「そこまでしてでも、ヘニング様が私を求めたのはどうしてなの……。ずっと探していた相手だから……?」
「奥様と出会ってからの旦那様はこれまで見た事が無い程に喜んでおりました。屋敷を奥様が住みやすい様に変えて、庭を整えて、奥様の好みに合う調度品を揃えて、嗜好品の数々も用意して」
「嗜好品?」
「奥様は思いませんでしたか? 旦那様は男であり、騎士でもありながら、常に花の香りがする香水を身に付けておいでです。あの香水も奥様の為に作らせたものです。遥か昔に失われたソウェル王国の技術を元にして……」
「あの香水はソウェル王国の技術で作られたものだったの?」
「はい。旦那様の香水と同じものを現在の帝国の技術では作れません。旦那様によると、帝国側の技術が進化してしまい、その進化の過程で香水の匂いが変わってしまったそうです。旦那様が香水を求めた時にはソウェル王国の技術は既に衰退していました。それを再興させたのが旦那様です」

 言われてみれば、これまでヘニング様と同じ香りの香水を身に付けた人はいなかった様な気がする。同じ花を使った香水は帝国内にも存在しているが、ヘニング様とは少し違った匂いだった覚えがある。

「どうしてヘニング様は他でもなく香水を求めたのですか?」
「……香水が奥様との思い出の品だからと仰せでした」

 言葉を失っていると、部屋の扉が叩かれた。入室を許可すると、ヘニング様付きの従者が銀のトレーを持って入って来たのであった。

「失礼致します。旦那様がこれを奥様にお渡しする様に仰せになりました」

 従者が差し出した銀器のトレーの上には香水が入ったコフレが乗っていた。

「この香水は?」
「奥様に渡せば分かるとの事でしたが……」

 コフレを受け取って蓋を開けると、それはヘニング様が付けていたのと同じ香水――グラナック卿の香水だった。

(懐かしい……。これはやっぱりグラナック卿と同じ香水だわ)

 眠りから覚める様なすっきりとした優しい香り、ソウェル王国の王宮に咲いていた白と黄色の花が思い出される。
 コフレにはラベルが貼られており、そこには「ナルキッソス」と書かれていた。ナルキッソスはグラナック卿にあげた花でもあった。
 意味は――「報われぬ恋」、「私の元に帰って」。
 通りでナルキッソスをグラナック卿に渡したと話した時に、侍女や両親が真っ青な顔をした訳だ。あの頃はまだ幼くて花言葉を知らなかった。後日、花図鑑を読んで真っ赤になったものだった。
「報われぬ恋」なんて、まるで従者であるグラナック卿に恋をしていると言っているみたいで――。

「あの!」

 コフレを握りしめたまま、ジュナと従者に向かって尋ねる。

「この屋敷にナルキッソスは咲いてる……?」