「それじゃあ、行って来る。なるべく早く帰るから」

 ニューヨーク市内のニュースを放送しているテレビに聞き耳を立てながらキッチンで皿を洗っていると、楓さんが声を掛けてくる。
 手を拭きながら早足でキッチンから出ると、「慌てなくていいから」と廊下に飾った結婚式の写真を眺めていた楓さんが苦笑したのだった。

「はい……」

 恥ずかしくなりながら二人で玄関に向かうと、ネクタイやスーツの上着を直す楓さんを手伝う。
 一通り直すと、楓さんはカバンを持ち直して玄関を開けたので、私も玄関前まで見送りに出たのだった。

「いってらっしゃいませ。お気をつけて」
「ああ。それから……」

 楓さんは私の腹部に目線を落とすと、柔らかく微笑む。

「……行って来る」

 日に日に目立つ様になってきた腹部に両手を当てると、私も笑みを浮かべたのだった。

 初めてニューヨークに来た日から一年と少しが経った。
 あの後、入国手続きの際に申請した滞在日数の最終日まで、二人でニューヨーク市内をあちこち観光をしてから日本に帰った。
 空港でジェニファーや所長に見送られつつ、「一人で帰すのが心配だ」と繰り返し話す楓さんと一緒に帰国したものの、すぐニューヨークにとんぼ帰りにしなければならないはずの楓さんが、「小春のいないニューヨークに帰りたくないな……」と言ってなかなか帰国しなかった。やがて痺れを切らしたジェニファーが、何度も電話を掛けてきた事で、楓さんは渋々ニューヨークに戻ったのだった。
 以前とは違い、ニューヨークに戻ってからも、楓さんは一日一回、連絡をしてくれる様になった。ほとんどがたわいもない内容だったが、それでも楓さんの存在を身近に感じられたので、寂しさは全く感じられなかった。
 そんな会話を続ける中で、楓さんから「二人でニューヨークに暮らさないか」と提案されたのだった。
 観光ならまだしも、英語がほとんど分からない私が定住していいものか悩んだが、楓さんと事情を知ったジェニファーが、英語を教えてくれるとの事だったので、二人に英会話だけではなく、一から英語の読み書きを教えてもらう事になった。
 その甲斐もあって、初めてニューヨークに来た頃に比べれば、幾分か英語が分かる様になり、だんだん英語に対する苦手意識が無くなってきたのだった。たどたどしいながらも英語が話せる様になって、自信もついてきたので、その後、諸々の手続きを済ませると、私もニューヨークに住む事になったのだった。
 当初は半年ぐらいで楓さんはロング法律事務所を辞めて日本に戻る予定だったので、ここでの暮らしは一年もしないで終わるはずだった。
 それが今でもニューヨークに暮らしているのは、数ヶ月前、ここに住んだ記念にとニューヨークで人気の教会で結婚式を挙げた直後に、私の妊娠が判明したからだった。

 最初はただの軽い風邪だと思い、楓さんに付き添われて病院を受診した。診察をしてくれた医者と楓さんが「Baby」という単語を興奮気味に繰り返していたので、楓さんに通訳を頼んだところ、風邪ではなく妊娠している事を教えてもらったのだった。
 判明した頃は、妊娠した実感をあまり持てなかったが、その後、つわりに苦しむ日々が始まった。日がな一日気持ち悪いので、まともに食事が取れず、動くのも辛かったので、ソファーかベッドで横になっている日が続いていた。
 数日前、ようやくつわりが落ち着いたので、少しずつ身体を動かせるようになり、食欲も戻ってきたところだった。

「あまり無理はするな。何かあったらすぐ呼んでくれ。打ち合わせ中だろうが、裁判中だろうが、駆けつけるからな。いや、やっぱり打ち合わせも裁判も他の奴にお願いして、俺は家に残った方がいいんじゃ……」
「打ち合わせと裁判に集中して下さい……」

 妊娠が判明してからというもの、楓さんの過保護にますます拍車がかかった。
 買い物した荷物を運んでいると「俺が運ぶから休んでいろ」と荷物を取られ、バスルームを掃除しようとすれば「俺がやる」と言われるようになった。つわりが酷くて寝ている時は、家事はほとんどやってくれて、ほぼつきっきりで私の側についていてくれた。
平日もほぼ毎日仕事を休んで家に居る様になったので、とうとう呆れたジェニファーが様子を見に来て、連行する様に楓さんを事務所に連れて行ったのだった。