが聞いた。ぼくは首を横に振った。
「ルピナスの花は観賞用の花ではないので、翠湖公園にはないよ」
「じゃあ、どこにあるの」
「歌にもあるように茶畑にあるよ」
ぼくはそう答えた。
「春になると茶畑のなかで、ルピナスの花が咲いて、花がしおれると土のなかにすき込
まれて、お茶の木を育てるための肥料となる。公園で多くの人に観賞されることはなく、茶畑のなかで、楚々として咲いている花、それがルピナスの花だ」
ぼくの説明に、アーヤーは耳を傾けていた。
「ひかえめで、利己的な欲望はなく、ひたすら、ほかのものを生かすために献身的に生きる花として、ルピナスの花は人々の心のなかに深く根づいている。そのためにルピナスの花は、この世で一番利他的な愛の象徴となっている。その愛とは何だか分かるか」
ぼくはアーヤーに聞いた。
「分かるわ。母性愛でしょ」
アーヤーがすぐにそう答えた。さすが聡明なアーヤーだけあって、よく分かっている。ぼくは感心した。
「あの歌には、お母さんを思う気持ちがたくさん込められているけど、どうしてルピナスの花なのか、これまでよく分からないでいたわ。でもお父さんの話を聞いて、目からうろこが落ちたようだわ」
アーヤーが、にこやかな顔をして、そう答えた。
「人や動物が生きているのは、みんなお母さんのおかげだ。お母さんが生んでくれたから生きていられる。依依が生きているのは、それだけではない。交通事故が起きたときに、お母さんが命がけで助けてくれたおかげだ。そのためにお母さんへの感謝の気持ちが、普通の子ども以上に強くて、あの歌を歌っているのだと思う」
ぼくは、そう言った。
「そうだね。わたしも、そう思っているわ。依依があの歌を歌っていたのは、ただ単に、お母さんの愛唱歌で、よく歌ってくれた歌だからではない。もっと深い意味をこめて歌っていたのだわ」
アーヤ―がそう答えた。ぼくは、うなずいた。
ルピナスの花の特性を知ったアーヤーは、お母さんの耳元で、再び『鲁冰花(ルピナス)の花』を歌い始めた。アーヤーはこれまでは依依が歌う『鲁冰花(ルピナス)の花』を口真似しながら歌っていたが、今日はちがっていた。ルビナスの花がどんな花なのか知ったことで、歌にさらに深みが加わって、味わい深く歌っているように聞こえたからだ。
涙を流さずには聞いていられないほど情感のこもったアーヤーの歌を聞きながら、ぼくは、依依のお母さんの顔の表情をじっと見ていた。
そのとき、お母さんの目から涙が出ていることに気がついた。
「あれっ、ほら見て。お母さんの目から涙が出ている」
ぼくがそう言うと、アーヤーが途中で歌うのをやめて、お母さんの顔をのぞきこんでいた。
「本当だ。お母さんが泣いている。お母さんに感情が戻ってきたのだ」
「そうだね。もしかしたら、もうすぐ目を開けるかもしれないよ」
「そうだね。わたし、とてもうれしいわ」
「お父さんもうれしいよ。でも今はまだ目を開けないでほしいな」
「どうして?」
アーヤーが、けげんそうな顔をして、ぼくに聞き返した。
「長い眠りから覚めたあと、最初に見えるものは、ぼくたちではなくて、お母さんが一番愛している依依であってほしいと思っているからだ」
ぼくはそう答えた。アーヤーがうなずいた。
「わたし、お母さんのために、もう一度、『鲁冰花(ルピナス)の花』を歌ってあげようかしら」
「いいね。今はまだ、お母さんの目が開いていないから、まさか猫が歌っているとは思ってもいないだろうな。依依が歌っているのだとばかり思っているだろうから、依依になりきって歌いなさい」
「ええ、そうするわ」
アーヤーは、そう答えると、再び心をこめて、『鲁冰花(ルピナス)の花』を歌い始めた。
アーヤーの歌を聞きながら、お母さんの目から涙が、とめどもなく流れていた。

