中空に浮かぶ月からの光はか細く、咲耶と、前を歩く和彰の行く手を照らしていた。

結局、虎次郎から聞かされた道筋は、暗闇で方向感覚も鈍った咲耶には、なんの役にも立たなかった。
咲耶と違い、虎次郎の話を聞いていないようだった和彰のほうが、よほど道順を覚えていた。

「この斜面を下れば、すぐそこだ」

咲耶を振り返った和彰の両頬は赤かった。
漫画のような手形こそ残らなかったが、それは、咲耶が和彰の頬を力任せに叩いた跡であった。

(つい、叩いちゃったけど……)

白い水干の背中を見る咲耶の胸に、後悔の念がわきあがる。和彰のあとに続き、並び立つ樹木に手をかけながら斜面を行く。

「……っ……!」

気をつけて下りてはいたものの夜露にぬれた草を踏み、咲耶は足をすべらせてしまう。すかさず、和彰の腕が咲耶を抱き止めた。

「──気をつけろ」

抑揚なく告げた唇からは小さな溜息も漏れた。咲耶を案じてくれているのが、訊かなくとも伝わる。
直後に、すっ……と、咲耶から離れた身体を追いかけるように、咲耶はおずおずと口を開いた。

「あの……和彰? さっきのは別に、和彰自身がダメだってことじゃなくて、場所がダメってことなんだからね?」

伸ばした指先で離れ行く絹衣の端をつかめば、自然と和彰の歩が止まった。

「──……解っている」

低い声音が応じて、そのままの姿勢で言葉がつむがれる。

「お前の側にいたい。お前に触れていたい。……それらはすべて私の一方的な想いだ。お前の望まぬことを強いるつもりはない」

きっぱりと言い切って歩きだす和彰に、咲耶はあわてて言い募る。

「だからっ……一方的とかじゃなくて、TPO──時と場所と場合っていうか、なんていうか……。
ああ! もうっ……なに()ねてるのよーっ」

追いかける咲耶を振り向きもせず、和彰はどんどん先に進む。

月下に照らされた獣道は徐々に拓かれていき、やがて視線の先にかやぶき屋根の建物が見えた。