異国の陽の光を浴びて、眼鏡越しではない、楓さんの瞳が黒々と輝いている様に見える。

「あっ……あ、の……」
「こっちが好みなら、これから二人きりの時は眼鏡を外す様にする。……その方がこうして直に触れ合えるからな」

 楓さんはそっと顔を近づけてくると、お互いの額が触れ合うギリギリで止まる。それでも、顔に息がかかってくすぐったかった。

「あ、あ……」

 言葉にならなくて、涙目になって口をパクパクしていると、顔が離れ、そっと両頬からも離れていく。
 遠ざかっていく温もりが名残り惜しい。
 ――どこかから、寂しいという自分の声が聞こえてきた様な気さえした。

「悪ふざけが過ぎたな。もう少し歩いてから帰ろう。今日は歩き疲れただろう」
「それなら、帰りにマンション近くのスーパーに寄ってもいいですか。買い出しに行かないと冷蔵庫の中が空っぽで……」
「わかった。付き合う。荷物持ちが必要だろう」

 ベンチから立ち上がると、「捨ててくる」と言って、私の手からアイスキャンディーの棒を受け取って近くのゴミ箱に向かう。
 その背中を眺めていると、まるで楓さんと本当の夫婦になった様な錯覚を覚えてしまう。

(忘れちゃいけない。私達は夫婦じゃない。離婚を前提とした夫婦なんだ……)

 三色の縁取りがされたエアメール封筒と、エアメール封筒の中から出てきた離婚届が脳裏を掠める。あの離婚届がある限り、私達は本当の夫婦にはなれない。離婚を前提とした夫婦であり続ける。勘違いしてはいけない。
 そして、その離婚届を送ってきた楓さんの真意を私は知らない。手帳に書かれた「帰国」の意味も――。

(早く聞かないと、きっと離れがたくなる。離婚したくないと思ってしまう)

 このタイミングで送られてきた離婚届と、手帳に書かれていた「帰国」の文字。
 離婚届が欲しいだけなら、誰かに頼んで郵送してもらえばいい。わざわざ楓さんが日本に帰国する必要はない。それなのに、楓さんはわざわざ離婚届を入手する為に日本に帰国している。
 本当に楓さんは離婚届を入手する為だけに帰国したのだろか。仕事か何かで帰国したついでに、離婚届を入手して送っただけなら、私が事務所で聞いた時にそう答えればいいだけ。それなのに、あの時の楓さんは答えたくなさそうな態度だった。
 この二つには何かがあるはず。日本に帰る前に楓さんに聞けるだろうか。

(楓さんは優しいから、私に付き合ってくれるだけ。夫婦らしい事をしたい、恩を返したいと言ったから。ただ、それだけ。期待しちゃいけない――)

 これ以上、楓さんに対する想いが大きくなる前に、私はベンチから立ち上がると、楓さんの後を追いかけたのだった。