天気……雪はやんだが、冷たい北風がまだ吹いている。降り積もった雪がまばゆいほどに白く輝いている。あたり一面が銀世界にすっぽりと覆われている。今日は二十四節気の一つ、冬至だ。
冬至のこの日、翠湖公園の雪景色はとてもきれいだ。北風は肌を刺すほど冷たいが、この町ではめったに見られない雪景色。どうして見ないで過ごせようか。ぼくはうちを出て雪景色を見に行った。いつもの散歩コースに沿って歩きながら、あたりの雪景色を見ていた。普段見慣れているものも、今は雪で覆われているので、いつもとは違った趣がある。実際に目に見えるものと、心のなかに見えるものは同じではないことも分かった。目の前にある雪で覆われた草の斜面を見ながら、以前、ここで妻猫とよくデートをしたことを思い出していた。雪はそんなロマンチックな気分に浸らせてくれる。
妻猫とのなつかしい思い出に浸っていたとき、草の斜面の上から、丸いものが、ころころと転がってきた。雪の玉かと思ったが、そうではなかった。体を丸くして転がってきた老いらくさんだった。
「笑い猫、元気か」
転がるのをやめると、老いらくさんが、ぼくにあいさつをしてくれた。
「ありがとう、元気です。老いらくさんもお元気ですか」
ぼくは、あいさつを返した。
「うん、ありがとう。わしも元気じゃ」
老いらくさんがそう言った。
「おまえは雪景色を見にきたのだろう」
「ええ、そうです」
ぼくは、うなずいた。
「おまえはものの風情が分かる猫だからな。もしそうでなかったら、こんな寒い日には、わざわざ外に出てこないで、うちのなかでじっとしているはずだから」
老いらくさんがそう言った。
確かにそう言われれば、そうかもしれない。ぼくは自然の美しさや変化に敏感なところがある。きれいな景色を見ると、じっとしていられなくなる。老いらくさんはどうなのだろうか。ぼくは聞いてみた。すると老いらくさんが、ぼくを見下すような声で、
「わしはおまえよりも次元が上だよ」
と言った。
「どうしてですか」
ぼくは、むっとして、そう聞き返した。
「わしは雪景色をただじっと見るだけでなくて、雪の上を転がって生活を楽しむことができるからだよ」
と、答えた。
「ふん、それのどこが、ぼくよりも次元が上ですか。ぼくだって、雪の上を転がることぐらいできますよ」
ぼくは憤然としてそう答えた。
それからまもなく、ぼくは雪が積もっている草の斜面の上にのぼっていって、老いらくさんと同じように、体を丸くして、ころころと転がった。
(雪の上を転がるのは、滑るよりも、もっと楽しい)
転がりながら、ぼくはそう思った。
三回、転がってもまだ飽きなかったので、もう一度、転がろうと思って、ぼくは斜面の上にのぼっていった。するとそのとき、老いらくさんが下から声をかけた。
「笑い猫、アーヤーはその後、どうしている?」
ぼくは明るい声で答えた。
「うん、うまくいっているよ。アーヤーの売り声のおかげで、言葉が話せない、あのお年寄りは新聞をたくさん売っている」
「そうか、それはよかったな」
老いらくさんも、うれしそうな顔をしていた。
「アーヤーがうまくいっているのも、突き詰めて言えば、おまえと奥さんの教育やしつけが適切だったからだと、わしは思っている」
老いらくさんが、そう言った。
「いえいえ、とんでもないです。アーヤーが努力に努力を重ねて、困難を乗り越えることができたから、うまくいっていると思います」
ぼくはそう答えた。
「そうか。確かにそうかもしれないが、おまえと奥さんが実現できた困難なことを知って、アーヤーは頑張ったのだ。口先だけでは教育やしつけはうまくいくものではないからな」
老いらくさんがそう言った。ぼくはうなずいた。
「ぼくも妻猫も、子どもたちに、そんなにたいしたことはできません。できることといったら、ただひたすら愛することだけです。愛とはどんなものか、ぼくも妻猫もよく分かっていますから」
ぼくはそう答えた。
「どんなものだ」
老いらくさんが聞き返した。
「自分にできるすべてを尽くして、子どもたちを助けることです。そうすることで、子どもたちは自分にしかできない価値ある生き方を見いだして、素晴らしい生活を送ることができます」
ぼくはそう答えた。話がやや分かりにくいかと思ったので、老いらくさんが理解できているかどうか確かめたいと思った。
「老いらくさん、ぼくが言っていることが、分かりますか」
ぼくはそう聞いた。それを聞いて、老いらくさんが
「笑い猫、これまでは、わしがおまえに、おれの言うことが分かるかと聞いていたが、今日は逆に、おまえがわしに聞いてきたな。分からないでもないが、話したいのなら話してみろ。自分にしかできない価値ある生き方とは、どのような生き方だ」
と、言った。
ぼくは話し始めた。
「ぼくたち猫にとっての価値ある生き方は、老いらくさんたちネズミにとっての価値ある生き方とはまったく異なっています。ネズミにとっての価値ある生き方は食べ物を探すこと。ぼくたち猫にとっての価値ある生き方は、誰かの役に立つこと。例えば、うちのサンパオは今、目の見えない人のために力を貸しています。アーヤーも今、言葉が話せないお年寄りのために力を貸しています」
ぼくは、そう答えた。
アーヤーのことを話したとたん、ぼくは老いらくさんを公園の西門に連れて行って、アーヤーがどんなことをしているか見せなければと、ふと思った。
「老いらくさん、これから一緒に公園の西門に行きましょう。そこでアーヤーが新聞を売ります。アーヤーを見れば、アーヤーが今、どんなによいことをして、どんなに社会に貢献しているか、一目で分かると思います。アーヤーは、自分にしかできない価値ある生き方をしているのです」
老いらくさんがうなずいた。
ぼくと老いらくさんは、それからまもなく、公園の西門に行った。西門の前にはたくさんの人たちがいて、そのほとんどがカメラを持っていた。新聞の売り声を出しているアーヤーの姿を写真に撮るためだろう。でも言葉が話せない新聞売りのお年寄りの姿はまだ見えなかった。アーヤーもどこかに隠れているのか姿が見えなかった。
昨日、アーヤーがお年寄りを手伝って、三輪自転車の荷台にいっぱい積んであった新聞を全部売り上げたことを、ぼくから聞いた老いらくさんは、
「今日は、もっと大きいトラックに乗って、荷台いっぱいに積んでくるかもしれないなあ」
と、言った。
「まさか、そんなことはぜったいにあり得ないよ」
ぼくは強く否定した。
「どうしてだ」
老いらくさんが、合点がいかないような顔をしていた。
「だって、あのお年寄りは、貪欲な人ではないから」
ぼくは、そう答えた。
「分かるものか。人は見かけによらないというではないか。善人づらをしていても、お金に目がくらんで、もうけたいと思うのが人の心ではないか。おまえは、あまりにも人をよく考えすぎるよ」
老いらくさんが、そう言った。それを聞いて、ぼくは不愉快な気持ちになった。
「老いらくさんは、人をあまり悪く考えすぎるよ」
ぼくは、そう言葉を返した。
「そうかなあ。わしの考えは間違っているのかなあ……」
老いらくさんが小首をかしげていた。
「あたりまえですよ。老いらくさんの心のなかが、花のようにきれいだったら、人がすることがきれいに見えます。老いらくさんの心のなかが、牛のうんちのように汚かったら、人がすることが汚く見えます」
ぼくがそう言うと、老いらくさんが、
「おれの心は、牛のうんちか」
と、つぶやいてから、くくくっと、歯ぎしりをした。
「じゃあ、どちらが正しいか、かけようじゃないか。多分、きょうは、軽トラの荷台に新聞をいっぱい積んでくる」
老いらくさんが自信ありげに、そう言った。
「いえ、違います。昨日と同じように、三輪自転車の荷台に新聞を積んで、重そうにペダルをこぎながらやってきます」
ぼくはそう答えた。かけてもいいほど、ぼくも自信があった。でも、ぼくは、かけごとはきらいなので、かけないことにした。
それからまもなく、アーヤーが、人に気づかれないように、葉が茂っている木の枝の間から、顔だけこっそり出して
「お父さん、どうしてこんなに人が多いの。なんだかこわい」
と、小さな声で言った。アーヤーがおじけづいているのが分かった。
「新聞やテレビで、おまえのことが話題になって、どんな猫だろうと思って、おまえを見に来たのだよ」
ぼくがそう言うと、アーヤーは、びっくりして色を失っていた。
「よけいなことは考えるな。お年寄りを手伝って、新聞を売ることだけを考えればいいよ」
ぼくはそう言って、アーヤーに落ち着くように言った。
それからまもなく、お年寄りの姿が現れた。やはり、ぼくが思っていたとおりだった。お年寄りは、三輪自転車の荷台に新聞をたくさん積んで、重そうにペダルをこぎながらやってきた。予想が外れた老いらくさんは、くやしそうに地団太を踏んでいた。
「ぼくが思っていたとおりだったでしょう。あのお年寄りは貪欲な人ではないですから」
ぼくは胸を張ってそう答えた。
お年寄りが三輪自転車を停めたとき、アーヤーは木からおりて、お年寄りの近くに走り寄っていった。
「あっ、いたぞ。あの猫だ。人の声が話せるのは」
集まっていた人たちは、興奮ぎみに、声をうわずらせていた。
「おー、この猫か」
人々のなかから、大きな歓声が爆発するように上がった。そしてそのあと、人々がアーヤーの近くにわっと寄ってきた。
アーヤーは昨日とは違って、木の上ではなくて、三輪自転車の荷台に乗って、売り声を上げ始めた。
「人民日報、ローカル新聞、ビジネス新聞」
「人民日報、ローカル新聞、ビジネス新聞」
アーヤーが声を出している間、カメラのフラッシュが、あちこちで「パチ、パチ、パチ」と、たかれて写真を撮る音がした。フラッシュの光がまぶしくてアーヤーは目を開けていられないほどだった。それでもアーヤーは売り声をあげ続けた。
「人民日報、ローカル新聞、ビジネス新聞」
アーヤーの売り声が、たくさんの人を呼び込み、三輪自転車の荷台に積まれていた新聞は、たちまちのうちに全部、売り切れてしまった。
それからまもなく、どことなく腹に一物ありそうな男が、にやにやと笑いながら、アーヤーのほうに近づいてきた。手に煮干しの入った袋を持っていて、アーヤーに与えようとしていた。でもアーヤーは食べようとはしなかった。得体が知れない怪しい人のように見えたからだ。アーヤーは警戒のまなざしを向けながら、その男をじっと見ていた。その男は腰をかがめて、猫なで声で「子猫ちゃん、うちへ来ないか。いっしょに楽しく暮らさないか」と言った。それを聞いて、ぼくはびっくりした。アーヤーには言葉の意味が分からないから、ぼくがすぐにアーヤーに教えた。男がアーヤーを抱き上げようとしたその瞬間、ぼくは男の手に鋭くかみついた。男は悲鳴をあげて、抱き上げるのをやめた。
「この男は悪い男だ。行ったらだめだ。行ったら、おまえはお金もうけの道具にされるだけだ。ぜったい行くな」
ぼくはアーヤーにそう言った。アーヤーはうなずいた。
「さあ、早く、ここを離れよう」
「うん」
ぼくとアーヤーは、急いで西門の前から走り去ろうとした。
ところが、ぼくたちが逃げ出す前に、その男はアーヤーの首根っこをしっかりつかまえていた。それを見て、ぼくはその男に向かっていって、爪で思いっきり手をひっかいてやった。
「あいたたた」
男は悲鳴を上げてから、つかんでいたアーヤーの首根っこを離して、アーヤーの体を地面にたたきつけた。アーヤーは「ぎゃっ」と悲鳴をあげてから、一目散に、西門の前から逃げていった。
「このくそ猫め、ぶっ殺してやる」
男は、そう言って、今度はぼくの首根っこをしっかりつかまえて、いまいましそうな顔をして、ぼくをにらんでいた。それを見て、新聞売りのお年寄りが慌てて立ち上がって、男の手を強く引っ張って制止してくれた。男がぼくの首から手を離したので、ぼくはそのすきを見て、無事に、西門の前から逃げることができた。
ぼくは一目散に遠くまで走っていってから、途中で後ろを振り返った。すると男とお年寄りが、互いに胸ぐらをつかんで、もみあっている姿が見えた。
(自分が悪いくせに、障害者のお年寄りとケンカするとは、あの男は、とんでもないやつだ)
ぼくは、そう思った。
お年寄りのことも気になったが、それよりも今はアーヤーのことが、とても気がかりだった。男から首を強くつかまれて、そのあと地面にたたきつけられていたからだ。
(けがでもしていたら大変だ)
ぼくはそう思って、気が気でなかった。急いでうちに帰って、アーヤーに聞いたら、
「お父さん、大丈夫です。どこもけがはなかった」
と、アーヤーが言ってくれたので、ぼくは、ようやくほっとした。
「おまえは、今日、とてもすばらしかったよ」
ぼくがそう言うと、アーヤーは、うれしそうな顔をした。
「でも、これだけは言っておくが、誰かおまえに食べ物をやろうとする人がいても、これからもぜったいに食べるなよ。あとでひどい目に遭うからな」
ぼくはアーヤーに助言した。するとアーヤーが、ぼくが言ったことを真に受けて小首をかしげていた。
「馬小跳や杜真子が持ってきてくれるものも食べてはいけないの」
「何を言っているのだ。あの二人はいい人だから、別だよ」
ぼくはそう答えた。
ぼくたちの家族が食べるものは、馬小跳や杜真子や馬小跳の友だちが持ってきてくれる。魚味のビスケットは、馬小跳と馬小跳の友だちが持ってきてくれる。ぼくが一番好きなミニトマトは杜真子が持ってきてくれる。どれもみんなおいしいし、安心して食べることができる。
「お父さんが言っているのは、知らない人が持ってきたものは絶対に口をつけるなといことだ。分かったか」
ぼくがそう言うと、アーヤーがうなずいた。
「人にはよい人と悪い人がいる。馬小跳と杜真子と馬小跳の友だちはいい人だ。公園で、おまえに食べ物をやろうとした、あの男は悪い人だ」
アーヤーがうなずいた。
「お父さん、あの人はどうして、わたしを連れていこうとしたの」
アーヤーが聞いた。
「おまえが普通の猫ではないからだ。人の声が話せる猫は、ほかにはいないので、お金もうけのために利用する価値があると考えて、自分の猫にしようとしたのだ」
ぼくは、おもむろに、そう答えた。
「人にはいろいろな人がいて、見せかけの機嫌をとって、意のままにしようとする悪い人がいる。そんな下心を見抜くことが大切だ。お父さんさんが、いつもおまえといっしょにいるわけにはいかないから、悪い人から自分を守ることを自分で学ばなければならないよ」
ぼくはアーヤーにそう言った。アーヤーはうなずいた。
冬至のこの日、翠湖公園の雪景色はとてもきれいだ。北風は肌を刺すほど冷たいが、この町ではめったに見られない雪景色。どうして見ないで過ごせようか。ぼくはうちを出て雪景色を見に行った。いつもの散歩コースに沿って歩きながら、あたりの雪景色を見ていた。普段見慣れているものも、今は雪で覆われているので、いつもとは違った趣がある。実際に目に見えるものと、心のなかに見えるものは同じではないことも分かった。目の前にある雪で覆われた草の斜面を見ながら、以前、ここで妻猫とよくデートをしたことを思い出していた。雪はそんなロマンチックな気分に浸らせてくれる。
妻猫とのなつかしい思い出に浸っていたとき、草の斜面の上から、丸いものが、ころころと転がってきた。雪の玉かと思ったが、そうではなかった。体を丸くして転がってきた老いらくさんだった。
「笑い猫、元気か」
転がるのをやめると、老いらくさんが、ぼくにあいさつをしてくれた。
「ありがとう、元気です。老いらくさんもお元気ですか」
ぼくは、あいさつを返した。
「うん、ありがとう。わしも元気じゃ」
老いらくさんがそう言った。
「おまえは雪景色を見にきたのだろう」
「ええ、そうです」
ぼくは、うなずいた。
「おまえはものの風情が分かる猫だからな。もしそうでなかったら、こんな寒い日には、わざわざ外に出てこないで、うちのなかでじっとしているはずだから」
老いらくさんがそう言った。
確かにそう言われれば、そうかもしれない。ぼくは自然の美しさや変化に敏感なところがある。きれいな景色を見ると、じっとしていられなくなる。老いらくさんはどうなのだろうか。ぼくは聞いてみた。すると老いらくさんが、ぼくを見下すような声で、
「わしはおまえよりも次元が上だよ」
と言った。
「どうしてですか」
ぼくは、むっとして、そう聞き返した。
「わしは雪景色をただじっと見るだけでなくて、雪の上を転がって生活を楽しむことができるからだよ」
と、答えた。
「ふん、それのどこが、ぼくよりも次元が上ですか。ぼくだって、雪の上を転がることぐらいできますよ」
ぼくは憤然としてそう答えた。
それからまもなく、ぼくは雪が積もっている草の斜面の上にのぼっていって、老いらくさんと同じように、体を丸くして、ころころと転がった。
(雪の上を転がるのは、滑るよりも、もっと楽しい)
転がりながら、ぼくはそう思った。
三回、転がってもまだ飽きなかったので、もう一度、転がろうと思って、ぼくは斜面の上にのぼっていった。するとそのとき、老いらくさんが下から声をかけた。
「笑い猫、アーヤーはその後、どうしている?」
ぼくは明るい声で答えた。
「うん、うまくいっているよ。アーヤーの売り声のおかげで、言葉が話せない、あのお年寄りは新聞をたくさん売っている」
「そうか、それはよかったな」
老いらくさんも、うれしそうな顔をしていた。
「アーヤーがうまくいっているのも、突き詰めて言えば、おまえと奥さんの教育やしつけが適切だったからだと、わしは思っている」
老いらくさんが、そう言った。
「いえいえ、とんでもないです。アーヤーが努力に努力を重ねて、困難を乗り越えることができたから、うまくいっていると思います」
ぼくはそう答えた。
「そうか。確かにそうかもしれないが、おまえと奥さんが実現できた困難なことを知って、アーヤーは頑張ったのだ。口先だけでは教育やしつけはうまくいくものではないからな」
老いらくさんがそう言った。ぼくはうなずいた。
「ぼくも妻猫も、子どもたちに、そんなにたいしたことはできません。できることといったら、ただひたすら愛することだけです。愛とはどんなものか、ぼくも妻猫もよく分かっていますから」
ぼくはそう答えた。
「どんなものだ」
老いらくさんが聞き返した。
「自分にできるすべてを尽くして、子どもたちを助けることです。そうすることで、子どもたちは自分にしかできない価値ある生き方を見いだして、素晴らしい生活を送ることができます」
ぼくはそう答えた。話がやや分かりにくいかと思ったので、老いらくさんが理解できているかどうか確かめたいと思った。
「老いらくさん、ぼくが言っていることが、分かりますか」
ぼくはそう聞いた。それを聞いて、老いらくさんが
「笑い猫、これまでは、わしがおまえに、おれの言うことが分かるかと聞いていたが、今日は逆に、おまえがわしに聞いてきたな。分からないでもないが、話したいのなら話してみろ。自分にしかできない価値ある生き方とは、どのような生き方だ」
と、言った。
ぼくは話し始めた。
「ぼくたち猫にとっての価値ある生き方は、老いらくさんたちネズミにとっての価値ある生き方とはまったく異なっています。ネズミにとっての価値ある生き方は食べ物を探すこと。ぼくたち猫にとっての価値ある生き方は、誰かの役に立つこと。例えば、うちのサンパオは今、目の見えない人のために力を貸しています。アーヤーも今、言葉が話せないお年寄りのために力を貸しています」
ぼくは、そう答えた。
アーヤーのことを話したとたん、ぼくは老いらくさんを公園の西門に連れて行って、アーヤーがどんなことをしているか見せなければと、ふと思った。
「老いらくさん、これから一緒に公園の西門に行きましょう。そこでアーヤーが新聞を売ります。アーヤーを見れば、アーヤーが今、どんなによいことをして、どんなに社会に貢献しているか、一目で分かると思います。アーヤーは、自分にしかできない価値ある生き方をしているのです」
老いらくさんがうなずいた。
ぼくと老いらくさんは、それからまもなく、公園の西門に行った。西門の前にはたくさんの人たちがいて、そのほとんどがカメラを持っていた。新聞の売り声を出しているアーヤーの姿を写真に撮るためだろう。でも言葉が話せない新聞売りのお年寄りの姿はまだ見えなかった。アーヤーもどこかに隠れているのか姿が見えなかった。
昨日、アーヤーがお年寄りを手伝って、三輪自転車の荷台にいっぱい積んであった新聞を全部売り上げたことを、ぼくから聞いた老いらくさんは、
「今日は、もっと大きいトラックに乗って、荷台いっぱいに積んでくるかもしれないなあ」
と、言った。
「まさか、そんなことはぜったいにあり得ないよ」
ぼくは強く否定した。
「どうしてだ」
老いらくさんが、合点がいかないような顔をしていた。
「だって、あのお年寄りは、貪欲な人ではないから」
ぼくは、そう答えた。
「分かるものか。人は見かけによらないというではないか。善人づらをしていても、お金に目がくらんで、もうけたいと思うのが人の心ではないか。おまえは、あまりにも人をよく考えすぎるよ」
老いらくさんが、そう言った。それを聞いて、ぼくは不愉快な気持ちになった。
「老いらくさんは、人をあまり悪く考えすぎるよ」
ぼくは、そう言葉を返した。
「そうかなあ。わしの考えは間違っているのかなあ……」
老いらくさんが小首をかしげていた。
「あたりまえですよ。老いらくさんの心のなかが、花のようにきれいだったら、人がすることがきれいに見えます。老いらくさんの心のなかが、牛のうんちのように汚かったら、人がすることが汚く見えます」
ぼくがそう言うと、老いらくさんが、
「おれの心は、牛のうんちか」
と、つぶやいてから、くくくっと、歯ぎしりをした。
「じゃあ、どちらが正しいか、かけようじゃないか。多分、きょうは、軽トラの荷台に新聞をいっぱい積んでくる」
老いらくさんが自信ありげに、そう言った。
「いえ、違います。昨日と同じように、三輪自転車の荷台に新聞を積んで、重そうにペダルをこぎながらやってきます」
ぼくはそう答えた。かけてもいいほど、ぼくも自信があった。でも、ぼくは、かけごとはきらいなので、かけないことにした。
それからまもなく、アーヤーが、人に気づかれないように、葉が茂っている木の枝の間から、顔だけこっそり出して
「お父さん、どうしてこんなに人が多いの。なんだかこわい」
と、小さな声で言った。アーヤーがおじけづいているのが分かった。
「新聞やテレビで、おまえのことが話題になって、どんな猫だろうと思って、おまえを見に来たのだよ」
ぼくがそう言うと、アーヤーは、びっくりして色を失っていた。
「よけいなことは考えるな。お年寄りを手伝って、新聞を売ることだけを考えればいいよ」
ぼくはそう言って、アーヤーに落ち着くように言った。
それからまもなく、お年寄りの姿が現れた。やはり、ぼくが思っていたとおりだった。お年寄りは、三輪自転車の荷台に新聞をたくさん積んで、重そうにペダルをこぎながらやってきた。予想が外れた老いらくさんは、くやしそうに地団太を踏んでいた。
「ぼくが思っていたとおりだったでしょう。あのお年寄りは貪欲な人ではないですから」
ぼくは胸を張ってそう答えた。
お年寄りが三輪自転車を停めたとき、アーヤーは木からおりて、お年寄りの近くに走り寄っていった。
「あっ、いたぞ。あの猫だ。人の声が話せるのは」
集まっていた人たちは、興奮ぎみに、声をうわずらせていた。
「おー、この猫か」
人々のなかから、大きな歓声が爆発するように上がった。そしてそのあと、人々がアーヤーの近くにわっと寄ってきた。
アーヤーは昨日とは違って、木の上ではなくて、三輪自転車の荷台に乗って、売り声を上げ始めた。
「人民日報、ローカル新聞、ビジネス新聞」
「人民日報、ローカル新聞、ビジネス新聞」
アーヤーが声を出している間、カメラのフラッシュが、あちこちで「パチ、パチ、パチ」と、たかれて写真を撮る音がした。フラッシュの光がまぶしくてアーヤーは目を開けていられないほどだった。それでもアーヤーは売り声をあげ続けた。
「人民日報、ローカル新聞、ビジネス新聞」
アーヤーの売り声が、たくさんの人を呼び込み、三輪自転車の荷台に積まれていた新聞は、たちまちのうちに全部、売り切れてしまった。
それからまもなく、どことなく腹に一物ありそうな男が、にやにやと笑いながら、アーヤーのほうに近づいてきた。手に煮干しの入った袋を持っていて、アーヤーに与えようとしていた。でもアーヤーは食べようとはしなかった。得体が知れない怪しい人のように見えたからだ。アーヤーは警戒のまなざしを向けながら、その男をじっと見ていた。その男は腰をかがめて、猫なで声で「子猫ちゃん、うちへ来ないか。いっしょに楽しく暮らさないか」と言った。それを聞いて、ぼくはびっくりした。アーヤーには言葉の意味が分からないから、ぼくがすぐにアーヤーに教えた。男がアーヤーを抱き上げようとしたその瞬間、ぼくは男の手に鋭くかみついた。男は悲鳴をあげて、抱き上げるのをやめた。
「この男は悪い男だ。行ったらだめだ。行ったら、おまえはお金もうけの道具にされるだけだ。ぜったい行くな」
ぼくはアーヤーにそう言った。アーヤーはうなずいた。
「さあ、早く、ここを離れよう」
「うん」
ぼくとアーヤーは、急いで西門の前から走り去ろうとした。
ところが、ぼくたちが逃げ出す前に、その男はアーヤーの首根っこをしっかりつかまえていた。それを見て、ぼくはその男に向かっていって、爪で思いっきり手をひっかいてやった。
「あいたたた」
男は悲鳴を上げてから、つかんでいたアーヤーの首根っこを離して、アーヤーの体を地面にたたきつけた。アーヤーは「ぎゃっ」と悲鳴をあげてから、一目散に、西門の前から逃げていった。
「このくそ猫め、ぶっ殺してやる」
男は、そう言って、今度はぼくの首根っこをしっかりつかまえて、いまいましそうな顔をして、ぼくをにらんでいた。それを見て、新聞売りのお年寄りが慌てて立ち上がって、男の手を強く引っ張って制止してくれた。男がぼくの首から手を離したので、ぼくはそのすきを見て、無事に、西門の前から逃げることができた。
ぼくは一目散に遠くまで走っていってから、途中で後ろを振り返った。すると男とお年寄りが、互いに胸ぐらをつかんで、もみあっている姿が見えた。
(自分が悪いくせに、障害者のお年寄りとケンカするとは、あの男は、とんでもないやつだ)
ぼくは、そう思った。
お年寄りのことも気になったが、それよりも今はアーヤーのことが、とても気がかりだった。男から首を強くつかまれて、そのあと地面にたたきつけられていたからだ。
(けがでもしていたら大変だ)
ぼくはそう思って、気が気でなかった。急いでうちに帰って、アーヤーに聞いたら、
「お父さん、大丈夫です。どこもけがはなかった」
と、アーヤーが言ってくれたので、ぼくは、ようやくほっとした。
「おまえは、今日、とてもすばらしかったよ」
ぼくがそう言うと、アーヤーは、うれしそうな顔をした。
「でも、これだけは言っておくが、誰かおまえに食べ物をやろうとする人がいても、これからもぜったいに食べるなよ。あとでひどい目に遭うからな」
ぼくはアーヤーに助言した。するとアーヤーが、ぼくが言ったことを真に受けて小首をかしげていた。
「馬小跳や杜真子が持ってきてくれるものも食べてはいけないの」
「何を言っているのだ。あの二人はいい人だから、別だよ」
ぼくはそう答えた。
ぼくたちの家族が食べるものは、馬小跳や杜真子や馬小跳の友だちが持ってきてくれる。魚味のビスケットは、馬小跳と馬小跳の友だちが持ってきてくれる。ぼくが一番好きなミニトマトは杜真子が持ってきてくれる。どれもみんなおいしいし、安心して食べることができる。
「お父さんが言っているのは、知らない人が持ってきたものは絶対に口をつけるなといことだ。分かったか」
ぼくがそう言うと、アーヤーがうなずいた。
「人にはよい人と悪い人がいる。馬小跳と杜真子と馬小跳の友だちはいい人だ。公園で、おまえに食べ物をやろうとした、あの男は悪い人だ」
アーヤーがうなずいた。
「お父さん、あの人はどうして、わたしを連れていこうとしたの」
アーヤーが聞いた。
「おまえが普通の猫ではないからだ。人の声が話せる猫は、ほかにはいないので、お金もうけのために利用する価値があると考えて、自分の猫にしようとしたのだ」
ぼくは、おもむろに、そう答えた。
「人にはいろいろな人がいて、見せかけの機嫌をとって、意のままにしようとする悪い人がいる。そんな下心を見抜くことが大切だ。お父さんさんが、いつもおまえといっしょにいるわけにはいかないから、悪い人から自分を守ることを自分で学ばなければならないよ」
ぼくはアーヤーにそう言った。アーヤーはうなずいた。

