陽はとうに暮れ、空には月が昇っている。
薄闇のなかで見る和彰は相変わらず表情に乏しいが、青みがかった黒い瞳には、咲耶を強く慕う想いが窺いしれた。

「……どうして、私は和彰にさわれないの?」

目の前にいる“神獣”の“化身”は、幻ではないはず。
だからこそ犬貴は、あれほどあっさりと姿を消したのだ──自らが咲耶を護る必要はない、と。
咲耶の問いかけは、疑問よりも、愛しい者に触れられない不満によるものが大きかった。

わずかに柳眉をひそめ、和彰は息をつく。ふいに上げられた指先が、咲耶の胸の上を伝った。

「ちょっ……」
「私の器は」

いきなりのことにぎょっとする咲耶に対し、和彰が返した手の平の上に、蒼白い光が浮かぶ。

「この場にはなく、あるのはこの魂だけ。お前が私に触れることが叶わないのは、私に実体がないからだ。そして」

くるりと、手品でも見せるかのようなしぐさで返された手の内からは蒼白い光はなくなっていた。
和彰の長い指が、咲耶の頬へと伸ばされる。

「……こうしてお前に触れることができる私も、本来の私ではないがゆえに、もどかしいのはお前と同じだ」

ぬくもりはあっても、直接的な体温が伝わってはこない。
そよ風になでられたような心地に、いまここにいる和彰が目に映りはしても(・・・・・・・・)不確かな存在なのだということを咲耶は理解した。

「私たちが“神獣の里”に来た理由は……分かってる?」

そもそもの経緯を、和彰はどのくらい知っているのだろう、と。
尋ねたあと、答えを聞くのが恐い質問をしたと後悔したが、和彰は事もなげに言った。

「私とお前の穢れを祓うためだと理解しているが」

違うのかといわんばかりの口調からは、本質的なことは何も解っていないように思われた。

(道幻の前に現れた時の和彰とは、やっぱり違う……)

あの時は、愁月に操られていたのだろう。“神現しの宴”の時と同様に。
だとすれば、愁月が和彰に何らかの暗示をかけたのだと推察されるが、和彰が人の命を奪うことを、果たして愁月は望んだのだろうか?