加藤忠幸巡査部長は、前年の平成19年に警視庁機動捜査隊へ異動して来た。

 現在は、係長として部下を指揮しながら、警視庁管内の様々な事件に出動している。

 その彼の元に、横浜の伊勢佐木警察署から問い合わせが入って来たのは、五月晴れの空が、何処までも碧く澄んだ昼下がりだった。

 問い合わせの内容は、

『現在、当署で拘留している者で、高瀬亮司を殺害したと供述している者が居るが、宜しければこちらに来て詳しい話を聴いてみませんか』

 という内容であった。

 たまたま、伊勢佐木署から連絡をくれた者が、十年前の荻窪の殺人事件で捜査の応援に来てくれていた後輩刑事であった為、管轄違いにも関わらず、知らせてくれたのである。

 荻窪署管内で起きた『津田遥』殺害事件は、発生当時、300人以上の捜査員体制で佐多和也を全国指名手配にし、その後、小野美幸、高瀬亮司の二名も何らかの関わりがあるのではと、重要参考人として手配されていた。

 この事件を遡る事5年前、八王子署管内で起きた殺人事件でも佐多和也が関係していて、寸前のところで容疑者を捕り逃がしていた為、警視庁は一大捜査網を張り巡らせたのである。

 しかし、荻窪の事件は幾つかの謎を残したまま未解決事件として、今日では迷宮入りとなり、捜査本部は解散、現在は所轄署で細々と継続捜査が行われていた。

 そこへ、いきなり降って湧いたように高瀬亮司の名前が出て来たのである。

 加藤刑事には、忘れようとしても忘れられない名前であった。

 ある時期、捜査陣の中で、真犯人は高瀬亮司ではないか、という少数意見が出た。その、一部の者に、加藤自身も入っていた。

 きっかけは、当時配属されていた新任刑事三山警部補が、幾つかの疑問点を捜査キャップであった前嶋係長に具申したところから始まった。

 当初、加藤はその意見具申を一笑に付していた。が、三山警部補が指摘していた幾つかの疑問点について裏付け捜査をして行くうちに、彼自身も津田遥殺害の真犯人は高瀬亮司かも知れないと思うようになっていた。