何度も捜査会議が開かれ、その度に三山は、自分が纏めつつある疑問点を案件に乗せてみたい誘惑に駆られていた。
まだ、確たるものが足りない……
それを実証するには、第一発見者への事情聴取を自分が行う……
今は、その担当は別の者が当たっている。拝命して間もない新人刑事がしゃしゃり出ても、鼻で笑われるだけなのは見えている。
もっと、はっきりとした確証を前嶋に出せれば、話は変わって来るかも知れないが。
その確証が欲しい。自分でも納得出来るようなものが。
三山がこの事件に感じている疑問は、現状の表立ったものをひっくり返す、そういう結果になり兼ねない。
現場も、指揮を執っている本部も、犯人は佐多和也であるという本線が揺るぎない。その線に沿って全ての捜査員達が動いている。
確かに、現場の物証や状況証拠は、はっきりと佐多和也を指し示している。その事に異論を挟む余地など無い。関係は間違い無くあるだろう。
だが……
どうしても、だが、という疑問が消えない。
津田遥の死亡推定時刻と、第一発見者が不審な男とぶつかった時刻のずれ。
発見時の遺体から流れ出ていた大量の血。
刃物で刺した直後に、果たしてそれだけの出血があるものだろうか。
第一発見者が最初に帰って来た時には、隣に人の気配は無かったのか。
確かに、室内は争った形跡が無い。しかし、人が刺されたのなら、悲鳴の一つも上げるだろうし、倒れ込む物音もするだろう。
アパートの一階の住人からの証言では、一切それらしき気配は感じられなかったとある。
一階の住人は、朝早く仕事に行き、夕方には大概帰って来ているという。事件当日もそうだった。
午後5時半には部屋に居た。
津田遥が、小野美幸の名前を騙り、この部屋へ入居して来たのは、8月4日。セピアコーポに住む者達は、津田遥の入居当初から、男の出入りを目撃している。第一発見者の林文雄も、そう答えている。そして、事件当日部屋を飛び出して来た不審な男と同一人物だとも言った。だが、佐多和也が東京に来たのは8月11日以降なのだ。



