マンションのエントランスの自動ドアを抜け管理人室を覗くと、管理人はもう退勤したようだ。
これまで樹を待つときは、管理人に一言断ってからロビーのソファに座っていたのだが。
雨天だからかこの日のソファは湿っぽく、今までのどんな日よりも座り心地が悪かった。
奈緒は先ほど購入した本をバッグから取り出し、読み始める。
しかし物語に集中することができない。
頭の中には樹に何と言って自分の意思を伝えようか、自然に思考が巡り出す。
そしてここに来て今更、自分が何も準備していないことを自覚した。
それと同時に、今まで描いてきた自分の理想が、いかに贅沢であったかをも痛感した。
奈緒はこの時、珍しく自身を反省し、見つめ直した。
「お待たせ、奈緒」
樹が帰ってきたのは、奈緒がすっかり自信をなくしてからだ。



