いい飼い主を探す犬

天気……木枯らしが吹いて、公園の中にある落葉樹の下に散り敷いていた枯葉が寂しく舞い上げられて、ふわふわと空中を漂ってから、再び静かに地面に落ちていた。この町は国の南方に位置しているので、冬の初めは、まだそれほど寒くはないし、昼と夜の温度差も、北方に比べたら小さい。雪も今の時季はまだ降らない。

ぼくはここ数日、翠湖公園の入口付近にある眼鏡橋の上で、シャオパイと待ち合わせをしてから、いっしょに桜木横丁に出かけていた。桜木横丁には二年前からプードル犬のフェイナが住んでいた。フェイナはよい飼い主に恵まれてしあわせな生活を送っていたが、一つだけ寂しく思っていることがあった。自分と同じプードル犬が桜木横丁に住んでいないことだった。そのためにフェイナは飼い主がいないプードル犬のシャオパイが桜木横丁で飼い主を見つけて、目と鼻の先に住んでくれることを強く望んでいた。シャオパイには飼い主がいないことを知ってもらうために、フェイナとぼくはシャオパイに付き添いながら、桜木横丁の中を隅から隅まで毎日、歩いて、人目につきやすいようにした。でもシャオパイの飼い主はなかなか見つからないでいた。
桜木横丁は、その名の通り、桜の名所として知られていて、三月の終わりから四月の初めにかけての開花の時季には桜見物の人がたくさんやってきて、活気にあふれて、芋を洗うように、にぎわうところだ。しかし今はまだ開花の前なので、桜木横丁の中は人通りも少なくてひっそりとしていた。
桜木横丁に住んでいる人たちの中には、おしゃれな名前に惹かれて、最近新しくこの横丁にやってきて居を構えた人もいた。フェイナの飼い主も、その中の一人だった。独身の女の人で、お洒落がとても好きで、いつもきれいな服を着て、一人で住んでいた。フェイナにもおめかしをさせて、人目を惹くような姿をさせながら毎日、散歩に連れていっていた。もうすぐ桜が開花するので、フェイナの飼い主は桜の模様が入ったセーターを着ていて、スカートの色も桜色だった。フェイナにも同じ模様のセーターを着せていたし、頭の上の巻き毛の色も桜色に染めていた。
フェイナに会った時、顔はいつも以上に喜びがあふれていて、顔全体がまばゆいほどに輝いていた。
「毎年、開花の時季がやってくると、この横丁にある数十本の桜の木に淡いピンク色をした花が一斉に開いて、横丁全体がわっと華やかになって、花の美しさに身も心も酔いしれてしまうわ」
フェイナがうっとりした顔をしながら、そう言った。桜の開花を待ちわびているフェイナの気持ちが、切々と伝わってきた。開花している時の桜は、えも言われぬほど美しいことは、ぼくも、もちろん知っている。でも、ぼくが桜を見て一番美しいと感じる時季は、満開に咲き誇っている時季ではなくて、時季がやや過ぎて、はらはらと散り始めた時だ。桜吹雪が舞う中、地面に散り敷いた桜の花びらを踏みながら歩いている時の感慨深い気持ちは、ほかの何にも例えようがないほど、心に深く沁みてくる。フェイナにそのことを言うと
「桜吹雪も確かに美しいけど、わたしは桜吹雪を見ると、美しさよりも寂しさのほうを、より強く感じるわ」
と言った。
「そうか、おまえは華やかなことが好きだから、そう感じるのかもしれないな」
ぼくはそう答えた。ぼくはそのあとシャオパイに
「おまえは満開の桜と桜吹雪と、どちらを美しく感じるか」
と聞いた。するとシャオパイはしばらく考えてから
「ぼくは桜吹雪を見たことがないから、答えようがない」
と、困惑した表情をしながら言った。
「そうか。桜吹雪はとても美しいよ。まるで細かい雨が降っているかのように、花びらがぱらぱらと地面に音もなく静かに降ってきて、ピンクのじゅうたんを敷き詰めたようになる」
ぼくはシャオパイに、そう説明した。
「わあ、想像するだけで、心がときめいて、わくわくするよ。今年の春は、ぜひ見てみたい。笑い猫、連れていって」
シャオパイが懇願した。
「いいよ。連れていくよ」
ぼくはシャオパイにそう答えた。フェイナがそれを聞いてシャオパイに
「笑い猫は桜吹雪のほうが美しいと言っているけど、わたしは豪華絢爛に咲き誇っている桜のほうが美しいと思っています。どちらが正しいにせよ、桜木横丁の桜の季節は、この町の一年の中で一番美しい時季です。桜の季節が終わってからも、この桜木横丁はとてもいいところです。桜の若葉が、きらきらと輝いていて、緑色の風が優しく吹きわたっていて、清新な気持ちで毎日を過ごすことができるからです。桜木横丁に住んでいるわたしがそう言うのだから間違いありません。わたしは今、とてもしあわせです。シャオパイ、おまえも、迷わないで、早く、この桜木横丁に住むことを決めなさいよ」
と言っていた。
「そう言われても、ぼくを飼ってくれる人とまだ出会っていないから、ぼくひとりでは決められないよ」
シャオパイがそう答えていた。
「この桜木横丁が気に入ってくれたのなら、これからも足が棒になるほど探しまわったら、そのうちに飼ってくれる人が現れるかもしれないわ。おまえは、わたしと同じようにお洒落なプードル犬だし、見た目がとてもかわいいから、探しまわったら、きっとよい人と出会って、大切に飼ってもらえると思うわ」
フェイナがそう言った。
「そうあったらいいがなあ……」
シャオパイがそう答えた。
「おまえは、どんなうちに住みたいと思っているのか」
ぼくはシャオパイに聞いた。
「優しくて動物好きの人のうちに住みたい」
シャオパイがそう答えた。するとフェイナが
「この桜木横丁に住んでいる人の中には優しくて動物好きの人がたくさんいるから、探し続ければ、そのうちにきっと、いい人と出会うわよ。わたしも精いっぱい手伝うから」
と言った。
「ありがとう」
シャオパイがフェイナにお礼を言っていた。
「この桜木横丁にはどんな人たちが住んでいるのか」
ぼくはフェイナに聞いた。
「お金持ちや有名人がたくさん住んでいるわ。会社の社長や、銀行の頭取や、医者や、テレビによく出ている芸能人や俳優も住んでいます」
フェイナがそう答えた。
「すごいところだなあ。こんなところに住んだら、楽しく過ごせそう」
ぼくは思わず、そう言った。シャオパイも、この桜木横丁が気に入ったような顔をしていた。
ぼくとシャオパイは、フェイナのあとについて、この日も、桜木横丁の中を、あちこち歩きまわっていた。フェイナは、二年間、この桜木横丁に住んでいて、どの家にどんな職業の人が住んでいるかや、ペットを飼っている家はどの家なのかを、よく知っていたから、フェイナの説明に、ぼくもシャオパイも興味深く聞き入りながら、家の前を通っていた。
ある家の前を通りかかった時、テレビ局の車と高級車が路上に止まっているのが見えた。フェイナに聞いたら
「この家には俳優が住んでいます」
と教えてくれた。
「俳優ですか。すごいですね。男優ですか、女優ですか」
ぼくはフェイナに聞いた。
「男優です。テレビのドラマ番組に今、出演していて、多くの人の心を惹きつけている人気俳優です」
フェイナがそう答えた。
「車が家の前に止まっているのは、テレビ局の人が彼を迎えに来ているからではないかと思います」
フェイナがそう付け加えた。
俳優が住んでいる家はどんな家だろうと思って、ぼくは興味を覚えたので、ぼくはしばらく門の前で足を止めて、中の様子をうかがうことにした。ところが中の様子はまったく分からなかった。家の中のすべての窓に厚くて灰色のカーテンがかけられていたからだ。ファンやカメラマンの中にはパパラッチと呼ばれる人たちがいて、家の外から、こっそりと家の中を隠し撮りする人がいるので、それを避けるためではないかと、ぼくは思った。
しばらくしてから家の玄関のドアが開いて、中から三十代の半ばに見える男の人が出てきた。背が高くて、イケメンで、スタイルが抜群によかった。この人が多くの人の心を惹きつけている俳優なのだと思うと、スターを間近に見ている喜びがぼくの心の中に広がってきて、心が自然と浮き立っていた。
男優が出てくるのを待ち構えていたかのように、玄関のドアが開くと同時に門の前に止まっていたテレビ局の車の中から男の人と女の人が降りてきて、玄関の前に急いで近づいていくのが見えた。
「西貝さん、迎えにまいりました。今日はよろしくお願いいたします」
車の中から下りてきた女の人が男優に声をかけていた。女の人のすぐ後にはカメラを持った男の人がいて、カメラを男優に向けていた。
(この人が西貝さんという俳優なのか。見た目にかっこいいだけでなくて、とても親しみやすい人だな)
ぼくは第一印象でそう思った。にっこり笑った時に、口の中から、ちょっとだけのぞく真っ白い歯がさわやかで、ぼくの心を一目でとりこした。西貝さんが多くの人の心を惹きつけている理由の一端を垣間見たような気がした。
西貝さんのすぐ後から、顔に黒いベールをかけた女性が出てきた。体つきは、ほっそりしていて、とても繊細な人のように思えた。西貝さんよりも少し年下のように見えた。
「小波さん、こんにちは。お元気ですか」
テレビ局の女の人が声をかけていた。小波さんと呼ばれた女性はにっこり、うなずいていた。
小波さんが顔にベールをかけて顔を隠していることが、ぼくにはとても奇異に感じられた。イスラム系の女性なら顔にベールをかけていても不思議ではないから
(もしかしたら、小波さんはイスラム系の少数民族かもしれない)
と、思ったりもした。
玄関の前に出てきた小波さんを、西貝さんは振り返って抱き寄せながら、熱くハグをしてから
「いってくるよ」
と言って別れのあいさつをしていた。
「いってらっしゃい」
小波さんはそう答えていた。ハグをしている場面をカメラマンが、フラッシュをたきながら、写真を何枚も撮っていた。それからまもなく西貝さんはテレビ局が用意した高級車に乗って、うちから出ていった。
西貝さんが乗った車の姿が見えなくなったあと、小波さんは家の中に入っていった。テレビ局の車も去っていって、家の前は人通りがほとんど途絶えて静かになった。
ぼくはフェイナに
「小波さんはどうして顔を隠していたのか。漢民族ではないのか」
と聞いた。するとフェイナが顔を横に振った。
「漢民族です。顔を隠していたのはやけどの跡を隠すためです」
フェイナがそう答えた。ぼくはそれを聞いて、びっくりした。
「小波さんのことをもっと知りたいので、おまえが知っていることを、ぼくに教えてくれないか」
ぼくはそう言った。
「分かりました。教えてあげましょう」
フェイナはそう答えてから、話し始めた。
「小波さんは、もともと女優でした。二十八歳の時に、三歳年上の西貝さんと結婚して、それ以来、この家で楽しい日々を過ごしていました。俳優としての知名度やギャラは小波さんのほうが西貝さんよりもずっと上でしたが、西貝さんが心から愛してくれるので、小波さんは満ち足りた生活をしていました。ところが小波さんが三十歳の時に、ドラマのロケの現場で火事の中から脱出するシーンを撮影している時に、火の粉を浴びてやけどを負って、顔にやけどの跡が残ってしまいました。それ以来、小波さんは女優をやめて専業主婦となって、家庭の中で陰になり日向になりながら西貝さんを支えています」
フェイナがそう言った。
「そうだったのか。将来性のある女優だったのに、道半ばで女優の道を断念せざるを得ないようになったときの小波さんの無念さを思うと、ぼくの心の中にやるかたないものがこみあげてくる」
ぼくはフェイナにそう言った。するとフェイナが
「小波さんが顔に大やけどを負ったあとも、西貝さんの小波さんへの愛は少しも変わらずに深く愛していました。ファンの前で自分はフェミニストであることを話したり、小波さんと仲睦まじく写っている写真を週刊誌によく掲載していたので、西貝さんの人気はますます高まっていって、若い女性の中には追っかけファンもたくさんいます」
と言った。
「そうか、西貝さんは、そんな人だったのか。とても優しい俳優のようだな」
ぼくはそう言った。
「ペットは飼っていないの」
シャオパイが聞いた。
「飼っていません」
フェイナがそう答えた。
「ペットを飼うことに興味がないのではないのかな」
ぼくは疑問を呈した。
「そう決めつけてしまうのは早計に過ぎると思うわ」
フェイナがそう言った。
「そうかもしれないけど、西貝さんの愛は小波さんにだけしか向けられていなくて、そのためにペットを飼うことに手が回らないのかもしれないではないか」
ぼくは西貝さんの気持ちをそう推察した。
「西貝さんは確かにそうかもしれないけど、小波さんは一日中家の中にいるわけだから、退屈しのぎにペットを飼いたいと思っているかもしれないわ」
フェイナがそう言った。
「シャオパイ、おまえは、どう思っているのだ。この家に住みたいと思っているのか」
ぼくはシャオパイに聞いた。
「この家がどんな家なのかまだよく分からないから、ぼくには何とも答えようがないよ。しばらくこの家の前にいて、『ぼくを飼って』と、こびながら呼びかけてみることにするよ。縁があったら、飼ってもらえるだろうし、縁がなかったら追い出されるだろうし、その時はまた別の飼い主を探したいと思っている。その時はまた笑い猫やフェイナの力を借りたいと思っている」
シャオパイがそう答えた。
「分かった、それがいいよ」
「何かあったら、いつでも相談に乗るわ」
ぼくとフェイナはそう答えてから、シャオパイと別れて、うちへ帰っていった。