(散歩にでも行ったのか……?)

 最初の二日間を除いて、小春は俺の言いつけを守って一人では外出しなかった。外出する時は常に俺かジェニファーを伴っていた。それなのに急に一人で外出するとはどういう事なのだろうか。
 嫌な予感がした。まるで子供の頃、両親を亡くした時の様に、寝ている間に自分を取り巻く全てが変わっており、自分だけ置いてけぼりにされたかの様な感覚。取り返しのつかない事が起きてしまうのではないかという恐怖――。
 その時、テーブルの上にメモと小春に渡したはずの指輪と、この部屋のカードキーが置かれている事に気づく。まさか寝ている間に押し入って来た強盗と鉢合わせして誘拐されたのだろうか。
 職業柄、恨みを買いやすいというのもあり、所長に紹介してもらったセキュリティ対策が万全なマンションを借りたが、必ずしも安全とは限らない。中に住む人間が招き入れてしまえば入るのは容易い。配達や知り合いと偽って、オートロックマンションの中に侵入し、鉢合わせした住民を襲ったという話は日本でも珍しくない。
 俺は気持ちを落ち着かせながら、テーブルからメモを取り上げて目を通す。そこには小春の筆跡で綴られていたのだった。

 楓さん
 今までありがとうございました。そして今まですみませんでした。
 私、知らなかったんです。楓さんが私の裁判に責任を感じていた事。私の裁判を引き受けて、そして敗訴したが為に、楓さんがずっと苦しんで悩んでいた事。私と一緒に居られなくなって、日本にまで居づらくなってしまった事。
 傷ついていた事に何も気づいてあげられませんでした。それなのに、こうして押しかけてしまって本当にすみませんでした。
 こんな私は楓さんに相応しくありません。
 相応しくない私とこれからも一緒にいる必要はないので、日本に戻って、離婚をする事にしました。
 本当は離婚したくないです。でもこれ以上、楓さんの邪魔にはなりたくないんです。だって、私は楓さんが好きだから。
 昨日、弁護士として法廷に立つ楓さんの姿を見て確信しました。やっぱり、私は楓さんの事が好きです。
 すれ違うような生活を送っていても、どんな態度を取られても、私は楓さんを嫌いにはなりませんでした。私にとって、楓さんは初めて出会った日の、橋の上から降ろしてくれた時から、誰よりも特別な存在になったんです。楓さんにとっては違うかもしれませんが……。
 でもこれ以上楓さんと一緒に居て、また迷惑を掛けて、傷つけてしまうのが怖いんです。これ以上、楓さんの負担になる前に、私は離婚を決めました。
 これからは一人で生きていきます。もう一人でも大丈夫です。楓さんと出会って過ごした日々があれば、私は生きていけます。楓さんは楓さんに相応しい人を見つけて結婚して下さい。
 離婚しても遠く日本から、楓さんのご活躍を願っています。
 でも許される事ならば、最後にこの言葉を言わせて下さい。
 いつまでも、楓さんの事を愛しています――。