◆◆◆
「いや~! 面白い話を聞かせてもらったよ。それで蛍流ちゃんの様子がおかしかったのか~!」
けらけらと腹を抱えて笑い転げているのは、七日に一度依頼した荷物を届けにやって来る雲嵐だった。
今日は雲嵐が来る日ということもあって、あらかじめ頼んでいた食糧や海音用の習字道具、追加で頼んでいた海音の着物を持って来てもらった。
そうして、蛍流が自室に戻ったタイミングを見計らうと、海音は雲嵐を縁側に連れ出して、先日習字の練習の際に起こったことを詳らかに話したのだった。
「もう、笑いごとじゃないんですよ。あの日から蛍流さんと会話が無いどころか、目も合わせてくれなくて……」
事故とはいえ、蛍流と口付けを交わしてしまったあの日から、海音はあからさまに蛍流に避けられていた。
勿論、最低限の話と食事くらいは共にするが、その他の会話が一切無い。蛍流も用事が無い時は、奥座敷の隣の自分の部屋に籠もって何かをしているようで、声を掛けづらい雰囲気を醸し出していた。そのため、謝りたくても謝れず、避けられる原因も聞き出せずにいたのだった。
「仕方ないよ。接吻なんて、まだまだ少年な蛍流ちゃんには刺激が強いからね」
「刺激が強いって、どういうことですか?」
「茅さんと暮らしていた時は、こういうこと無かったからね。そもそも異性と暮らすことさえ、蛍流ちゃんにとっては初めてなんだから。これまでは、男三人暮らしだったし」
「三人? 師匠さんと蛍流さんの二人暮らしじゃないんですか?」
海音が首を傾げると、「あれっ? 聞いてないの?」と雲嵐に不思議そうな顔をされる。
「この屋敷はね、元々は先代の青龍に当たる茅さんと、茅さんの息子である茅晶ちゃんの二人暮らしだったんだ。そこに次代の青龍に選ばれた蛍流ちゃんがどこからともなく現れて、三人で暮らし始めたんだよ」
先代青龍である茅の息子である茅晶は、茅と茅の伴侶との間に生まれた子供であり、早くに亡くなった茅の伴侶の代わりに、父親である茅が男手一つで育てた子供とのことであった。
「茅晶ちゃんは蛍流ちゃんより一つ年上でね。二人は本当の兄弟のように、とっても仲が良かったんだよ。今みたいにボクがこの縁側で茅さんと茶飲み話をしていると、二人はすぐそこの庭で遊んでいてね。独楽を取り合ったり、羽子板で遊んだり、蹴鞠をしたりして。大人しい蛍流ちゃんに対して、茅晶ちゃんはいたずらっ子だったから、茅さんも手を焼いていたっけ」
懐かしそうに話す雲嵐に海音も縁側から庭を眺める。今ではひっそりとしているが、先代の青龍が住んでいた時はさぞかし賑やかだったに違いない。兄弟姉妹がいない一人っ子の海音にとっては、羨ましい光景でもある。
「その茅晶さんという方は、今は……?」
「ボクも詳しくは聞いていないんだけど……。茅さんが亡くなって、蛍流ちゃんが青龍を継いだ時に、この山を出て行ったって聞いているよ」
「そうですか……」
信頼を寄せていた先代の青龍がいなくなり、更に兄弟同然の茅晶も出て行って、きっと蛍流は寂しい思いをしたのではないかと考える。
これまで身近にいた存在が、ある日突然いなくなった時の喪失感というものはかなり大きい。やがて時間の経過と共にその隙間は埋まるが、それまでは苦しさと悲しみで喘ぐことになる。喪った人との思い出を追懐する度に涙が零れ、思い出の品を目にしては胸が詰まり、その人に由来する匂いや味を体感すれば塞ぐような気持ちになる。母親を亡くした直後の海音がそうであったように……。
同じ喪失感を味わう者がいれば、お互いに傷を慰め合うことが出来るが、蛍流の場合は違ったのだろう。
師匠に加えて兄まで喪いつつも、蛍流はこの山に一人残って青龍の務めを続けていた。どんなに辛くても、大切な師匠が誇りにしていた青龍の役割を、後継者の蛍流が蔑ろにするはずがない。自分の心に蓋をしてでも、一人で喪失感と孤独の中で戦い続けた。
噂を恐れて誰も寄り付かない山で、国のために身を捧げる蛍流の悲しみを海音は計り知れない。
「いや~! 面白い話を聞かせてもらったよ。それで蛍流ちゃんの様子がおかしかったのか~!」
けらけらと腹を抱えて笑い転げているのは、七日に一度依頼した荷物を届けにやって来る雲嵐だった。
今日は雲嵐が来る日ということもあって、あらかじめ頼んでいた食糧や海音用の習字道具、追加で頼んでいた海音の着物を持って来てもらった。
そうして、蛍流が自室に戻ったタイミングを見計らうと、海音は雲嵐を縁側に連れ出して、先日習字の練習の際に起こったことを詳らかに話したのだった。
「もう、笑いごとじゃないんですよ。あの日から蛍流さんと会話が無いどころか、目も合わせてくれなくて……」
事故とはいえ、蛍流と口付けを交わしてしまったあの日から、海音はあからさまに蛍流に避けられていた。
勿論、最低限の話と食事くらいは共にするが、その他の会話が一切無い。蛍流も用事が無い時は、奥座敷の隣の自分の部屋に籠もって何かをしているようで、声を掛けづらい雰囲気を醸し出していた。そのため、謝りたくても謝れず、避けられる原因も聞き出せずにいたのだった。
「仕方ないよ。接吻なんて、まだまだ少年な蛍流ちゃんには刺激が強いからね」
「刺激が強いって、どういうことですか?」
「茅さんと暮らしていた時は、こういうこと無かったからね。そもそも異性と暮らすことさえ、蛍流ちゃんにとっては初めてなんだから。これまでは、男三人暮らしだったし」
「三人? 師匠さんと蛍流さんの二人暮らしじゃないんですか?」
海音が首を傾げると、「あれっ? 聞いてないの?」と雲嵐に不思議そうな顔をされる。
「この屋敷はね、元々は先代の青龍に当たる茅さんと、茅さんの息子である茅晶ちゃんの二人暮らしだったんだ。そこに次代の青龍に選ばれた蛍流ちゃんがどこからともなく現れて、三人で暮らし始めたんだよ」
先代青龍である茅の息子である茅晶は、茅と茅の伴侶との間に生まれた子供であり、早くに亡くなった茅の伴侶の代わりに、父親である茅が男手一つで育てた子供とのことであった。
「茅晶ちゃんは蛍流ちゃんより一つ年上でね。二人は本当の兄弟のように、とっても仲が良かったんだよ。今みたいにボクがこの縁側で茅さんと茶飲み話をしていると、二人はすぐそこの庭で遊んでいてね。独楽を取り合ったり、羽子板で遊んだり、蹴鞠をしたりして。大人しい蛍流ちゃんに対して、茅晶ちゃんはいたずらっ子だったから、茅さんも手を焼いていたっけ」
懐かしそうに話す雲嵐に海音も縁側から庭を眺める。今ではひっそりとしているが、先代の青龍が住んでいた時はさぞかし賑やかだったに違いない。兄弟姉妹がいない一人っ子の海音にとっては、羨ましい光景でもある。
「その茅晶さんという方は、今は……?」
「ボクも詳しくは聞いていないんだけど……。茅さんが亡くなって、蛍流ちゃんが青龍を継いだ時に、この山を出て行ったって聞いているよ」
「そうですか……」
信頼を寄せていた先代の青龍がいなくなり、更に兄弟同然の茅晶も出て行って、きっと蛍流は寂しい思いをしたのではないかと考える。
これまで身近にいた存在が、ある日突然いなくなった時の喪失感というものはかなり大きい。やがて時間の経過と共にその隙間は埋まるが、それまでは苦しさと悲しみで喘ぐことになる。喪った人との思い出を追懐する度に涙が零れ、思い出の品を目にしては胸が詰まり、その人に由来する匂いや味を体感すれば塞ぐような気持ちになる。母親を亡くした直後の海音がそうであったように……。
同じ喪失感を味わう者がいれば、お互いに傷を慰め合うことが出来るが、蛍流の場合は違ったのだろう。
師匠に加えて兄まで喪いつつも、蛍流はこの山に一人残って青龍の務めを続けていた。どんなに辛くても、大切な師匠が誇りにしていた青龍の役割を、後継者の蛍流が蔑ろにするはずがない。自分の心に蓋をしてでも、一人で喪失感と孤独の中で戦い続けた。
噂を恐れて誰も寄り付かない山で、国のために身を捧げる蛍流の悲しみを海音は計り知れない。