鏡花水月

​すっかり気分が落ち込んだまま、私はトボトボと放課後の町を歩いていた。
夕暮れ時の街路樹が落とす影は、今の私の陰鬱な心境をそのまま映しているかのようだ。
そんな重苦しい思考を強制終了させる光景に出くわしたのは、駅前の賑やかな商業ビルの前を通り過ぎようとした瞬間だった。
「……は?」
信じられないものを目にして、私の足がピタリと止まる。
​そこにいたのは、フリフリのレースやリボンがあしらわれた、およそ男の世界とは無縁の服を身にまとった二人―――桃李と重治だった。
ビルの前で、何やら店のチラシのようなものを引きつった笑みで配っている。
向こうは買い物客の波に紛れる私には気づいていない。かと言って、関わる気もさらさらなかった。二人との付き合いは長いが、過去の経緯もあって一方的な気まずさもある。
関わりたくはなかったけれど……いや、これ以上面白いネタはない。
同い年の元戦友二人がフリフリの服を着ているというあまりの絵面の凄まじさに、吹き出しそうになるのを必死で堪える。
今度平八と会った時の良いネタができたと思いながら、私はポケットからスマホを取り出し、無音のカメラアプリを起動して素早くシャッターを切った。
​――トン、トン。
​不意に、背後から強めに肩を叩かれた。
「おねーさん、そのスマホちょーと見せてくんない?」
「すまないが写真はNGだ。今すぐ消してもらおう」
​いつの間に背後にまわり込まれていたのか、完全に不覚をとった。
私は咄嗟にスマホを握りしめ、冷や汗を隠すように営業用の作り笑いを顔に張り付けながら振り返る。
「写真は撮っていませんよ」
「いやいや、さっきスマホを俺達に向けてきたじゃん。撮っているのは間違いねぇ」
「桃李の言う通りだ。そういうことでいい加減……お前」
​前にまわり込んだ重治が、ハッと目を見開く。
私はスマホ画面を消してポケットに突っ込もうとしたが、横から割り込んだ手がスマホを奪っていく。奪ったのは桃李だった。
「はいぼっしゅー。……え?うそ、紫乃?」
相変わらず気だるげだなと思いながら顔を上げると、桃李と目が合った。平八と重治もそうだが、最後に別れた時と……いや、何も言うまい。
​「……で? 紫乃。この画面のロック、今すぐ解除してくれる?」
​笑顔のまま獲物を脅すような桃李の視線と、羞恥に震えながら「頼むから消してくれ」と目で訴えかけてくる重治。
私はたまらず、二人を指差して声を潜めた。
​「な、なんでそんな格好してるの……!?」
​すると重治は、この世の終わりかというほど深い、怨念の籠もった溜息を吐き出した。
​「桃李が財布を忘れたことに気づかないまま店で無銭飲食し、従業員として働いて返金することになって……たまたま通りかかった俺まで巻き添えになった。……それだけだ」
​「ちょっと重治、言い方!悪気はなかったって言ってるじゃん!」
​数年ぶりの奇跡的な再会の理由がまさか、財布を忘れたドジと、運の悪い巻き添えのペナルティ労働だなんて。私はこみ上げてくる爆笑を必死に堪えながら、この場にいない平八に心の中で語りかけた。
​(平八。あんたのテロリストも大問題だけど……こっちの二人は別の意味で大問題だよ)
​私は降参のポーズを取りつつも、どうやってこの「最高のお土産写真」を奪い返そうかと、かつて戦場で培った思考をフル回転させ始める。
​「ねえ、本当に消さなきゃダメ? 再会の記念品だよ?」
​私はわざとらしく声音をトーンダウンさせ、悲しげな被害者を演じてみせた。
​「記念品にしては悪意が詰まりすぎでしょーが。ほら、早くパスワード。3、2……」
「無理」
桃李のカウントダウンがゼロになる直前、私は前への推進力を一気に爆発させた。油断していた桃李の指先から、スマホをひったくるように無理やり取り返し、そのまま路地に向けて勢いよく走り出す。
「あ、てめぇ!」
「じゃーねー、二人とも。またご飯でも食べようね!」
背後から桃李の鋭い怒声と、重治の「待て、紫乃!」という焦りきった声が響く。
いくら平和な日常に馴染み、気配の消し方が鈍ったとはいえ、修羅場をくぐり抜けてきた脚力は伊達じゃない。私は人混みを縫うようにして、自宅に駆け込んだ。

バタン、と玄関のドアを閉め、鍵を二重にしっかりとかける。
「はぁー……っ、びっくりした……!」
背中をドアに預けたまま、私はその場にへたり込んだ。
心臓がバクバクと鐘のように鳴り響いている。いくら元戦友とはいえ、あの二人の身体能力を甘く見てはいけない。現役時代、隠密行動と白兵戦で何度も修羅場をくぐってきたコンビだ。
もし途中で信号に引っかかっていれば、今頃は路地裏で組み伏せられてスマホを初期化されていたに違いない。
こういう時の自分の運の良さに感謝しよう。
​今すぐにでも平八に送り付けて爆笑を共有したかったが、先日あのとんでもない再会を果たしたばかりで、まともに連絡先の交換すらしていないことを思い出す。
「まぁ、いいや。まずは保存、保存っと」
​私はスニーカーを脱ぎ散らかしてリビングへと向かい、ソファに飛び込む。
保存してから、一通りの隠蔽工作を終えると、どっと押し寄せてきたアドレナリンが引き、どんどん冷静になってきた。
​私はスマホを放り出し、天井を見上げる。
班のリーダーになったことで、班行動による校外学習のルート作成をしなければいけないことを思い出して頭を抱える。
ミカちゃん以外の子達とも、たくさん話そう。
そして……いつか、胸を張って「もう私達、友達だよね」って名乗れるようになりたい。
私は心の奥底でそう決意した。