若佐先生がニューヨークに旅立ってから、もうすぐ三年が経とうとしていた。
 あれから、若佐先生は一度も日本に帰国する事はなく、顔も合わせていなかった。
 ニューヨークに旅立ったばかりの頃は、私の身を気遣うメッセージを、何度かスマートフォンに送ってくれていた。それも日を追う毎に減っていき、半年が経つ頃には来なくなってしまった。
 唯一、若佐先生の安否を確認出来る方法が、定期的に口座に振り込まれてくる生活費と、生活費を振り込んだというダイレクトメールの様な事務的な文章だけ。そのメールに若佐先生の身を案じる返信をしても、既読はつくが、何も返事はなかった。
 いつ若佐先生が日本に帰国するのかは知らないが、実質的に一人暮らしとなり、手持ち無沙汰になってしまった私は、半年ほど前から自宅近くのスーパーでパートを始めた。
 身体はもうすっかり完治したので、長時間の労働にも耐えられるようになり、近い内にパートを辞めて、どこかの会社に正社員か契約社員として就職しようかと考えていた。
 この日もいつもの様にパートを終え、買い物をしてマンションに戻ると、マンションの入り口で年配の女性とバッタリ遭遇したのだった。

「あら、若佐さんじゃない」

 少し濃い目の化粧をした年配の女性は、私達が借りている部屋の隣室に住む(せき)さんだった。

「ど、どうも……」

 住み始めた頃は、結婚して「若佐小春」になったという自覚がなくて、関さんに呼び止められても自分の事だと気がつくまで時間が掛かる事が何度かあった。
 さすがに結婚して四年が経過したので、「若佐」と呼ばれる事にも慣れたが、今でもたまに戸惑ってしまう時がある。本当に、私は「若佐小春」のままでいいのかどうか――。

「いま帰り?」
「はい。そうなんです」
「私もよ。この時期は窓口が空いているから、定時で上がれるのよね〜」

 関さんは私達が住んでいる区の区役所で働いている。窓口業務を担当する契約社員らしく、私も区役所に行った時に何度か窓口でお世話になっていた。

「区役所の窓口は、時期によっては忙しそうですよね」
「どこの窓口を担当するかにもよるけどね。ところで旦那さんとはどこかに出掛けたの?」
「旦那……いえ」

 私の旦那さんと言えば、若佐先生の事だろう。関さんも若佐先生がニューヨークに居る事を知っているはずなのに、どうしてそんな話をするのだろうか。
 すると、関さんは「あらそうなの?」と、不思議そうに首を傾げただけだった。

「一昨日、区役所で若佐さんの旦那さんを見かけたから、てっきり日本に帰って来ているのかと思っていたんだけど……」
「そ……!?」

 そうなんですか。という言葉が出てきそうになり、慌てて飲み込む。
 若佐先生が日本に帰国しているという話は私も初耳だった。本人を含めて誰からも聞いていなかった。関さんの見間違いじゃなかろうか。
 それとも、区役所に用事があって、私に内密で帰国していたのか。
 そのまま考え込みそうになったが、関さんが期待する様な目を向けていたので、私は小さく頷いたのだった。