「……物心がついて、全てを理解した時、()は自分にまつわる三つの事を憎みました」

 私は顔を上げると、ヘニング様を見つめる。
 今のヘニング様の話し方はこれまでの朗らかなものとは違って、どこか堅苦しさがあった。
 けれどもその話し方は、前世(ヘンリエッタ)の記憶の中の騎士と寸分も変わらなかった。
 私は固唾を呑むと、ヘニング様の話に耳を傾けたのであった。

「一つは自分と最愛の人を殺した国に代々仕える騎士の家に生まれてしまった事、二つは自分の身体にあの憎き王子の血が流れている事。そして三つは……来世ではこの手に抱き締めると決めた最愛の人を見失った事です」

 そうしてヘニング様は自らの首元に触れる。そこには騎士団の紋章が刻まれたチョーカーがあった。
 兄から聞いたが、騎士団に所属する者の中でも小隊長以上の役職についている騎士は、皆騎士団の紋章が刻まれたチョーカーを身に付けているらしい。

「前世の私は、最愛の人が殺されると知りながらも守る事さえ出来なかった。自ら騎士を率いて王子を討伐に行ったものの、内通者によってこちらの動きは王子に筒抜けでした」

 前世の最期の記憶の中で、死に瀕していたグラナック卿がそんな事を言っていたのを思い出す。
 やはりグラナック卿は反逆を起こしたのではなく、止めに来ただけだったと知って、どこか安心している自分がいた。

「王子は私達が企てた計画を知ると、逆にその計画を利用してソウェル王国を乗っ取りました。緑豊かな田畑は荒野に、美しき城は廃墟に、善良な国民は帝国に隷属しなければならなくなりました」

 ヘニング様が足を止めたので、私も同じ様に足を止める。歩き疲れたのか立ち止まった途端、身体が重くなった。きっと足も張っているに違いない。こんなに歩いたのは今世では始めてだったから。

「自分が反逆の首謀者に企てられたのは良い。だが最愛の人が愛した国を簒奪したのは許せなかった。そしてそんな国に代々仕える騎士の家系に生まれた自分が何より恨めしかったのです。
 祖国を踏み躙り、最愛の人を殺した国に膝を屈したくなかった! 国に仕える騎士の家系に生まれていなければ……シュトローマ公爵家の跡取りじゃなければ、今頃こんな国から出奔していた事でしょう」

 ヘニング様が首元に触れていた手はやがて顔を覆う。きっと今まで誰にも言えなかったのだろう。低い声は悲痛な叫びの様でもあった。

「私は機が熟したら騎士団や一族を扇動して国に謀叛を起こすつもりでした。実際にシュトローマ一族の中には現皇帝の体制に不満を持っている者がいます。そういった者達と共に帝国に謀叛を起こし、最愛の人と過ごしたかつての祖国を取り戻そうとしました。
 けれども私は足を引きました。謀叛の計画が完成した頃、ようやく探し人を見つけたからです」
「誰を見つけたのですか?」

 ヘニング様は顔から手を離すと、私の方を向いてそっと微笑を浮かべたのであった。
 その笑顔がナルキッソスを渡した時のグラナック卿の笑みと重なって、私の胸は歓喜で溢れそうになる。

「それはエレン。貴女です」
「私、ですか?」
「姉姫の結婚式で一目見た時から貴女がかつての最愛の人だと気付きました。姿だけではありません。話し方や考え方、好みでさえも、かつて前世の私が仕えて、一人の女性として恋慕を抱いた最愛の人そのものでした」

 ヘニング様の言葉に目を見開く。やはりヘニング様は最初から気づいていた。
 私がヘンリエッタだと気づいて、父である皇帝に私を妻にと望んでいたのだ。
 今日前世の記憶を思い出した私とは違い、物心ついた頃にはグラナック卿としての前世の記憶があったヘニング様はどれほど苦しんだのだろう。
 苦しんで、恋焦がれて、何の手掛かりも無い中でヘンリエッタ()を探したのだろうか。
 そんな中でようやく私を見つけた時、ヘニング様はどれほど喜んだのだろうか。
 そんなヘニング様の想いに、私は答えられるのだろうか――。

「けれども貴女は前世を何も覚えていなかった。貴女の兄である王子に話を聞いたところ、貴女の降嫁先を皇帝が悩んでいると聞きました」

 これは前世で知り得た話だが、本来なら王女は友好や同盟の証として、他国に嫁がされるのが常である。
 実際に前世の私はクィルズ帝国との友好の証として、王子と結婚するつもりだった。
 今世での姉である姉姫も同盟締結の為に他国に嫁いで行った。

 けれども今世で病弱だった私は、成人直前に身体が回復するまで、王女としての役割を果たせないと思われていた。
 他国に嫁ぐには体力が無く、またいつ寝込むか分からない以上、帝国内から出られず、女としての役割――子種を産む事さえ出来ないと周囲は考えていたらしい。
 何も役に立たない「お荷物姫」だと、裏では言われていた。
 それでもこれから先、王家と繋がりを持てるのなら、お荷物になってでも私を欲しいという貴族は何人かいたらしい。
 そして成人直前に身体が回復すると、更に私を求める者は増えたとの事であった。

「貴女が他の男のものになると考えたく無かった。貴女を求める貴族は多かったのです。そこで私は他のどの貴族よりも有利に働く為に、皇帝に直接願い出ました。
 今後シュトローマ一族は皇帝陛下とその一族に永久(とこしえ)の忠誠を誓い、国に忠義を尽くす代わりに、貴女を妻に迎え入れたいと――。
 例え、それが原因で謀叛の計画が延期になり、シュトローマ一族での私の立場が危うくなったとしても、どうしても貴女を手に入れたかった。今世で願いを果たせなければ、次はいつ巡り会えるか分かりません。二度と会えない可能性さえありました」

 ジュナの言う通り、勝手にシュトローマ一族は忠誠を誓うと皇帝と約束したヘニング様は、今は一族の中で難しい立場にいるのだろう。謀叛を起こして国を奪うつもりが、勝手に国に忠義を尽くすと盟約を結んでしまった。
 もし今後シュトローマ一族が当初の予定通りに騎士団と共に皇帝に反旗を翻した場合、真っ先にヘニング様が一族の敵として立ち塞がる事になる。
 騎士団を二分しての争いは、きっと大量の流血と多数の犠牲者を伴うだろう。帝国内も崩壊寸前まで荒れ果てるに違いない。

「そこまでしてでも、私を求めてくれたのですね。ヘニング様……いえ、グラナック卿……」

 前世の名前を呼ばれたヘニング様は石畳に膝を付くと頭を下げる。片手を胸に当てて、ソウェル王国騎士としての礼をすると、恭しく私の手を取る。

「どうしても私は貴女が欲しかったのです。
 これでようやく貴女を抱けます。これまでの姫と騎士の主従の間柄では出来なかった。我が愛しの姫。私が愛した唯一の人――」

 そうしてヘニング様は手の甲に口付けを落としたのだった。