「エレン、昨晩は疲れただろう。ゆっくり休めたかい?」

 その言葉で私の意識が浮上する。気が付くと、白いテーブルクロスが掛けられた丸テーブルに着いていた。
 目の前にはティーセットが並んでおり、どこかの豪奢な部屋の中に居た。

「えっ……は、はい……!」
「良かった。式の後にどこか様子がおかしかったから心配したんだ。人にでも酔ったのかな?」

 向かいの席には黄金色の髪に深い青の瞳を持った青年が座っていた。青年は仕立ての良い服を身に着けており、左手の薬指には真新しい指輪がされていた。
 自分を見下ろせば、同じく左手の薬指には青年のものと同じ指輪が嵌っていた。部屋着用と思しきドレスは仕立ての良いもので、この青年が用意してくれたものなのだろうと考えられた。

「そうかもしれません……。でももう大丈夫です。ご心配をおかけしてすみません……。えっと……」
「ヘニングと呼んでくれるかな。もう婚約者じゃなくて夫婦なんだから。騎士団でもヘニングで通している。家名のシュトローマだと騎士団には大勢いるからね。俺の一族は代々騎士の家系だから」

「騎士」の単語で私の頭の中にグラナック卿の顔が浮かび上がってくる。グラナック卿だけではない。前世での私の記憶――ヘンリエッタ・マリエル・ソウェル・マーシュの記憶が濁流の様に頭の中に流れ込んで来たのであった。 

「うっ……!」
「どうした!? エレン!!」

 一度に多くの情報を入れられて眩暈がした。頭を押さえていると、すぐにヘニング様が立ち上がって身体を支えてくれたのであった。

「まだ具合が悪いのかもしれない。無理はしなくていい。今日のところは休んで」
「いえ、大丈夫ですから……」

 それでも眩暈は収まらず、ヘニング様の身体に身を預ける形になってしまう。
 ヘニング様からはどこか懐かしい匂いがした。

「今夜も(とぎ)は難しそうだね……。俺はこのまま退室するからエレンは休んで」
「申し訳ありません……」

 ヘニング様は私をベッドに運んで侍女を呼ぶと、部屋を出る前に額に口付けを落としてくれる。

「謝らなくていい。結婚した以上、伽はいつだって出来るんだ。エレンの体調が良い時にしよう。今はゆっくりお休み」

 侍女が来ると、ヘニング様は入れ違いに出て行く。私付きの侍女はベッドを整えてくれると、私の邪魔にならないように速やかに部屋を出て行ってしまう。
 侍女も出て行くと、部屋の中は私の他に誰もいなくなったのであった。

「ふぅ……」

 眩暈が落ち着くと息を吐き出す。ベッドの天蓋を見つめながらそっと呟く。

「今の私はエレン・アンヌ・クィルズ・シュトローマ。シュトローマ公爵であるヘニング様に降嫁されたクィルズ帝国の姫……。私とグラナック卿を殺した王子の国に仕える騎士の妻……」

 掌をぐっと握りしめる。先程、頭の中に前世の記憶が流れて来た事で全てを思い出した。前世の私は大国と呼ばれていたソウェル王国の姫だった。
 同盟の為、小国だったクィルズ帝国の王子との結婚式の最中に、王子の命を受けたクィルズ帝国の騎士によって殺害された。私を助けに来たグラナック卿と共に。

 次に目が覚めた時、私は前世の私を殺したクィルズ帝国の末姫であるエレンに生まれ変わっていた。
 私を殺した後、王子はグラナック卿を謀反の首謀者に仕立て上げ、私はグラナック卿に殺害された事にした。またあの反乱に乗じて、私の両親や王族に連なる者を殺害すると、後継者を失って治世が乱れたソウェル王国を統一し、クィルズ帝国の領土とした。
 その後、王子はクィルズ帝国の支配者となり、今に続くクィルズ帝国の系譜を作ったのだった。

 私が生まれた時、統治者となった王子が亡くなって二百年が経っていた。ソウェル王国は既に歴史書の中に記された過去の出来事となっており、ソウェル王国を覚えている者はどこにも存在していないだろう。
 私やグラナック卿の事も――。