いい飼い主を探す犬

天気……朝、目が覚めて外へ出たら、濃い霧がかかっていた。太陽が昇りはじめても、太陽の姿は霧の中にすっぽりと覆われたままで、はっきりとは見えなかった。この町全体が神秘的なベールに包まれたまま、朝の時間が静かに過ぎているように思えた。

昨夜、ぼくは一晩中、シャオパイのことを考えていた。シャオパイが俳優に気に入ってもらって、飼ってもらうことができるようになったのかどうか気になってしかたがなかったからだ。ぼくは朝食をすませると、すぐにうちを出て桜木横丁に出かけていった。途中で、公園の中を散歩している老いらくさんと出会ったので、ぼくは老いらくさんに出かけているわけを話した。ぼくの話を聞いて老いらくさんもいっしょに行きたそうな顔をしていた。でもぼくは同意しなかった。ネズミの姿を見かけたら、どんな目に遭わせられるか分からないと思ったからだ。
「そうか、それは残念だな。でも何か、わしの力を借りたい時は、いつでも相談に乗るから、遠慮なく訪ねてきなさい」
老いらくさんが、そう言った。
「分かりました。その時は必ず訪ねていきます」
ぼくはそう答えた。
ぼくは老いらくさんと別れた後、そそくさとした足取りで公園を出て、桜木横丁へ急いでいた。途中の道路端には新聞売りの人が露店を出していて、朝刊を売っていた。朝刊の一面に、西貝さんと小波さんがハグをしている写真が掲載されていたので、ぼくはびっくりした。昨日、ぼくが見た、あの光景がぼくの心の中によみがえってきた。
桜木横丁の出入り口付近まで来た時、フェイナとシャオパイが、ぼくに気がついて、駆け寄ってきた。
「笑い猫、おはよう。待っていたわ」
フェイナがあいさつをしてくれた。
「さっき、露店の前を通った時に、今日の朝刊に西貝さんと小波さんがハグをしている写真が掲載されていたので、びっくりした」
ぼくは、フェイナとシャオパイにそう言った。するとフェイナが
「べつに驚くようなことではないわ。西貝さんは今をときめく人気スターだから、それくらいのことはされるわよ」
フェイナは顔の表情を少しも変えないで、淡々とそう答えた。
「そうか。西貝さんは今をときめく人気スターなのか」
ぼくはそう答えた。フェイナがうなずいた。
ぼくはそのあとシャオパイに聞いた。
「昨日、ぼくやフェイナと別れたあとのことを話してくれないか。こびるような声を出して『ぼくを飼って』と、うちの中に向かって呼びかけると言っていたが、うまくいったのか」
ぼくがそう聞くと、シャオパイは何とも言えないような顔をしながら
「そのことに関して、笑い猫やフェイナに聞いてもらいたいことや、うちの中で発見した意外なことがあるので、こんなところで立ち話をしたくない」
と言った。
「分かった。では翠湖公園にあるイチョウ林の中で、ゆっくり話そう」
ぼくはシャオパイにそう言った。シャオパイがうなずいた。
ぼくとシャオパイはそれからまもなく桜木横丁をあとにした。フェイナもついてきた。翠湖公園に着くと、すぐにイチョウ林の中に行った。イチョウ林の中はとても静かなところなので、大切な話し合いをする時には、よくそこに行っていた。今は冬の初めなので、木の葉はすっかり散ってしまっていて、イチョウ林の地面には落ち葉が厚く層をなしていて足が沈み込むほどに深く積もっていた。まるで黄色いじゅうたんを敷いたようで、ふかふかして気持ちがよかったし、落ち葉の上を歩く時に出る、きゅっきゅっという音がとても好きだから、ぼくにとってイチョウ林はこの時季ならではのお気に入りの散歩コースにもなっている。でも今は、散策を心から楽しむような気持にはなれないでいた。シャオパイがさっき言った言葉が心にかかっていたからだ。イチョウ林の中ほどにある、あずま屋には今は人が誰もいなかったので、ぼくたちは、その中に入っていって、シャオパイの話を聞くことにした。
フェイナがシャオパイに
「昨日、わたしと笑い猫が帰ったあと、どんなことがあったのか、早く話しなさいよ」
と、せき立てていた。
「そう言われても、何からどう話したらいいのか分からない」
シャオパイが戸惑っていた。
「うちの中で発見した意外なことがあると、おまえは話していたから、ぼくはそのことに、とても興味がある。どんなことなのか、話してくれないか」
ぼくはシャオパイにそう言った。
「分かった。ではそのことについて話すよ」
シャオパイはそう答えてから、昨日の出来事について話し始めた。
「笑い猫とフェイナが帰っていってからまもなく、ぼくは、うちの中に向かって、わんわんと鳴いた。すると小波さんが、ぼくの声に気がついて、うちの中から出てきた。ぼくが、こびたようなポーズを取りながら、しっぽを振ったり、小波さんの手をぺろぺろと、なめたりしていると、小波さんは、ぼくを気に入ってくれて、ぼくの頭をなでてくれた。そのあと、小波さんはぼくを抱えて、うちの中に入れてくれた。ぼくは、これから、このうちで飼われることになるのだろうという気がしたので、飼い主が見つかってよかったと思って、ぼくはほっとしていた。小波さんはそれからずっとうちの中にいた。窓には一日中、厚い灰色のカーテンがかけられたままで、外からの明るい光がほとんど入ってこなかった。日が暮れてからも、家の中の光が、外にあまりもれないように、電球に黒い布のおおいがかけてあった。夜遅く西貝さんが帰ってきた。でも小波さんは二階の自室にいたまま降りてくることはなかった。西貝さんは、電球に黒い布をかけて照度を落とした暗いダイニングルームの中で一人で黙々と、冷めたご飯を食べていた」
シャオパイの話を聞いてフェイナが後ろ足で立ち上がってから手で胸をぽんぽんとたたいて
「おお、何ていうことでしょう」
と、得意のせりふを口にした。
「西貝さんはイケメンで性格もよくて、明るさにあふれている俳優なのに、うちの中ではそんな暗い生活をしていたとは……」
あまりのギャップにフェイナは色を失っていた。
「ぼくが発見した意外なことは、ほかにもまだある」
シャオパイはそう言ってから、次のように言った。
「あのうちは三階建ての家だから、階段が二つあるけど、階段の横にある壁には、きれいな女の人が描かれている写実絵画が何枚もかけてあった。どれも小波さんを描いた絵のように見えたけど、しかとは分からないでいます。小波さんは家の中にいる時もずっと顔に黒いベールをかけていたからです。どうして小波さんは家の中にいる時もベールをかけているのでしょうか」
シャオパイが小首をかしげていた。
「小波さんは家の中で何をしていたか」
ぼくはシャオパイに聞いた。
「階段の上り下りを何度も繰り返しながら、壁に掛けてある写実絵画の前に立ち止まってじっと見つめたり、いとおしそうに絵に触っていた」
シャオパイがそう答えた。
「絵を見ている時、小波さんはおまえの姿に気がついていましたか」
フェイナが聞いていた。
「たぶん気がついていなかったと思う。自分の世界に没頭していたようにしか見えなかったからです。まるで魂を抜かれた夢遊病者のようなうつろな顔をしながら、何度も何度も階段の上り下りを繰り返していました」
シャオパイがそう答えていた。
「どうしてそんなことをしていたのでしょうか。西貝さんはあれほど人気のある俳優だし、性格も明るくて優しい人のように見えるから、小波さんがどうしてそんな、うつうつとした生活をしているのか、わたしには分からない……」
フェイナがそう言って、鉛のように重いため息をついていた。シャオパイの話を聞いて、ぼくもにわかには信じられなかった。昨日の朝、西貝さんがうちを出る時に、玄関の前で小波さんを抱き寄せて熱いハグをしていたし、その場面の写真が、今日の朝刊に掲載されていたから、小波さんの陰鬱な姿を少しも想像できなかったからだ。
「ぼくの言うことが信じられないと思うのなら、今晩、うちに来て、自分の目で確かめてみたらいいよ」
シャオパイがそう言った。
「そうだな。『百聞は一見に如かず』というからな」
ぼくはそう答えた。
「わたしは行きません。夜、暗くなってから、わたしがうちにいないことが分かったら、飼い主さんが、いらいらするから」
フェイナがそう答えた。
「分かった。では、ぼくがひとりで行くことにするよ。ぼくは人の話が分かるから、外からは見えにくい家庭の内情が分かるかもしれない。分かったら、あとで話して聞かせるよ」
ぼくはフェイナにそう言った。
ぼくは、そのあとフェイナやシャオパイと別れて、うちへ帰っていった。フェイナとシャオパイは、翠湖公園を出て、自分たちのうちがある桜木横丁へ帰っていった。
その日の夕方、ぼくは再び桜木横丁へ行った。シャオパイが住むようになった俳優の家の前まで来ると、ぼくは一声鳴いて、来訪を告げた。窓には厚くて灰色のカーテンがかけられていて、中の様子はまったく見えなかった。家の中から物音ひとつ聞こえてこなかったし、家全体が不気味なほどに静まりかえっていた。
しばらくしてから、家の裏側にある勝手口のドアが開いて、中からシャオパイが出てきた。
「笑い猫、待っていたよ。中に入って」
と言って、シャオパイがぼくを家の中に案内してくれた。ぼくが家の中に入ると、居間に小波さんがいて、ぼくが入ってくると、びっくりしたような顔をしていた。ぼくが、笑みを浮かべると
「まあ、この猫は笑うことができるのだ。こんな猫を初めて見たわ」
と言って、しゃがんで、ぼくの頭をそっとなでてくれた。顔には黒いベールをしていたから、口元は見えなかったが、目が笑っていたので、ぼくを気に入ってくれたことが分かった。ぼくはシャオパイに
「この人は動物が好きだから、おまえは、このうちで、しあわせに暮らすことができるよ」
と言った。それを聞いて、シャオパイは、うれしそうにうなずいた。
日が暮れて、部屋の中が暗くなった時、小波さんは電球を一つだけつけた。しかしその電球には黒い布のおおいがかけられていたので、部屋の中は少しも明るくなかった。薄暗い部屋の中で、小波さんは何かにとりつかれたような顔をしながら、一階から二階、二階から三階へ何度も何度も階段を上り下りしながら、壁に掛けられている写実絵画を見つめたり、いとおしそうに絵に触ったりしていた。その絵に描かれているモデルは、小波さんに間違いないとぼくは思った。
時計の針が深夜の十二時を回っても、西貝さんはまだ帰ってこなかった。小波さんは二階にある自分の部屋で寝ないで西貝さんの帰りを待ち続けていた。ぼくもシャオパイも寝ないで西貝さんの帰りを待っていた。