「もしかしたら、誰かに言われたかっただけなんです。私は生きていていいんだって。まだまだ人生は続くから、これからは幸せな日々が待っているんだって。その証拠に、私は今こんなにも幸せです。だって、楓さんと出会えて、ニューヨークで楽しい毎日を過ごせて、結婚指輪を貰えたんです! こんなに楽しい日々は、あの日橋の上から飛び降りていたら、得られなかったものだから……」
「……ああ。生きていていいんだ。小春の人生はまだまだ続くんだ。あんな職場と上司は早く忘れて、幸せな日々を送っていいんだ」

 そうして、楓さんは小箱から指輪を取り出すと、私の左手を取る。

「俺は弁護士としてはまだまだ未熟で、人としても何も取り柄は無いかもしれない。それでも――これからも俺と一緒に居てくれないか? 俺には小春が必要なんだ。小春が与えてくれる春の日差しの様な優しい温もりが、俺に勇気を与えてくれる。小春の言葉が俺に自信をくれるんだ」
「楓さんは出会った時から立派な弁護士ですよ……。カッコよくて、魅力的で、素敵で、私の方が取り柄がなくて、カッコ悪いところばかり見せて、向こう見ずなところもありますし、良いところ何もないですし……」
「何を言っているんだ。小春の前向きなところや直情的なところは君の魅力だろう。俺には無い物を持っているんだ。そういうところを見習わないとな」

 そうして、楓さんは私の左手の薬指に指輪を嵌めてくれた。サイズが分からなかったという割には、銀色に輝く指輪は薬指にぴったり嵌ったのだった。
 それがあまりに嬉しくて、私はつい楓さんに抱きついてしまう。

「嬉しいです……! 何もかも嬉しくて……。この想いを伝えたいのに上手く言葉に出来ないんです。何って言ったらいいんだろう! 指輪も、楓さんの気持ちも嬉しくて、私も伝えたい気持ちがあって……!」
「さっき言っていたな。優しくされると好きになるって。好きになっていいんだ。これからはもう本当の夫婦になるんだ。好きでいていいんだ」

 楓さんは最初こそ抱き着いた私に戸惑っていた様子だったが、やがてぎこちないながらも抱きしめ返してくれた。
 私が顔を上げると、楓さんはどこかはにかむ様な笑みを浮かべていた。

「キス、していいか?」
「……はい」

 もう一度、お互いに顔を見合わせて笑い合うと、どちらともなく顔を近づける。
 すると、私の鼻先に眼鏡のフレームが当たったので、楓さんが苦笑いする。

「やっぱり、眼鏡が邪魔だな」

 私が小さく笑い声を上げると、楓さんは眼鏡を外して再度顔を近づけてくる。
 柔らかな唇が触れ合い、強引でも自棄でもなく、想いの通じ合った男女として初めて口付けを交わす。
 長い様な短い様な時間の中、初めて味わった楓さんの唇は、ほんのりとミントとバニラが混ざった様な甘く爽やかな味がしたのだった。