天気……今日は大晦日で、明日はお正月だ。外ではひらひらと雪が舞っている。新しい年がよい年であるように、神様が真っ白い雪を天からプレゼントしてくださっているように思える。新しい年に、みんなのそれぞれの願いが実現できたらいいなあと、ぼくは雪を見ながら思っていた。
今日はまた気温が下がって、雪が降った。宝石のようにきれいな雪が、花びらのようにしなやかに舞いながら、ひらひらと降っていた。雪は大地を白一色の世界に美しく染めていった。
今年ももうすぐ終わろうとしている。今日は大晦日。一年で最後の日だ。大地を覆いつくしながら、静かに降りしきる雪を見ていると、行く年を送り、来る年を迎えるために神様がおこなっている神聖なセレモニーのように思えた。
アーヤーは昨日の夜、九官鳥のあとを追って、シャオパイの別荘に行った。九官鳥が、とても感情を高ぶらせていて、忘れないうちに帰ったらすぐ練習すると言っていたから、おそらく九官鳥もアーヤーも昨夜は寝ないで歌の練習をしたに違いないと、ぼくは思った。熱心なのはいいのだが、もしアーヤーがのどをまた痛めて、この前と同じように声が出なくなってしまったら、どうしようと思って、ぼくはそのことをとても心配していた。もし本当にそうなってしまったら、障害者のお年寄りの新聞売りを手伝ってあげることができなくなるからだ。ぼくは、気になってしかたがなかったので、夜が明けて、朝ご飯を食べるとすぐに、うちを出て、公園の西門をめざして走っていった。雪で覆われた公園の至る所に、新年を迎えるための華やかな絵や文字が飾りつけられていた。木の上には赤いちょうちんもつりさげられていて、公園全体が祝賀ムードに包まれていた。
きれいな飾りや雪景色を見ながら、西門の近くまで走ってきたとき、遠くから、不意に歌声のようなものが、かすかに聞こえてくるのを耳にした。
(何だろう、あの歌は)
ぼくは、そう思って、さらに足を速めて、歌が聞こえてくるほうに近づいていった。
近づくにつれて、歌がはっきりと聞こえてきた。『鲁冰花(ルビナス)の花』だった。
(えっ、誰が歌っているのか。公園を散策している人だろうか、それとも、九官鳥だろうか)
ぼくは気になってたまらなかったので、さらに足を速めて、西門のすぐ前まで全速力で走っていった。西門のすぐ横にある木の上にアーヤーと九官鳥がいるのが見えた。上を見上げながら、ぼくはアーヤーに聞いた。
「さっき、『鲁冰花(ルピナス)の花』という歌が聞こえたが、あれは誰が歌っていたのか。九官鳥か」
「ええ、そうよ」
アーヤーが、うなずいた。
「そうか。たいしたものだ」
ぼくはそう答えた。
「おまえは、まだ全然歌えないだろうな」
ぼくがそう言うと、アーヤーが少し、むっとしたような顔をして、
「そんなことはないわ。ちょっとだけなら歌えるわ」
と、言った。
「そうか。それなら、お父さんに聞かせてくれないか。下手でもかまわないから」
ぼくはアーヤーにそう言った。
「分かったわ」
アーヤーはそう答えると、のどの調子を整えてから歌い始めた。一生懸命歌ってくれたが、言葉がぽつんぽつんと途切れていたし、旋律も上がり下がりがうまくできていなかった。どう聞いても『鲁冰花(ルピナス)の花』には聞こえなかった。でもアーヤーが人の歌を少しでも真似することができるようになったのは、たいしたものだし、奇跡としか言いようがなかった。
「アーヤー、大丈夫だよ。心配しなくていいよ。もっと練習すれば、もっと上手になるよ」
ぼくはそう言って、アーヤーを励ました。ぼくはそのあと九官鳥にお願いして、『鲁冰花(ルピナス)の花』を歌ってもらった。言葉のイントネーションも旋律も正しくて、それに歌詞の情感を的確に理解していて、まさに非の打ちどころないほど完璧だった。病院に一度だけ行って、その歌を聞いただけなのに、ここまで上手に歌えるようになるとは、九官鳥の天賦の才能に、ぼくはあらためて感服せざるにはいられなかった。歌い終わったとき、九官鳥がぼくに
「どうだい、おれの歌は。うまいだろう」
と、聞いた。
「確かにうまいです。すごいです。わずか一晩の練習で、ここまで完璧に歌えるようになるとは思ってもいませんでした。天才です。誰も追随できるものはいません」
ぼくがそう言うと、九官鳥は、にんまりしていた。
「でも、あえて一つだけ言わせていただければ、依依の声とはちがっています」
ぼくがそう言うと、九官鳥は口をとがらせて、ぼくに聞き返してきた。
「どのようにちがうのか」
「アーヤーの声は、もっと女の子らしい声です」
ぼくはそう答えた。
「そうか。それなら今度は少女っぽい声で歌ってみよう」
九官鳥はそう言ってから、『鲁冰花(ルピナス)の花』をもう一度、歌い始めた。
♪
毎晩、母の言葉を思い出す
懐かしくて涙が出る
涙はルピナスの花のように
きらきらと輝きながら
ほおを伝わって流れる
夜空の星を見上げながら
母に語りかける
星は何も答えないが
降り注ぐ星の光に
母の愛を感じる
母の愛はルピナスの花のように
きらきらと輝いている
故郷の茶畑にルピナスの花が咲くころ
母とともに過ごした母の日
あー、あの日がとてもなつかしい
母の愛は永遠に輝き続け
永遠にわたしを見守り続ける
……
今度は十分に女の子が歌っている声のように聞こえた。でも注意深く聞いていると、九官鳥の声は、依依が歌っている声とは、まだどこか、若干、ちがっているように思えた。そのことを九官鳥に言うと、九官鳥は、口をとがらせて
「どこがどうちがうのだ。同じだろう」
と言った。
「はっきりとは、ぼくにも分かりませんが、あなたは、あの部屋に、一晩いただけですから、いくら天才とは言っても、依依とそっくりな声がすぐに出せるわけがないですよ。一概に少女の声と言っても、千差万別ですから」
ぼくはそう答えた。九官鳥がうなずいた。
「そう言われれば、確かにそうかもしれないな。そっくりに真似することは難しいし、
この世に、いとも簡単にできることなど何もないからな」
九官鳥は、ぼくの指摘を聞いて、今度は素直に受け入れてくれた。
「あの新聞の売り声も、おれもアーヤーも何日も練習して、やっとできるようになったのだ。アーヤーは、のどを痛めて、声が出なくなってしまったが、それくらい練習しなければ、ものごとは何でもうまくいくものではない。発声の基礎ができて、定着したら、あとは、だんだん上達するのが早くなっていく。おれの経験から、そう思っている」
九官鳥がそう言った。ぼくは、うなずいた。
それからまもなく、アーヤーは、ぼくや九官鳥とのおしゃべりをやめて、新聞をまた売り始めた。
「人民日報、ローカル新聞、ビジネス新聞」
「人民日報、ローカル新聞、ビジネス新聞」
ぼくたちがおしゃべりをしたり、歌を歌っていたときには、新聞は一時、滞っていたが、アーヤーの声が再び響いたあと、新聞はまた飛ぶように売れていった。そしてお昼前には全部売り切れてしまった。お年寄りは今日もまた満足そうな顔をしながら、うちへ帰っていった。
午後、ぼくとアーヤーと九官鳥は再び、病院へ行った。明日は元旦なので、入院患者のなかには、新年を自宅で祝うために、うちへ帰る準備をしている人たちがいた。すでにもううちへ帰った人もいて、救急病棟以外の病室は、いつも以上に静かだった。
ぼくとアーヤーと九官鳥は、人に気づかれないように気をつけながら、うまく三〇七号室に入ることができた。ぼくとアーヤーは窓にかけられているカーテンの後ろに隠れた。九官鳥は部屋の上部に設置されているエアコンの後ろに隠れた。ぼくもアーヤーも九官鳥も話はしないで、依依がやってくるのを静かに待っていた。
それからしばらくしてから、病室のドアが静かに開いて、人が入ってきた。依依だとばかり思っていたが、依依ではなくて若い看護師だった。看護師は壁に掛けられていた古いカレンダーを外して、新しいカレンダーに掛け換えていた。
看護師が出ていくのと入れ替わるように、依依が部屋のなかに入ってきた。依依は手に鉢植えの草花を持っていた。
お母さんが寝ているベッドの横に来ると、依依はいつものように顔を近づけて、お母さんに話しかけた。
「お母さん、秋にお母さんが鉢に植えた促成栽培のユリを持ってきたわ。つぼみはまだかたいけど、明日はお正月だから持ってきたわ。お母さんはユリの花が大好きで、冬にもユリを咲かせたいと言って、促成栽培のユリの球根を買ってきて、鉢で育てていたじゃないですか。覚えていますか。これは鉄砲ユリですよね。においがよくて、お母さんが一番好きな花。ね、そうでしょう、お母さん」
依依が心をこめて、お母さんに呼びかけていた。でもお母さんは、相変わらず何の反応も示さずに、こんこんと眠り続けているだけだった。
依依が持ってきた鉄砲ユリを、ぼくは以前、馬小跳の家で、初夏に見たことがあった。鉄砲ユリは普通は5月から6月にかけて咲くので、冬にも咲かせることができるとは、ぼくは思ってもいなかった。馬小跳のお母さんも鉄砲ユリが大好きな人だ。鉄砲ユリは白くて気品がある花だ。鉄砲ユリの花言葉は『純潔』。まさに、その花言葉にふさわしい花だ。この花が大好きな馬小跳のお母さんは、とても気品がある人だ。依依のお母さんも、見たところ、とても気品にあふれている人のように思える。
依依は持ってきた鉢植えの鉄砲ユリをテーブル台の上に置くと、お母さんの髪を、いつものように、くしで丁寧にすいてあげていた。そのあと、お母さんの顔に、ほお紅や口紅をうっすらとひいてあげた。お母さんの顔はとてもきれいだった。依依はそのあと、お母さんの耳元に顔を近づけて、いつものように『鲁冰花(ルピナス)の花』を歌い始めた。
♪
毎晩、母の言葉を思い出す
懐かしくて涙が出る
涙はルピナスの花のように
きらきらと輝きながら
ほおを伝わって流れる
夜空の星を見上げながら
母に語りかける
星は何も答えないが
降り注ぐ星の光に
母の愛を感じる
母の愛はルピナスの花のように
きらきらと輝いている
故郷の茶畑にルピナスの花が咲くころ
母とともに過ごした母の日
あー、あの日がとても懐かしい
母の愛は永遠に輝き続け
永遠にわたしを見守り続ける
……
依依は何度も繰り返して、心をこめてこの歌を歌った。
それを聞いて、ぼくはようやく、九官鳥が歌う『鲁冰花(ルピナス)の花』と、依依が歌う『鲁冰花(ルピナス)の花』の決定的な違いがはっきりと分かった。九官鳥はテクニックにものを言わせて、のどを巧みに使って歌っていたが、依依の場合はテクニックではなくて心の奥底から自然と湧き出てくる真情を発露させて歌っていたからだ。
それからまもなく日が暮れて、外が暗くなってきた。若い看護師が部屋に入ってきて
「依依、早く、うちへ帰りなさい」
と、呼びかけていた。依依はそれを聞いて、不服そうな顔をした。
「今日は、まだうちへ帰らないわ。お母さんといっしょに新年を祝う鐘の音を聞きたいから」
依依が、きっとした顔でそう言った。
看護師は、聞き分けのない依依に閉口していた。でも依依の意思のかたさを感じたので、これ以上、言っても聞かないだろうと思って、無理やり追い出すことはしなかった。看護師は依依の頭を軽くなでてから
「分かったわ。新年を祝う鐘の音が聞こえてきたら、依依の願い事を鐘の音に向かって唱えなさい。それから帰るのよ」
と、言った。
「分かった。そうする」
依依は、うなずいた。
それからまもなく、看護師は部屋を出ていった。依依はまた歌い出した。
夜はますます更けていった。
真夜中の十二時になったとき、外でとどろくような大きな音がして、窓の外が真昼のように明るくなった。窓辺にかけられているカーテンの後ろに隠れて依依の歌を聞いていたぼくとアーヤーは、びっくりして、窓の外を見た。きれいな花火が上がっていて、夜空をぱっと明るく照らしていた。この町には新しい年が明けたとたんに、花火を打ち上げてお祝いするという習慣が根づいている。その習慣に基づいて、今年も打ち上げ花火が上がったのだ。花火は何発も上がり、夜空を彩る豪華絢爛なショーに、ぼくもアーヤーもしばらく我を忘れて魅入っていた。カーテンの生地が厚くて、部屋のなかと、窓の外の景色を遮断していたので、お母さんの耳元で一心に歌っている依依には花火が見えていなかったように思えた。(もったいない、依依にもぜひ見てもらいたい)と、ぼくは思ったので、見つかってしまう危険を冒して、ぼくはちょっとだけカーテンを開けた。すると依依が花火に気がついて
「あっ、花火が上がっているわ。年が明けたのね」
と、言って、しばらくお母さんの顔から目を転じて、窓の外の景色を見ていた。
それから依依はお母さんの顔を、そっと窓のほうに向けた。
「お母さん、ほら見て。きれいな花火が上がっているわ。年が明けたのよ。分かりますか。いろいろな花火が上がっていて、夜空を美しく彩っているわ。金色に輝く麦の穂や、満開の菊の花や、真っ赤なハートや、飛び回る蝶。それから七色の虹のような花火もあるわ。なんてきれいなのでしょう。お母さん、早く目を開けて、窓の外を見て。夜空にはお星さまもたくさん出ていて、きらきら輝いているわ」
依依はお母さんに、優しい声で呼びかけていた。
花火のショーは一時間ほど続き、それからだんだん夜の静けさが戻ってきた。花火のショーが終わると、この町では新年を祝う鐘の音が寺院から鳴りだす。しばらくしてから、どこかの寺院から
「ゴーン、ゴーン」
と、あたりの静寂さを破るように、ずっしりと重い響きのある鐘の音が鳴りだした。鐘の音は病室のなかにも、たゆたうように入ってきた。
「お母さん、新年を祝う鐘の音が鳴っているわ。聞こえますか」
依依はお母さんに呼びかけていた。
鐘の音を聞きながら、依依は、鉢植えの鉄砲ユリを手に持って、お母さんのベッドの横に立って、新年の願い事を唱えた。
「この花のつぼみが冬にも開いて、きれいな花が咲きますように。花が咲いたとき、お母さんも目を覚ましますように」
依依の切実な願いを、神様が聞いてくださることを、ぼくは心から望んでいた。
今日はまた気温が下がって、雪が降った。宝石のようにきれいな雪が、花びらのようにしなやかに舞いながら、ひらひらと降っていた。雪は大地を白一色の世界に美しく染めていった。
今年ももうすぐ終わろうとしている。今日は大晦日。一年で最後の日だ。大地を覆いつくしながら、静かに降りしきる雪を見ていると、行く年を送り、来る年を迎えるために神様がおこなっている神聖なセレモニーのように思えた。
アーヤーは昨日の夜、九官鳥のあとを追って、シャオパイの別荘に行った。九官鳥が、とても感情を高ぶらせていて、忘れないうちに帰ったらすぐ練習すると言っていたから、おそらく九官鳥もアーヤーも昨夜は寝ないで歌の練習をしたに違いないと、ぼくは思った。熱心なのはいいのだが、もしアーヤーがのどをまた痛めて、この前と同じように声が出なくなってしまったら、どうしようと思って、ぼくはそのことをとても心配していた。もし本当にそうなってしまったら、障害者のお年寄りの新聞売りを手伝ってあげることができなくなるからだ。ぼくは、気になってしかたがなかったので、夜が明けて、朝ご飯を食べるとすぐに、うちを出て、公園の西門をめざして走っていった。雪で覆われた公園の至る所に、新年を迎えるための華やかな絵や文字が飾りつけられていた。木の上には赤いちょうちんもつりさげられていて、公園全体が祝賀ムードに包まれていた。
きれいな飾りや雪景色を見ながら、西門の近くまで走ってきたとき、遠くから、不意に歌声のようなものが、かすかに聞こえてくるのを耳にした。
(何だろう、あの歌は)
ぼくは、そう思って、さらに足を速めて、歌が聞こえてくるほうに近づいていった。
近づくにつれて、歌がはっきりと聞こえてきた。『鲁冰花(ルビナス)の花』だった。
(えっ、誰が歌っているのか。公園を散策している人だろうか、それとも、九官鳥だろうか)
ぼくは気になってたまらなかったので、さらに足を速めて、西門のすぐ前まで全速力で走っていった。西門のすぐ横にある木の上にアーヤーと九官鳥がいるのが見えた。上を見上げながら、ぼくはアーヤーに聞いた。
「さっき、『鲁冰花(ルピナス)の花』という歌が聞こえたが、あれは誰が歌っていたのか。九官鳥か」
「ええ、そうよ」
アーヤーが、うなずいた。
「そうか。たいしたものだ」
ぼくはそう答えた。
「おまえは、まだ全然歌えないだろうな」
ぼくがそう言うと、アーヤーが少し、むっとしたような顔をして、
「そんなことはないわ。ちょっとだけなら歌えるわ」
と、言った。
「そうか。それなら、お父さんに聞かせてくれないか。下手でもかまわないから」
ぼくはアーヤーにそう言った。
「分かったわ」
アーヤーはそう答えると、のどの調子を整えてから歌い始めた。一生懸命歌ってくれたが、言葉がぽつんぽつんと途切れていたし、旋律も上がり下がりがうまくできていなかった。どう聞いても『鲁冰花(ルピナス)の花』には聞こえなかった。でもアーヤーが人の歌を少しでも真似することができるようになったのは、たいしたものだし、奇跡としか言いようがなかった。
「アーヤー、大丈夫だよ。心配しなくていいよ。もっと練習すれば、もっと上手になるよ」
ぼくはそう言って、アーヤーを励ました。ぼくはそのあと九官鳥にお願いして、『鲁冰花(ルピナス)の花』を歌ってもらった。言葉のイントネーションも旋律も正しくて、それに歌詞の情感を的確に理解していて、まさに非の打ちどころないほど完璧だった。病院に一度だけ行って、その歌を聞いただけなのに、ここまで上手に歌えるようになるとは、九官鳥の天賦の才能に、ぼくはあらためて感服せざるにはいられなかった。歌い終わったとき、九官鳥がぼくに
「どうだい、おれの歌は。うまいだろう」
と、聞いた。
「確かにうまいです。すごいです。わずか一晩の練習で、ここまで完璧に歌えるようになるとは思ってもいませんでした。天才です。誰も追随できるものはいません」
ぼくがそう言うと、九官鳥は、にんまりしていた。
「でも、あえて一つだけ言わせていただければ、依依の声とはちがっています」
ぼくがそう言うと、九官鳥は口をとがらせて、ぼくに聞き返してきた。
「どのようにちがうのか」
「アーヤーの声は、もっと女の子らしい声です」
ぼくはそう答えた。
「そうか。それなら今度は少女っぽい声で歌ってみよう」
九官鳥はそう言ってから、『鲁冰花(ルピナス)の花』をもう一度、歌い始めた。
♪
毎晩、母の言葉を思い出す
懐かしくて涙が出る
涙はルピナスの花のように
きらきらと輝きながら
ほおを伝わって流れる
夜空の星を見上げながら
母に語りかける
星は何も答えないが
降り注ぐ星の光に
母の愛を感じる
母の愛はルピナスの花のように
きらきらと輝いている
故郷の茶畑にルピナスの花が咲くころ
母とともに過ごした母の日
あー、あの日がとてもなつかしい
母の愛は永遠に輝き続け
永遠にわたしを見守り続ける
……
今度は十分に女の子が歌っている声のように聞こえた。でも注意深く聞いていると、九官鳥の声は、依依が歌っている声とは、まだどこか、若干、ちがっているように思えた。そのことを九官鳥に言うと、九官鳥は、口をとがらせて
「どこがどうちがうのだ。同じだろう」
と言った。
「はっきりとは、ぼくにも分かりませんが、あなたは、あの部屋に、一晩いただけですから、いくら天才とは言っても、依依とそっくりな声がすぐに出せるわけがないですよ。一概に少女の声と言っても、千差万別ですから」
ぼくはそう答えた。九官鳥がうなずいた。
「そう言われれば、確かにそうかもしれないな。そっくりに真似することは難しいし、
この世に、いとも簡単にできることなど何もないからな」
九官鳥は、ぼくの指摘を聞いて、今度は素直に受け入れてくれた。
「あの新聞の売り声も、おれもアーヤーも何日も練習して、やっとできるようになったのだ。アーヤーは、のどを痛めて、声が出なくなってしまったが、それくらい練習しなければ、ものごとは何でもうまくいくものではない。発声の基礎ができて、定着したら、あとは、だんだん上達するのが早くなっていく。おれの経験から、そう思っている」
九官鳥がそう言った。ぼくは、うなずいた。
それからまもなく、アーヤーは、ぼくや九官鳥とのおしゃべりをやめて、新聞をまた売り始めた。
「人民日報、ローカル新聞、ビジネス新聞」
「人民日報、ローカル新聞、ビジネス新聞」
ぼくたちがおしゃべりをしたり、歌を歌っていたときには、新聞は一時、滞っていたが、アーヤーの声が再び響いたあと、新聞はまた飛ぶように売れていった。そしてお昼前には全部売り切れてしまった。お年寄りは今日もまた満足そうな顔をしながら、うちへ帰っていった。
午後、ぼくとアーヤーと九官鳥は再び、病院へ行った。明日は元旦なので、入院患者のなかには、新年を自宅で祝うために、うちへ帰る準備をしている人たちがいた。すでにもううちへ帰った人もいて、救急病棟以外の病室は、いつも以上に静かだった。
ぼくとアーヤーと九官鳥は、人に気づかれないように気をつけながら、うまく三〇七号室に入ることができた。ぼくとアーヤーは窓にかけられているカーテンの後ろに隠れた。九官鳥は部屋の上部に設置されているエアコンの後ろに隠れた。ぼくもアーヤーも九官鳥も話はしないで、依依がやってくるのを静かに待っていた。
それからしばらくしてから、病室のドアが静かに開いて、人が入ってきた。依依だとばかり思っていたが、依依ではなくて若い看護師だった。看護師は壁に掛けられていた古いカレンダーを外して、新しいカレンダーに掛け換えていた。
看護師が出ていくのと入れ替わるように、依依が部屋のなかに入ってきた。依依は手に鉢植えの草花を持っていた。
お母さんが寝ているベッドの横に来ると、依依はいつものように顔を近づけて、お母さんに話しかけた。
「お母さん、秋にお母さんが鉢に植えた促成栽培のユリを持ってきたわ。つぼみはまだかたいけど、明日はお正月だから持ってきたわ。お母さんはユリの花が大好きで、冬にもユリを咲かせたいと言って、促成栽培のユリの球根を買ってきて、鉢で育てていたじゃないですか。覚えていますか。これは鉄砲ユリですよね。においがよくて、お母さんが一番好きな花。ね、そうでしょう、お母さん」
依依が心をこめて、お母さんに呼びかけていた。でもお母さんは、相変わらず何の反応も示さずに、こんこんと眠り続けているだけだった。
依依が持ってきた鉄砲ユリを、ぼくは以前、馬小跳の家で、初夏に見たことがあった。鉄砲ユリは普通は5月から6月にかけて咲くので、冬にも咲かせることができるとは、ぼくは思ってもいなかった。馬小跳のお母さんも鉄砲ユリが大好きな人だ。鉄砲ユリは白くて気品がある花だ。鉄砲ユリの花言葉は『純潔』。まさに、その花言葉にふさわしい花だ。この花が大好きな馬小跳のお母さんは、とても気品がある人だ。依依のお母さんも、見たところ、とても気品にあふれている人のように思える。
依依は持ってきた鉢植えの鉄砲ユリをテーブル台の上に置くと、お母さんの髪を、いつものように、くしで丁寧にすいてあげていた。そのあと、お母さんの顔に、ほお紅や口紅をうっすらとひいてあげた。お母さんの顔はとてもきれいだった。依依はそのあと、お母さんの耳元に顔を近づけて、いつものように『鲁冰花(ルピナス)の花』を歌い始めた。
♪
毎晩、母の言葉を思い出す
懐かしくて涙が出る
涙はルピナスの花のように
きらきらと輝きながら
ほおを伝わって流れる
夜空の星を見上げながら
母に語りかける
星は何も答えないが
降り注ぐ星の光に
母の愛を感じる
母の愛はルピナスの花のように
きらきらと輝いている
故郷の茶畑にルピナスの花が咲くころ
母とともに過ごした母の日
あー、あの日がとても懐かしい
母の愛は永遠に輝き続け
永遠にわたしを見守り続ける
……
依依は何度も繰り返して、心をこめてこの歌を歌った。
それを聞いて、ぼくはようやく、九官鳥が歌う『鲁冰花(ルピナス)の花』と、依依が歌う『鲁冰花(ルピナス)の花』の決定的な違いがはっきりと分かった。九官鳥はテクニックにものを言わせて、のどを巧みに使って歌っていたが、依依の場合はテクニックではなくて心の奥底から自然と湧き出てくる真情を発露させて歌っていたからだ。
それからまもなく日が暮れて、外が暗くなってきた。若い看護師が部屋に入ってきて
「依依、早く、うちへ帰りなさい」
と、呼びかけていた。依依はそれを聞いて、不服そうな顔をした。
「今日は、まだうちへ帰らないわ。お母さんといっしょに新年を祝う鐘の音を聞きたいから」
依依が、きっとした顔でそう言った。
看護師は、聞き分けのない依依に閉口していた。でも依依の意思のかたさを感じたので、これ以上、言っても聞かないだろうと思って、無理やり追い出すことはしなかった。看護師は依依の頭を軽くなでてから
「分かったわ。新年を祝う鐘の音が聞こえてきたら、依依の願い事を鐘の音に向かって唱えなさい。それから帰るのよ」
と、言った。
「分かった。そうする」
依依は、うなずいた。
それからまもなく、看護師は部屋を出ていった。依依はまた歌い出した。
夜はますます更けていった。
真夜中の十二時になったとき、外でとどろくような大きな音がして、窓の外が真昼のように明るくなった。窓辺にかけられているカーテンの後ろに隠れて依依の歌を聞いていたぼくとアーヤーは、びっくりして、窓の外を見た。きれいな花火が上がっていて、夜空をぱっと明るく照らしていた。この町には新しい年が明けたとたんに、花火を打ち上げてお祝いするという習慣が根づいている。その習慣に基づいて、今年も打ち上げ花火が上がったのだ。花火は何発も上がり、夜空を彩る豪華絢爛なショーに、ぼくもアーヤーもしばらく我を忘れて魅入っていた。カーテンの生地が厚くて、部屋のなかと、窓の外の景色を遮断していたので、お母さんの耳元で一心に歌っている依依には花火が見えていなかったように思えた。(もったいない、依依にもぜひ見てもらいたい)と、ぼくは思ったので、見つかってしまう危険を冒して、ぼくはちょっとだけカーテンを開けた。すると依依が花火に気がついて
「あっ、花火が上がっているわ。年が明けたのね」
と、言って、しばらくお母さんの顔から目を転じて、窓の外の景色を見ていた。
それから依依はお母さんの顔を、そっと窓のほうに向けた。
「お母さん、ほら見て。きれいな花火が上がっているわ。年が明けたのよ。分かりますか。いろいろな花火が上がっていて、夜空を美しく彩っているわ。金色に輝く麦の穂や、満開の菊の花や、真っ赤なハートや、飛び回る蝶。それから七色の虹のような花火もあるわ。なんてきれいなのでしょう。お母さん、早く目を開けて、窓の外を見て。夜空にはお星さまもたくさん出ていて、きらきら輝いているわ」
依依はお母さんに、優しい声で呼びかけていた。
花火のショーは一時間ほど続き、それからだんだん夜の静けさが戻ってきた。花火のショーが終わると、この町では新年を祝う鐘の音が寺院から鳴りだす。しばらくしてから、どこかの寺院から
「ゴーン、ゴーン」
と、あたりの静寂さを破るように、ずっしりと重い響きのある鐘の音が鳴りだした。鐘の音は病室のなかにも、たゆたうように入ってきた。
「お母さん、新年を祝う鐘の音が鳴っているわ。聞こえますか」
依依はお母さんに呼びかけていた。
鐘の音を聞きながら、依依は、鉢植えの鉄砲ユリを手に持って、お母さんのベッドの横に立って、新年の願い事を唱えた。
「この花のつぼみが冬にも開いて、きれいな花が咲きますように。花が咲いたとき、お母さんも目を覚ましますように」
依依の切実な願いを、神様が聞いてくださることを、ぼくは心から望んでいた。

