ベンチから始まる怪談譚

「もうどれくらい前だろう……」

 そう呟くと、雫はゆっくりと自分の話を始めた。

 「あの頃、私は高校生だった。

 毎日、友達とくだらないことで笑い合って、勉強は二の次。

 ちゃんと恋もしてた。

 好きな先輩がいてね。

 少し話せただけで嬉しくて、一日中浮かれていられるような、どこにでもいる普通の女子高生だった。

 そんな毎日の中で、少しずつ異変に気づき始めたの。

 視界の端に、ちらちらと誰かが映るようになった。

 最初は気のせいだと思ってた。

 でも、そのうち机の中に手紙が入るようになったんだ。

『昨日は友達と話しすぎだよ。帰るのが遅くなると危ないから』

『髪型変えたんだね。とても似合ってるよ』

 そんな手紙が何枚も。

 友達と『誰かのイタズラじゃない?』なんて笑っていたんだけど……。

 そのうち、家のポストにも入れられるようになって。

 花まで届くようになった。

 家族にも心配されてたんだけど、『大丈夫』って答えてたんだ。

 迷惑をかけちゃうかなって。

 それにさ、なんだか自意識過剰みたいじゃない?

 『私のことを誰かが見てる』なんて言っても、きっと笑われると思ってた。

 でもね、良いこともあったんだよ。

 噂を聞いた先輩が、『俺が送るよ』って声をかけてくれてね。

 その時は、本当に飛び上がりたいくらい嬉しかった。

 そして、クリスマス。

 先輩が、小さな滴の形をしたイヤリングをプレゼントしてくれたの。

『名前が雫だから』

 そう言って笑う先輩が、すごく優しくて。

 それから――。

『好きだ。俺の彼女になって』

 辺りはイルミネーションで彩られていてね。
 街中がキラキラ輝いていて、まるで私たちを祝福してくれているみたいだった。

 それからしばらくは、本当に幸せだったよ。

 もうね、世界中がピンク色に見えるの。

 学校へ行って、友達と笑って。

 放課後は先輩と一緒に帰って。

 毎日が楽しくて仕方なかった。

 もちろん、手紙は相変わらず入ってたよ。

 ……ううん。

 相変わらずどころか、もっとひどくなったかな。

『君にはあの男は似合わない』

『君はそんな女性じゃないだろう』

 そんな手紙が続くようになって。

 ご丁寧に、先輩が女子と笑って話している写真まで送られてきた。

 そんなの、学校なんだから普通に話すに決まってるじゃん。

 学校では着けられなかったから、先輩にもらったイヤリングは、毎日鞄に入れて持ち歩いてた。

 でも、ある日。

 なくなってたの。

 イヤリングが。

 ちゃんと鞄に入れておいたはずなのに。

 学校中を探し回ったよ。

 教室も、廊下も、体育館も。

 でも、どこにもなかった。

 落ち込んで教室へ戻ると、机の中にまた手紙が入ってた。

『あのイヤリングは君には似合わないよ。僕がもっと素敵なものをあげるから待ってて』

 もう、怒りが限界だった。

 教室中に響くくらい大きな声で叫んだの。

『返してよ!』

『私のイヤリング、返してよ!』って。

 私は、歪んだ愛を押し付けられている。

 そう思った。

 でも、誰なのかはわからない。

 私の怒りは、ぶつける相手さえ見つからなかった。

 それから三日くらい経った頃かな。

 また机の中に手紙が入ってたの。

『君に似合うイヤリングが見つかったよ。土曜日にここに来て。待ってる』

 手紙には、小さな地図も入ってた。

 それが、ここ。

 今思えば、私も馬鹿だったよね。

 一人で行っちゃったんだから。

 待っていたのは、同じ高校の制服を着た男子だった。

 名前も知らない。

 ううん、それどころか見たこともない人。

『雫ちゃん』

 そう呼ばれた瞬間、全身に鳥肌が立ったのを今でも覚えてる。

『誰?』

『雫ちゃん、僕がわからないの? ずっと君のことを見ていたのに』

『あなたのことなんて知らない! それより、私のイヤリング返してよ!』

 そう叫ぶと、その人は握っていた手を胸の高さまで持ち上げ、ゆっくりと手のひらを開いた。

 そこには、先輩からもらったイヤリングが乗っていた。

 私は思わず飛びつくように手を伸ばした。

 でも、あっさりとかわされちゃってね。

『こんな安物、君には似合わないよ』

 そう言って、その人はイヤリングを握り直した。

 すっごく馬鹿にされた気がして…。怒りで我を忘れてたんだと思う。

 ドスッ……。

 手に衝撃が走る。

 気がつけば、護身用にと持っていたナイフを、私はその男子に向かって、力いっぱい前に突き出していた。

 私の白いワンピースに、名前も知らないその人の血が飛び散って、赤い滴が水玉模様を描いた。

『なんで……。痛いよ、雫ちゃん』

 目の前には、自分の胸にナイフを突き立てたまま、苦痛に顔を歪ませながら私を見つめる男子が立っていた。

 温かい……。

 そう思ってゆっくりと自分の手を見る。

 真っ赤な血で濡れていた。

『雫ちゃん。僕の想いを、ちゃんと…。ちゃんと受け取って…。一緒に行こうよ』

 そう言うと、その人は力いっぱい私の肩を押した。

 足元から地面が離れた。

 私の視界がぐるりと回る。

 目の前には、どこまでも青い空だけが広がっていた。

 その青の中で、何かがきらりと光る。

 目で追うとね、先輩からもらった滴形のイヤリングが一つ、青空へ吸い込まれるように飛んでいったんだ」

 そう話し終えた雫の姿は、ゆっくりと変わっていった。

 頭は大きく裂け、長い髪が顔に張り付いている。

 赤く染まったワンピースは、黒ずみ、赤黒い色を帯びていた。

 僕は息を飲んだ。

 知っていたはずだった。

 雫が幽霊だということも。

 この場所で何かがあったということも。

 でも――。

 目の前にいる彼女の本当の姿を見るのは、初めてだった。