『自らの矛盾から目を逸らせば、また(むくろ)が増えるだけ』

室内だと思ったそこは、四方を木々が取り囲む見慣れた森のなか。風もないのに揺れる枝に貫かれた、明るい茶と黒の(しま)模様の猫───。

転々(てんてん)……!」

目の前の光景に、咲耶の震えが止まらない。

カタカタと噛み合わない歯の根。
あふれた涙が、頬を伝う。

近寄り、身体を地に下ろしてやりたいのに、次々と突き付けられる惨状に、咲耶のひざがいうことをきかない。

『もはや人間(ひと)ではないのだから、気に病むこともあるまいに』

憐れむ言葉は、誰に向けられたものなのか。

咲耶の瞳から流れる涙に終わりはなく、そして、咲耶の耳にか細く懇願する声が入る。

「……さ、咲耶、様……! 早く……お逃げ、くだ……さ、い……」

こと切れる音が聞こえそうな、弱々しい たぬ(きち)の声。直後、傍らに転がるタヌキ耳の少年の無惨な姿。

「もう、やめてっ……! もう……もうっ、こんなこと……!」

心の許容量を越えた出来事に、ついに咲耶は顔を覆って泣きだした。
気が狂いそうな一歩手前で、暗闇のなかにある光を求めるように、つぶやく。

「………………き」

魂が揺さぶられる衝撃に堪えかねて、人間(ひと)であることを手放したくなるような激情から逃れるために。
咲耶は、唯一無二の存在に焦がれ、心の奥底から叫んだ。

「かずあきっ……!!」

呼びかけて、来てもらえなかった事実も忘れ、咲耶が乞う、ただひとつの真名(なまえ)
深い闇の底に引きずりこまれそうな自分を取り戻すには、彼の名を呼ぶことしかできなかった。

「──ここにいたのだな」

耳に落ちる低い声音。
吹くはずのないあたたかな風が、咲耶の胸のうちに届く。その瞬間、濁った色の世界が、鮮やかな色彩へと激変した──光りさす庭に、咲耶はたたずんでいた。

「咲耶」

耳になじんだ呼びかけと共に、ふわりとつつみこまれる身体。先ほどまでとは違う想いの涙が、咲耶の頬を伝う。

「和彰……遅いよっ……」
「すまない」

応える声が頭上から落ちてきて、咲耶は仰向いて確認する。そこに、冷たい美貌の青年がいることを。

「呼んだのに……どうして来てくれなかったの?」
「…………すまない」