布団のなかで一度、大きく伸びをして、それから咲耶は思いきって上半身を起こす。
寒々とした部屋の空気に、もう一度あたたかな空間に戻りたい衝動にかられるのをなんとか押し留め、起床した。

(……寒い……眠い……)

呪文のように頭のなかで繰り返し、椿に手伝ってもらいながら身支度を整え、朝食の膳についた。
向かいに座る、澄ました顔の男に声をかける。

「おはよ、ハ──和彰」

顔を洗ってスッキリとしたのは、一時的なものだったらしい。
まだ頭が寝ぼけているせいか、名前を言い直した咲耶を、和彰がちらりと見返してきた。

「私の名に慣れぬなら、以前のように呼べばいい。お前が私をどう呼ぼうと、私は私だ。変わりはない」

言って、食事に戻る和彰の姿に咲耶の頬が引きつった。……詭弁(きべん)だ。
初めて自らの名を知った和彰が、咲耶の口から何度も真名を聞こうとしていたのを、咲耶は忘れたわけではない。

第一、
「私が呼ばなかったら、誰もあなたを、名前で呼ばないでしょう?」

必然、皆にも知れ渡ったはずの“神獣”ハクコの真名(なまえ)だが、咲耶とは違い、“眷属”たちも“花子”である椿も、(おそ)れ多いという理由から口にすることはなかった。

(そういえば、茜さんも闘十郎さんのこと、『コクのじい様』って言ってたし)

そもそも名前が分かったところで、通称呼びが変わるものではないのかもしれない。

(でも、それとこれとは話が別じゃんか!)

「せっかく名前があるんだから、ちゃんと呼べるようにするわ。だから、そんなに()ねないでよ」
「──拗ねる……?」

思わず口をついて出たのは、咲耶自身ですら意表をつき、言い得て妙といった感じとなる。
しかし、肝心の当人は、自分の心の機微が解らなかったようで、きょとんとしていた。

「私がお前に名を呼ばれないから拗ねたというのか?
──よく、分からない……。師のところで、熟考してくる」

ややして難しそうに眉を寄せた和彰に、咲耶は半ばあきれながらも、うなずき返した。

「うん。ちゃんと自分の心を理解したほうが、いいよ。
で、私はハ──和彰のことを、さらっと呼べるようにするからね?」