いい飼い主を探す犬

天気……冬の明け方は空気が凛としていて肌に冷たく感じられる。でも太陽が昇りはじめるにつれて、寒さも、徐々に和らいできて、柔らかく降り注ぐ明るい陽ざしが目に優しく感じられるようになってきた。

ぼくはいつものように朝早く起きて、翠湖公園の周りを散歩していた。すると向こうから老いらくさんがやってきた。
「笑い猫、おはよう。シャオパイはその後どうしているか。俳優の家に住むようになったのか」
老いらくさんが開口一番、ぼくに聞いた。
「ここ数日、会っていないけど、たぶん、あの家で元気に過ごしているのではないかと思っています。ぼくは、あの家は、あまり好きではないけど……」
ぼくはそう答えた。
「どうしてなのだ?」
老いらくさんがけげんそうな顔をしながら聞き返した。
「女優さんのほうはいい人だったけど、男優さんのほうは二重人格的なところがあって怖かったから」
ぼくはそう答えた。ぼくはそのあと老いらくさんに、西貝さんの表の顔と裏の顔について話して聞かせた。すると老いらくさんは
「俳優だから自分の本心を偽って演技することができるから、どちらが本当の顔なのか見分けにくいところがあるのだろうな」
と言った。
「まったく、その通りです。何か事件でも起きなければよいがと思っていますが」
ぼくは不安そうな顔をしながら、そう答えた。
ぼくと老いらくさんは、しばらくいっしょに翠湖公園の中を散歩してから、朝ご飯を食べるために、それぞれのうちへ帰っていった。うちの前まで、ぼくが帰ってきた時、向こうから、フェイナが真っ青な顔をしながら、息をぜいぜい切らして走ってくるのが見えた。
「フェイナ、どうしたのだ。何か、あったのか?」
ぼくは走り寄って、フェイナに聞いた。
「シャオパイが……」
フェイナが声を詰まらせていた。
「シャオパイがどうかしたのか?」
ぼくは間髪を入れずに聞き返した。
「シャオパイが、し、し、死んだ……」
フェイナがそう言って、泣き崩れていた。
「えっ、うそだろう……」
ぼくは、にわかには信じられなかった。
「うそではありません」
フェイナが涙声でそう言った。
「どうしてなのだ。数日前まで、あんなに元気にしていたではないか」
ぼくは聞き返した。
「……」
フェイナは、わんわん泣いているだけで、何も答えなかった。
「シャオパイは今、どこにいるのだ?」
ぼくはフェイナに聞いた。
「わたしのうちにいます」
フェイナがそう答えた。
「おまえのうちで命を落としたのか」
ぼくは、ぽろぽろと涙をこぼしながらフェイナに聞いた。
フェイナは首を横に振った。
「違います。あの俳優のうちで命を落としました。死因は分かりません。黒いビニール袋に入れられてゴミ置き場に捨てられていたのを、昨日の夜わたしが見つけました。びっくりしたわたしは近くのスーパーの前に置いてあるカートを借りてきて、シャオパイを乗せて、うちまで運びました」
フェイナがそう言った。それを聞いて、ぼくは胸が張り裂けそうになるくらいに悲しさがこみあげてきた。
「これから、すぐおまえのうちに行って、シャオパイの姿を見たい」
ぼくはフェイナにそう言った。
「いいですよ。いっしょに行きましょう」
フェイナがそう言った。
それからまもなく、ぼくは朝ご飯も食べないで、フェイナといっしょに、桜木横丁へ出かけていった。フェイナが住んでいる家に着くと、
「シャオパイはどこにいるのだ?」
と、ぼくは聞いた。
「わたしが住んでいる犬小屋の後ろにいます」
フェイナがそう答えた。
家の裏に回り込むと、花壇があって、花壇のすぐ横にフェイナが住んでいる犬小屋があった。犬小屋の後ろに、隠れるようにして、シャオパイが横たわっていた。シャオパイの体はすでに冷たくなっていて、ぴくりとも動かなかった。
(おー、何て悲しいことだろう。まだ若くて、元気でしゃきしゃきしていたシャオパイが、どうして突然、こんなことになってしまったのだ)
ぼくはそう思って、涙がとまらなかった。
「おまえがシャオパイを発見した時のことを話してくれないか」
ぼくは涙を手でぬぐいながらフェイナに聞いた。フェイナはうなずいてから話し始めた。
「昨日、わたしはシャオパイに会いに行きました。ところが門の外から何度声をかけても、シャオパイが、うちの中から出てきませんでした。家の玄関のドアはかたく閉まったままだったし、勝手口のドアも閉まったままでした。夜の八時過ぎに、西貝さんがうちに帰ってきて、それからまもなく、小波さんと口論する声が聞こえてきました。そのあとしばらくしてから、西貝さんが黒いビニール袋を持って、勝手口から出てくるのが見えました。西貝さんはビニール袋をゴミ置き場に捨てると、家の中に入っていきました。ビニール袋の中に犬のにおいを感じたので、袋を開けると、中にシャオパイが入っていて息をしていませんでした」
フェイナがそう答えた。フェイナの話を聞いて、ぼくの心の中に、やるせない悲憤がこみあげてきた。それと同時に、あの家は危なすぎると感じていたにもかかわらず、シャオパイの気持ちを尊重して、あの家にいさせたことを深く後悔していた。もし、ぼくとフェイナがあの時、シャオパイを、強引に連れ出していたら、こんな悲劇は起こらなかったはずだ。そう思うと、シャオパイに対して申し訳なくて、責任を取って、ぼくもこのまま死んでしまいたいほど辛かった。シャオパイとはもっと長くつきあっていたかった。出会いと別れは世の常というが、それにしてもあまりの突然の出来事に、ぼくは放心状態に陥っていた。『青天のへきれき』という言葉があるが、文字通り、晴れた日に頭の上に雷が落ちてきたかのような大きな衝撃を受けていた。でも『覆水盆に返らず』というから、起きてしまったことを後悔しても始まらない。いつまでも悲嘆に暮れてばかりいたら、シャオパイも浮かばれないだろうから、気持ちを切り替えて、これからのことを考えていかなければならない。せめて葬礼の儀をきちんとおこなって、シャオパイを天国に送ってあげることが、かけがえのない友だちであったシャオパイへのせめてもの愛ではないかと、ぼくは思っていた。
「笑い猫、これからどうするの」
フェイナが聞いた。
「シャオパイは翠湖公園が大好きだったから、シャオパイを翠湖公園に連れていって、梅園のなかに眠らせようと思っている」
ぼくはそう答えた。
「それがいいかもしれないわね。でもどうやって翠湖公園まで連れていくの?」
フェイナが聞いた。
「……」
ぼくにはすぐにはよい方法が思い浮かばなかった。
「わたしはカートに乗せてシャオパイを、ここまで運んできたから、その方法はどうかしら?」
フェイナがそう提案した。
「そうだね。それはよい方法かもしれないな」
ぼくはそう答えた。
「ぼくは以前、動けなくなった時、老いらくさんにスケートボードに乗せて、運んでもらったことがある。でも犬は猫よりも体が大きいのでスケートボードで運ぶのは無理だと思う。でもカートだったら犬も運べる」
ぼくはそう言った。フェイナがうなずいた。
「カートは近くの店の前にたくさん並べられているから、夜遅く、店が閉まって、人通りも途絶えたころに、わたしが借りてきます。そのあとシャオパイをカートに乗せて翠湖公園まで運びましょう」
フェイナがそう言った。
「分かった。早いほうがいいから、今夜さっそく実行しよう」
ぼくはフェイナにそう答えた。
「分かりました。では今夜の十一時ごろ、わたしのうちにまた来てくれませんか」
フェイナがそう言った。
「分かった。ではそのころ再びここへくる。それまでぼくは翠湖公園の梅園の中にシャオパイを埋葬するためのお墓を掘っている」
ぼくはフェイナにそう答えた。
「分かりました。ではまたあとで会いましょう」
フェイナがそう言った。
それからまもなく、ぼくはフェイナと別れて翠湖公園に帰っていった。公園まで帰ってくるとすぐに、梅園に行って、どのあたりにお墓を掘るかを考えていた。ロウバイの花はまだ咲いていなかったから、梅園の中は閑散としていた。梅園の中をしばらく歩いていると、向こうから老いらくさんがやってくるのが見えた。老いらくさんは開花前の静かな梅園の中を散策することが好きだから、この時季は梅園の中にいることが多い。
「笑い猫、どうしたのだ。そんな暗い顔をして……。何か、あったのか?」
老いらくさんが聞いた。
「シャオパイが死にました」
ぼくがそう言うと、老いらくさんの顔から血の気が一瞬のうちに引いて
「何だって、……。本当か?」
と言って、茫然自失としたような表情をしていた。ぼくはうなずいた。
「どうしてなのだ。まだ若くて、元気はつらつとしていのに……。一体、何があったのだ?」
「ぼくにも、まだ、はっきりとした理由はよく分かりません」
ぼくはそう答えてから、フェイナから聞いた話を老いらくさんにしてあげた。それを聞いて老いらくさんが、涙をぽろぽろ流しながら
「おー、何といたわしい。あげられるものなら、わしの命をあげたいくらいだ」
と言った。
「シャオパイは今、フェイナのうちにいるから、今夜、カートに乗せて、この翠湖公園に連れてきます。シャオパイはこの翠湖公園がとても好きだったから、シャオパイを梅園の中に眠らせようと思って場所を探しているところです。埋葬するための穴を掘ろうと思っているので、よかったら協力していただけないでしょうか」
ぼくは老いらくさんに、ねんごろにお願いをした。
「分かった。この公園にいる、わしの子孫たちに呼びかけて、穴を掘らせることにしよう」
老いらくさんがそう言った。
「ありがとうございます」
ぼくは老いらくさんの厚意に深く感謝した。ぼくはそのあと、うちへ帰って、ご飯を食べて腹ごしらえをしてから、再び梅園にやってきて、お墓を掘るところに決めた場所の草をむしっていた。するとそれからまもなく老いらくさんが、たくさんの子孫を連れてやってきて、指示を出して穴を掘る作業をおこなわせていた。ネズミたちは、汗水を流しながら、一生懸命、働いていた。日が暮れて、暗くなり始めたころ、立派な穴が掘りあがった。
「よし、これでいいだろう。あとはおまえがシャオパイをカートに乗せて、ここへ連れてくるだけだな。わしも手伝いに行こうか?」
老いらくさんがそう言った。
「いえ、大丈夫です。フェイナが手伝ってくれると言っていましたから」
ぼくは老いらくさんにそう答えた。
「そうか、それなら、わしはこれから、うちへ帰って、しばらく休むことにする。明日また、ここへやってくる。立派な葬礼をおこなってシャオパイを天国に送ってやろう」
老いらくさんがそう言った。
ぼくはうなずいた。それからまもなく老いらくさんは、うちへ帰っていった。
ぼくはそのあと、いったんうちへ帰って、妻猫といっしょに夕ご飯を食べたり、ひと眠りしてから、夜の十時ごろ、うちを出て桜木横丁へ行った。フェイナのうちに着くと、フェイナがもうすでにカートを用意して、ぼくを待っていてくれた。ぼくとフェイナはシャオパイをカートに乗せると、力を合わせていっしょに押しながら、翠湖公園をめざして、黙々と歩き続けた。夜が更けていて、人や車の姿は少なかったので、ぼくたちは比較的スムーズに翠湖公園に着くことができた。梅園の中までやってくると、埋める場所まで運んでからシャオパイをカートから降ろした。無事に運んでくることができたので、ぼくもフェイナもほっとしていた。フェイナはそのあと再びカートを押しながら桜木横丁へ帰っていった。ぼくは、うちへ帰って、ひと眠りした。