歌が歌える猫

天気……今日はとても寒い。雪がちらちらと断続的に降っている。降れば降るほど雪は積もり、あたり一面が、すっぽりと銀世界に覆われていく。

朝、起きたとき、雪が降っていた。心が洗われるようなきれいな雪が、空から、ちらちらと降っていた。今年の初雪だ。ぼくは雪を見るのがとても好きだ。しんしんと降り積もる雪を見ていると心のなかがロマンチックな気分に満たされるからだ。
アーヤーも雪が大好きだ。雪が降ると歓声をあげながら、雪の上を走ったり、ひらひらと舞い降りる雪と一緒に楽しそうに踊ったりする。雪を集めて、雪だるまを作ることもアーヤーは大好きだ。
でも今朝はちがっていた。今年の初雪なのに、アーヤーはあまりうれしそうな顔をしていなかった。
(どうしてだろう)
ぼくはそう思って、アーヤーに聞いた。するとアーヤーが嬉々とした声で
「わたしは今、雪遊びよりも、もっと楽しいことを見い出したの」
と言った。
「何だい、それは」
ぼくは、けげんに思って聞き返した。
「何でしょう。お父さん、ちょっと考えて」
アーヤーがそう言ったので、ぼくはしばらく思案をめぐらした。
「あっ、分かった、新聞を売ることだ」
ぼくがそう言うと、アーヤーがうなずいた。
アーヤーは朝ご飯を食べると、すぐにうちを出て、翠湖公園の西門のほうへ走っていった。ぼくもあとからついていった。西門の近くまで来ると、新聞売りのお年寄りはまだ来ていないことが分かった。しばらく待っていたが、それでもまだ来なかった。
「どうしたのかな。雪で来られなくなったのかな」
アーヤーがとても心配していた。
「そんなことはないはずだがなあ。お父さんはあのお年寄りを前から知っているが、一年中一日も休んだことがない。雨の日も雪の日も風が強い日も、ここに来て新聞を売っている」
ぼくはそう答えた。
「だったら、どうしたのかな。風邪でもひいたのかな」
アーヤーの心配はやまなかった。
アーヤーの問いかけに、ぼくはどう答えてよいか分からないでいた。
と、そのとき、あのお年寄りが、三輪自転車のペダルを踏みながら、やってくるのが目に入った。三輪自転車の荷台の上には新聞が山積みされていた。
「ほら、あそこ」
ぼくはアーヤーに、お年寄りを見るように促した。
今まで、あのお年寄りは、もっと少ない部数の新聞を持ってきていたのに、今日はたくさん積んできている。雪が積もった道の上を、滑らないように気をつけながら、重そうに、ゆっくりとペダルを踏みながら、西門のほうへ近づいてきていた。売れる見込みがあると思って、今日はたくさん積んできたようだ。
アーヤーは三輪自転車の荷台の上に積まれている新聞の山を見て、やる気満々になってファイトを燃やしていた。
「よーし、あの新聞を全部売り上げてみせる」
アーヤーは大きな声を出して、気合を入れていた。
お年寄りは西門の前に着くと、三輪自転車から降りて荷台に山積みされた新聞を売り始めた。アーヤーはお年寄りの後ろにある木に登って、見つからないように身を隠した。
それからまもなくアーヤーの売り声が聞こえ始めた。
「人民日報、ローカル新聞、ビジネス新聞」
アーヤーの売り声には抑揚があって、あたかも京劇のなかの一節を歌っているように、音楽性にあふれていた。アーヤーの売り声は翠湖公園の東門の前で新聞を売っているお年寄りの声と、そっくりだった。
「人民日報、ローカル新聞、ビジネス新聞」
「人民日報、ローカル新聞、ビジネス新聞」
アーヤーの売り声が四方八方へ響いていた。
雪が舞い、北風がひゅうひゅう吹きつけるなか、道行く人たちは首にマフラーを巻いたり、頭に防寒帽をかぶって寒そうに歩いていた。新聞の売り声を聞いて、道行く人たちは引き寄せられるように、お年寄りの前にやってきて、次々と新聞を買い求めていった。
新聞を買いに来た人たちは、はじめのうちは、お年寄りが木の上に隠したテープレコーダーから音が鳴っているのだとばかり思っていた。しかしそうではないことに気がついて、(どこから聞こえてくるのだろう)と思って、けげんそうな顔をしながら、あちこち見回していた。
耳が聞こえないお年寄りにはアーヤーの売り声は少しも入ってこなかった。新聞を買いに来た人たちが声の主について、(誰だろう)と思って話している声も入ってこなかった。でも不思議なくらいに、道行く人たちが次々とやってきて、新聞が飛ぶように売れていくので、お年寄りは(変だなあ、どうしてだろう)と思っているようだった。でもお年寄りは深く考える余裕もないほどせわしなく、新聞を売ったり、お金を受け取ったりしていたので、木の上に隠れているアーヤーにはまったく気がつかないでいた。
「人民日報、ローカル新聞、ビジネス新聞」
アーヤーの売り声は絶えることなく響いた。売り声とともに、ますます多くの人たちが新聞を買いにやってきた。三輪自転車の荷台に山積みされていた新聞は、ほどなく売り切れようとしていた。
(一体、どこから聞こえてくるのだろう)
新聞を買いに来た人たちは、不思議でたまらなくなって、再び、あちこち見回し始めた。
「あっ、あそこだ」
ある人が、木の上に隠れているアーヤーに、ようやく気がついた。たくさんの人たちが木の下にわっと集まってきて、木の上にいるアーヤーを見あげていた。
「えっ、あれは猫じゃないか」
「猫が人の声が話すか。まさか、そんなことはありえない……」
「信じられない。あれは一体、何なのだ」
みんな、ぽかんとした顔をして、アーヤーを見ていた。
アーヤーには人が言っていることは分からなかったが、人に見つかったことは分かっていたから、自分を見て、人がけげんそうな顔をしているのは気がついていた。でもアーヤーは今、ひたすらお年寄りを手伝って新聞を売ることだけしか考えていなかったから、人の視線は全然気にならなかった。新聞がもう少し売れ残っているのを見て、アーヤーは
「人民日報、ローカル新聞、ビジネス新聞」
「人民日報、ローカル新聞、ビジネス新聞」
と、売り声をあげた。たちまちのうちに、新聞は全部売り切れた。しかし木の下に集まってくる人の数はますます多くなってきた。みんな、いぶかしそうな顔をしながら、木の上にいるアーヤーをじっと見ていた。お年寄りも、アーヤーに気がついて、アーヤーをじっと見ていた。お年寄りの表情は、ほかの人たちの表情とはちがっていた。感激にあふれた顔をしながら、目にうっすらと涙を浮かべていたからだ。
新聞が売り切れたのを見て、アーヤーはもう声を出さなくなった。でも木の下に集まっている人たちは、アーヤーの声を、もっと聞きたいと思っていた。
「子猫、もう一度、声を出してくれ」
誰かがアーヤーに、けしかけていた。
干しビーフを手に持った人が
「子猫、もう一度、声を出してくれ。これをやるぞ」
と言って、アーヤーの機嫌を取ろうとしていた。
アーヤーはそれでも声を出そうとはしなかった。ぼくにはその理由が分かった。アーヤーには人が言っていることの意味が分からなかったからだ。それに新聞はもう全部売れてしまっていたからだ。
アーヤーは木の下にいる人たちを、恐々として見ていた。木から降りたいと思っていたが、こわくて降りる勇気がなかった。生まれてからこのかた、アーヤーはこんなに多くの人たちが集まって自分を見ているのを見たことがなかったからだ。
アーヤーが声を出さないのを見て、いらいらした人たちのなかには策をめぐらす人がいた。新聞をもう一度、お年寄りの三輪自転車の荷台に戻せば、新聞がまだ売れ残っていると勘ちがいして、アーヤーがまた売り声をあげるのではないかと思ったようだった。楽しいものを見たいと思ったり、好奇心を満足させたいと思ったら、人はどんな策でもめぐらすものだ。ある人が新聞を荷台に戻したのを見て、ほかの人も次々に新聞を荷台に戻した。
それを見て、アーヤーは、けげんに思いながらも、新聞がまだ売れ残っていると思って、また売り声をあげはじめた。
「人民日報、ローカル新聞、ビジネス新聞」
「人民日報、ローカル新聞、ビジネス新聞」
アーヤーの声を聞いて、
「は、は、は、は……」
と、楽しそうな笑い声が、どっとわき上がった。
それを聞いて、アーヤーの恐れはもっと大きくなった。たくさんの人がどうして笑っているのか分からなかったからだ。
こういう情況のなかで、アーヤーはいつになったら木の下に降りてくることができるだろうか。見通しがつかなかったので、ぼくは、心のなかでいらいらしていた。
(ぼくも策をめぐらして、アーヤーが木から降りるのを手伝ってあげなければならない)
ぼくはそう思った。
いい考えがひらめいた。
(ぼくが、おとりになって、人の注意を引きつけて、そのすきにアーヤーを木から降ろさせよう)
ぼくはそう思った。
ぼくが人たちの前に姿を現すと、みんな一瞬、アーヤーから目をそらして、ぼくのほうを見た。ぼくも、その人たちを見た。そして、にっこりと笑みを浮かべた。するとそれを見て、みんなびっくりして目を丸くした。
「な、なんだ、この猫は。笑ったぞ」
「うそだろう、そんなことあるか」
「信じられない。この猫、一体何なのだ」
みんなの注意力を、ぼくはしっかり引きつけることができた。調子に乗ったぼくは、さらに、ぼくが一番得意としている、にたにた笑いを顔いっぱいに浮かべてみせた。
「あれっ、さっきの笑いかたとは、ちがっている」
「どうやって笑えるようになったのだろうか」
「奇妙な猫」
みんな思い思いのことを口走りながら、ぼくのほうをじっと見ていた。木の上にいるアーヤーのことは、みんな、すっかり忘れているように見えた。そのすきに乗じて、アーヤーが、木からこっそり降りてきた。
「よし、いまだ。早く逃げろ」
ぼくはアーヤーに目で合図を送った。アーヤーの姿が見えなくなったのを確認してから、ぼくは笑うのをやめた。笑わないぼくは、普通の猫と少しも変わったところがないので、みんなは、ぼくに対する興味を失った。みんなが後ろを振り返って木の上にいるアーヤーに再び視線を送ろうとした。しかし、もうそこにはアーヤーの姿はなかった。
(あれっ、あの子猫はどこに行ったのだろう)
みんなが、きょろきょろしながら、アーヤーの姿を捜していた。そのすきに乗じて、ぼくは急いで、公園の西門をあとにした。