聖女の力のない令嬢の織った布に、冷徹公爵は恋をした。


「……本当にいらっしゃるのね」


 リディアの隣で、母マリエルが小さく息を吐いた。まるで祈りが叶ったような声だった。


「お母様は公爵閣下とお知り合いなのですか」

「面識はないわ。でも今夜は――」


 母は言葉を切り、リディアの肩に手を置いた。


「あなたのことを、よく見せなさい」


 それだけ言って、母は知人の夫人のもとへ歩いていった。

 リディアは小さく息をついた。

 よく見せろと言われても、見せるものが何もない。
 聖女の力はなく、突出した才もなく、ただ人並みより少し糸を扱うのが上手いだけの娘だ。この豪奢な夜会の中では、リディアのうす桃色のドレスも、丁寧に結い上げた栗色の髪も、どこか地味に映るだろう。


「リディア様」


 侍女のソフィが小声で囁いた。


「公爵様がこちらを向いておいでです」


 リディアは反射的に視線を戻した。

 琥珀色の目が、真っすぐこちらを見ていた。

 逸らすことも、愛想笑いを向けることもなく。距離にして十数歩はあるだろうに、その視線は不思議なほど近く感じられた。広間の喧騒も、シャンデリアの光も、あの目の前では霞むようだった。まるで世界にリディアとあの人しかいないような、奇妙な錯覚。

 心臓が、妙な跳ね方をした。

 逃げるか、と一瞬思った。だが足が動かなかった。視線を外すことさえ、なぜかできなかった。

 やがてアルシェは人の波をかき分けるでもなく、ごく自然にリディアの前まで歩いてきた。周囲がさっと道を開けたからだ。意識してそうしているのではなく、ただ彼が歩けば人が避けた。水が高いところから低いところへ流れるように、自然に、必然的に。

 近くで見ると、さらに背が高かった。リディアが顔を上げなければ目が合わないほど。


「ユーリホキラス家の令嬢」