絵空事の夢

​海は幼い頃から、年の離れた兄のする化粧が大好きだった。
兄の指先や筆先が動くたび、人の肌にぽっと灯るような朱が差したり、あるいは雲が晴れるように透明感が戻ったりする。幼い海にとって、兄は魔法使いそのものだった。
小学生の時、国語の授業で『家族の仕事について』というテーマの作文を書かされたことがある。
海は迷わず兄のことを書いた。原稿用紙の四角いマス目を、大好きな兄への憧れと、誇らしい気持ちだけで埋め尽くした。クラスメイトたちの前で、胸を張って自慢げに発表した日のことを、今でも鮮明に覚えている。
​「お兄ちゃんにお化粧をされたおばあちゃんは、世界で一番幸せそうな顔をしていました。みんな、お兄ちゃんの仕事が終わると『ありがとう』って言っていました」
当時、まだ幼かった海にとって、兄の筆先から生み出される色彩は、大切な人を笑顔にする本物の魔法そのものだった。
親戚の中で、実際に兄の化粧を体験したのは祖母だけ。海がまだ、六歳の時。初秋の風が少し冷たくなり始めた頃のことだ。
しわくちゃの顔に深い笑い皴を刻み、いつも少し寂しそうに、けれど愛おしそうに目を細めて海を可愛がってくれた祖母。
普段は畑仕事ばかりで、お洒落や化粧など一度もしたことがなかった。泥にまみれ、日に焼けた、少し硬くて無骨なあの温かい手が、海は大好きだった。
​そんな祖母が今、しんと静まり返った和室の中で、兄の手によって丁寧な薄化粧を施されていく。
仕事の邪魔をしてはいけないと、海は息をひそめ、正座したまま兄の手元をじっと見つめていた。
​しんと静まり返る部屋。規則正しくカチカチと時を刻む柱時計の音と、衣服が擦れるかすかな音、そして兄がパレットをそっと置く音だけが響いていた。
​(おばあちゃん、いつもより綺麗……)
​目を閉じて身を委ねている祖母の姿は、海の目には、まるでおとぎ話に出てくる、深い眠りについたお姫様のように見えていた。
「お兄ちゃん、すごい!すごいよ!おばあちゃん、とっても綺麗!」
目をキラキラと輝かせ、声を弾ませる海。
​興奮を抑えきれず、目をキラキラと輝かせ、声を弾ませる海。
そして、枕元に置いてあった小さな手鏡を、自慢げに両手で持ち上げる。
​「ねえ、おばあちゃん。鏡で見てみて!」
早く祖母の喜ぶ顔が見たくて、その目を開けて驚いてほしくて、海は無邪気に鏡を差し出した。
鏡の向こうの祖母は、本当に幸せそうに満ち足りた表情を浮かべている。
「……そうだね、海。おばあちゃん、綺麗だね」
すべてをやり終えた安堵感からか、優しく息を吐き出すような声で、兄は海の頭をそっと撫でながら言った。