歌が歌える猫

天気……寒の入りになったが、今日はこの時季にしては珍しくよい天気だ。気温が急に数度上がり、冬がまもなく終わろうとしているかのように、ぽかぽかと暖かい。でもこれは一時的な暖かさにすぎない。一年のうちで一番寒い時季はまだこれからだからだ。

アーヤーは今日から、依依の声を真似して、『鲁冰花(ルピナス)の花』の歌い方を練習することにした。依依は午後、学校が終わってから病院へ来るので、アーヤーは午前中は翠湖公園の西門の前に行って、障害者のお年寄りを手伝って新聞を売り、全部売り上げてから、うちへ帰り、ひと休みしてから病院へ行くことにしている。
アーヤーが公園の西門の前で新聞を売っている間に、ぼくは急いで郊外にあるシャオパイが住んでいる家まで走っていった。九官鳥に会うためだ。今度は九官鳥に、依依が歌う『鲁冰花(ルピナス)の花』を覚えて、アーヤーに教えてほしいと思っていた。九官鳥が歌を上手に歌えるかどうかは分からないが、新聞の売り声を教えるときに、言葉に抑揚をつけて音楽性豊かに表現していたので、もしかしたら歌も上手に歌えるかもしれないと思って、ぼくは九官鳥の才能に期待していた。
ぼくがシャオパイの家に着くと、家のなかからとてもにぎやかな声が聞こえてきた。男の人の声もすれば女の人の声もする。いろいろな鳥の鳴き声や、電話の音までする。うるさくて、シャオパイに声をかけても、なかなか気がついてくれなかった。何度も大声で呼んで、ようやく気がついて、シャオパイが外に出てきた。
「やあ、シャオパイ、久しぶりだな。元気か」
ぼくが聞くと、シャオパイがうなずいた。
「あんちゃんも元気?」
「うん、ぼくも元気だよ」
ぼくはそう答えた。
「家のなかがにぎやかだけど、飼い主さんが帰ってきて、お客さんも来ているのか」
ぼくが聞くと、シャオパイは首を横に振った。
「ううん、誰もいないわ。家のなかには九官鳥がいるだけよ」
シャオパイがそう答えた。
「あー、そうだった。この家にいる九官鳥はいろいろな声や音を、本物とそっくりに出すことができる天才だった。たいした技量だ」
ぼくはあらためて、九官鳥の物まねの技量の高さに感心していた。
「あんちゃんはそう思うかもしれないけど、わたしはうるさくてたまらないわ。一日中、朝から晩まで、ぎゃあぎゃあ言っていて、疲れるのを少しもいとわない。わたしは頭が変になりそうよ」
シャオパイが胸のなかに積もっていた九官鳥への恨みつらみを、ぼくに述べたてた。
シャオパイはそのあとぼくを、応接室に入れてくれた。九官鳥はぼくを見ると、すぐに止まり木の上から下に降りてきた。
「やあ、笑い猫。元気か」
九官鳥が、ぼくにあいさつをしてくれた。
「おかげさまで元気です。あなたは?」
ぼくが聞き返すと、
「うん、おれも元気だ。ところでアーヤーは最近どうしているのか。最近、さっぱり姿をみせないが」
と、九官鳥が言った。
「アーヤーも元気にしています。毎朝、翠湖公園の西門の前に行って、新聞の売り声をあげて、障害者のお年寄りを手伝っています」
ぼくはそう答えた。
「そうか、それはよかった。もうおれから学ぶことはないから、おれのところに来ないのか」
九官鳥が不満そうに口をとがらせていた。
「いえ、そうではありません。もっとたくさん、あなたから学びたいと思っています。でも今までは、その必要がなかったから来ませんでした。新聞の売り声だけで十分だったからです」
ぼくはアーヤーの気持ちを察して、九官鳥にそう言った。
「そうか、笑い猫の言うとおりだな。学んでも何の役にも立たなかったら、学ばなかったのと同じだからな」
九官鳥がそう答えた。九官鳥はものの道理が分かって、もう不満そうな顔はしていなかった。
「笑い猫、おまえも、おれから人の声の出し方を学びたいと思っているのではないのか」
九官鳥が聞いた。ぼくは首を横に振った。
「ぼくには人の話を聞いて内容が分かるという特技がありますから、それで十分です。人の声真似をする才能は、ぼくにはありません」
ぼくはそう答えた。
「そうか。おれには人の声真似をする才能はあるが、人の話を聞いて話の内容が分かっているわけではない」
九官鳥がそう言った。
「そうですか。でも声真似や音真似にかけては,あなたは天才ですね。動物のなかで、あなたの右に出る動物は誰もいないと思います。たいしたものです」
ぼくはそう言って、九官鳥の優れた才能をほめちぎった。それを聞いて九官鳥は、まんざらでもない顔をしていた。
「笑い猫、おまえだって、たいしたものだ。おれの知っている限り、動物のなかで、人の話を聞いて分かる才能にかけては、おまえの右に出る動物は、誰もいない。たいしたものだ」
九官鳥も、そう言って、ぼくのことをほめてくれた。
「うちのアーヤーが人の声真似をする才能に関しては、どれくらいあると思いますか」
ぼくは九官鳥に聞いた。
「そうだな、おれに十の才能があるとしたら、アーヤーには七か八の才能があるのではないだろうか。でも猫にしたら極端に高い才能があると言える。これまで、おれは人の声が話せる猫を見たことがなかったから」
九官鳥がそう言った。
「そうですか。ありがとうございます。それを聞いて、ぼくはとてもうれしく思います」
ぼくはそう答えた。
「今日、ぼくがここへ来たのは、あなたにお願いがあってきたのです」
ぼくがそう言うと、九官鳥が、ぼくの顔をじっと見ながら
「どんな願いか」
と、聞いてきた。
「うちのアーヤーに歌真似を教えてほしいのです」
ぼくがそう言うと、九官鳥が、けげんそうな顔をしながら
「歌真似?」
と、聞き返してきた。
「ええ、歌真似です。教えることができますか」
ぼくが聞くと、九官鳥がうなずいた。
「おれは音感に富んでいるから、歌真似も上手にできる」
九官鳥が自信ありげに答えた。
「よかった。それならぜひお願いします」
ぼくは、そう言った。
「分かった。しかし、それにしても、どうして、おまえはアーヤーに歌真似を習わせたいと思っているのか」
九官鳥は合点がいかないような顔をしていた。
「歌を歌うことで、かわいそうな親子を助けたいと思っているからです」
ぼくは、そう答えた。
「どういうことだ?」
九官鳥が聞き返したので、ぼくは病院で見た依依と依依のお母さんのことを九官鳥に話した。
「依依は学校が終わると、毎日、お母さんがいる病院に来て、耳元で話しかけたり、同じ歌を何度も歌って聞かせています。『鲁冰花(ルピナス)の花』という歌だそうです。お母さんが一番好きなこの歌を何度も聞かせたら、意識を失って植物人間になっているお母さんが、もしかしたら、はっとして目を覚ますかもしれないと依依は思っているのです。でも依依は学校があるので、長くても三時間ぐらいしか、病院にいることができません。それを知った、うちのアーヤーが依依がいないときに、この歌を依依のお母さんに歌って聞かせて、お母さんの意識の回復に力を貸してあげたいと思っているのです」
ぼくはそう答えた。
「そうか、そういうことだったのか。おまえやアーヤーの気持ちはよく分かった。殊勝なこころがけだ。感心した。でも歌真似を身につけるのは、相当難しいぞ。声真似の千倍ぐらい難しいぞ」
九官鳥が眉をひそめていた。
「分かっています。できなかったら、できなかったで仕方がないし、あきらめもつきます。でもこれはクリスマスイブの日に、アーヤーが夢のなかでサンタクロースからもらったチャンスというプレゼントなのです。できる、できないは別にして、アーヤーにチャンスを与えてチャレンジさせてみたいと思っています。アーヤーものぞんでいることですから」
ぼくはそう答えた。
「おまえの気持ちが分からないでもないが、焦らないで、取り組むことができるか」
九官鳥が聞いた。ぼくは首を横に振った。
「焦らないとダメなんです。依依のお母さんは死に瀕していますから、一刻も早く歌を聞かせて目覚めさせてあげなければ、子どもは孤児になってしまいます」
ぼくは真剣な顔をして、そう言った。
「分かった。おれにできるだけのことはするから、あとはアーヤーが持って生まれた天賦の才能がどれくらい備わっているかや、これまで以上の努力をすることによって、歌真似が習得できるかどうかが決まる。サンタクロースからのプレゼントとして、歌真似を学ぶチャンスが与えられたのだったら、もしかしたら奇跡が起きる可能性も1パーセントぐらいはあるかもしれない」
九官鳥がそう言った。
「依依が歌っている『鲁冰花(ルピナス)の花』という歌を、ご存じですか」
ぼくが聞くと、九官鳥は首を横に振った。
「でも、たぶん大丈夫だと思う。歌詞の意味は、おれには分からないが、言葉の真似をして音に出して、抑揚をつけて歌うことは、おれの得意とするところだから」
九官鳥が答えた。
「その歌はどんな歌なのだ。おまえには歌詞の意味が分かるだろう」
九官鳥が聞いた。ぼくはうなずいた。
「遠く離れたところにいるお母さんへの懐かしい思い出や愛を歌った歌です。悲しげで美しいメロディーがつけられていて、しみじみとして心にしみるいい歌です」
ぼくはそう答えた。
「そうか、それなら、そのような気持ちが伝わるようにアーヤーに教えていこう」
九官鳥がそう言った。
「ありがとうございます」
ぼくはそう答えた。
「よし、じゃあ、これから外へ出よう。アーヤーは今、どこにいる。病院か」
ぼくは首を横に振った。
「いいえ、まだ翠湖公園の西門の前で新聞を売っていると思います」
ぼくはそう答えた。
「そうか。ではまず、そこへ行こう」
九官鳥がそう言ったので、ぼくはうなずいた。
それからまもなく、ぼくと九官鳥は翠湖公園へ急いだ。ぼくは道の上を走り、九官鳥はぼくの上からついてきた。翠湖公園の西門の前に着くと、アーヤーはもうすでに障害者のお年寄りを手伝って、新聞を全部売り上げてしまっていた。
「アーヤー、ご苦労様」
ぼくはアーヤーを、ねぎらった。
九官鳥が、降りてきて、ぼくたちの前に足を下ろした。
アーヤーは、九官鳥を見て、びっくりしていた。
「おまえの願いを九官鳥に話したよ。力を貸してくれると、おっしゃってくださった」
ぼくがアーヤーにそう言うと、アーヤーはとてもうれしそうな顔をしていた。
それからまもなく、ぼくとアーヤーは、病院へ向かって走っていった。九官鳥も、ぼくたちの上を飛びながらついてきた。
病院に着くとすぐ、入院病棟のほうへ行った。入院病棟の入口の前で、ぼくは九官鳥に
「くれぐれも人に見つからないようにしてください」
と、注意を促した。
「分かっているよ。人がいたら、どこかなるべく目につかないところで、じっとしているよ」
九官鳥はそう答えると、目くばせをして、うなずいた。
ぼくとアーヤーは、病院に何度か来たことがあるので、もし廊下に誰か人がいたら、さっと隠れて見つからないようにしている。見つかったら追い出されるに決まっているからだ。依依のお母さんは三階の部屋に入院しているので、ぼくとアーヤーはこれまでと同じように、見つからないように気をつけながら廊下を歩いていって、三〇七号室に入ることができた。九官鳥も部屋に入ってきて、上からじっと見ていた。部屋の真ん中にベッドが一床あって、ベッドの上には依依のお母さんが、これまでと同じように静かに横たわっていた。
「この人は、生きてはいるものの、意識も知覚も活動能力もない植物人間です」
ぼくは九官鳥に、そう言った。
九官鳥は何か怖いものでも見ているような顔をしながら、依依のお母さんの顔をじっと見ていた。
「もうすぐ依依が来る時間なので、ぼくたちは隠れなければならない」
ぼくはアーヤーと九官鳥にそう言った。
「そうだね、いつものように、窓にかけてある、あの厚いカーテンの後ろに隠れよう」
アーヤーがそう答えた。九官鳥は、ぼくの呼びかけに応じかねていた。
「あんな厚いカーテンの後ろに隠れたら、声がよく聞こえない」
九官鳥はそう言って、部屋のなかを見まわしてから、部屋の上部に設置してあるエアコンの上に飛んでいって、その陰に隠れた。ぼくとアーヤーはカーテンの後ろに隠れた。
それからまもなく依依がドアを開けて部屋のなかに入ってきた。
「お母さん、来たわよ」
依依は、お母さんに、そう声をかけると、昨日と同じようにお母さんの髪をすいてあげたり、口紅をぬってあげたりしていた。そのあと手鏡をお母さんの目の前に持ってきて、お母さんに話しかけていた。
「お母さん、早く目を開けて。お母さん、とてもきれいよ。お母さん、覚えていますか。今年の春、保護者会が開かれて、お母さんが学校へ来たとき、わたしは、お母さんのことがとても自慢だったわ。だってたくさんのお友達が『ほら見て。あの一番きれいなお母さんが依依のお母さんよ』と、言っているのが聞こえてきたから。もうすぐ学期末で、保護者会がまたあるから、お母さんが保護者会にまた来てくれることを、わたしはとても望んでいるわ。お母さん、聞こえますか。返事して……」
依依の目が赤くうるんでいた。依依の悲痛な呼びかけが、ぼくの心にしみて、ぼくも思わず目頭が熱くなってきた。
それからまもなく依依は手鏡を下に置いた。そのあとお母さんの耳元に顔を近づけて、『鲁冰花(ルピナス)の花』を歌い始めた。

毎晩、母の言葉を思い出す
懐かしくて涙が出る
涙はルピナスの花のように
きらきらと輝きながら
ほおを伝わって流れる
夜空の星を見上げながら
母に語りかける
星は何も答えないが
降り注ぐ星の光に
母の愛を感じる
母の愛はルピナスの花のように
きらきらと輝いている
故郷の茶畑にルピナスの花が咲くころ
母とともに過ごした母の日
あー、あの日がとてもなつかしい
母の愛は永遠に輝き続け
永遠にわたしを見守り続ける
……
日が暮れて外が暗くなるまで、依依は何度も何度も、繰り返して歌っていた。依依
が帰っていったあと、ぼくは九官鳥に
「この歌をアーヤーに教えることができますか」
と、聞いた。
九官鳥はしばらく考えてから
「今はまだ、おれの頭のなかに、歌詞も旋律も残っているから、忘れないうちに何度も繰り返して練習して頭の中に定着させなければならない。おれはこれからすぐ、うちへ帰って練習する。教えることができるかどうかは、その次の問題だ。まず、おれがきちんと覚えて、それを伝えることまでは、やってみよう。あとはアーヤーの才能と努力次第だ」
と、答えた。
アーヤーはそれを聞いて、うなずいた。
「じゃ、おれはこれからすぐ、うちへ帰るよ」
九官鳥がそう言った。それを聞いてアーヤーが九官鳥に
「わたしもついていく」
と、答えていた。
それからまもなく、ぼくたちは病院を出た。九官鳥とアーヤーはシャオパイが住んでいる別荘に帰り、ぼくは翠湖公園のなかにある、家に帰り始めた。九官鳥は体の姿が真っ黒なので、すぐに夜空のなかにとけてしまって、姿が見えなくなってしまった、アーヤーの姿も、あっというまに闇のなかに消えてしまった。