いい飼い主を探す犬

天気……今朝目が覚めて、外を見たら、あたり全体が濃い霧に包まれていた。太陽が顔を出して、高く昇っていくにつれて、霧は少しずつ晴れていったが、それでもお昼近くまで、残っていて、公園の中が遠くまで、ぼうっと、かすんで見えた。

この町は冬になると、濃い霧がかかることが多い。『霧の町』としても知られていて、霧は、この町の冬の初めの風物詩となっている。今朝の霧は、この冬初めて見る霧だった。ぼくと妻猫は玄関の前に立って、霧がもたらした幻想的な光景を時間が経つのも忘れるくらいに、じっと眺めていた。
「お父さん、霧はどうしてできるの」
しばらくしてから妻猫がぼくに聞いた。
「地上の表面近くにある空気の中に含まれているたくさんの水蒸気が凍ってできる」
ぼくはそう答えた。妻猫はまだしっくりいかないような顔をしていた。それを見て、ぼくは身につけている知識をさらに思い出しながら
「凍った水蒸気は水滴となって集まって、ふわふわと浮いて、あたり一面に立ち込めている。こうして霧ができるのだ」
と説明を加えた。すると今度は妻猫がうなずいていた。
「霧ができるためには気温が低いことと、たくさんの水蒸気が空気中に含まれていることが必須なのね」
妻猫がそう答えた。
「そうだよ、そのとおりだよ。気温が低くないと霧はできないから、夏は霧が発生しないのだ」
ぼくはそう言った。妻猫はうなずいていた。
「お父さんは以前、雲ができるためには大気中に水滴や氷晶がたくさんなければならないと話していたけど、霧と雲は、できかたが似ているのですね」
妻猫がそう言った。
「そうだよ。霧は本質的には雲と同じだからね。霧と雲の違いは、下が地表に接しているかどうかだ。接しているのが霧。接していないのが雲」
ぼくは妻猫にそう説明した。
「分かったわ」
妻猫がそう答えた。妻猫がそのあと
「霧と、もやは、どう違うのですか」
と聞いた。
「見通しが一キロ以下の場合は霧。それ以上、見える場合は、もや」
ぼくはそう答えた。妻猫は、それを聞いて、さらに好奇心で目を輝かせながら
「霧とかすみでは、どう違うのですか」
と聞いていた。
「かすみの場合は、距離に関係なく、遠くが、ぼうっと見える現象」
ぼくはそう答えた。すると妻猫は、感心したような顔をしながら
「お父さんの博識さに、わたしは心から敬服するわ。まるでお天気博士みたい」
と言った。それを聞いて、ぼくはまんざらではなかった。
「霧といっても、濃い霧もあれば薄い霧もある。この違いは、どこにあるのか分かるか」
ぼくは妻猫に聞いた。妻猫はしばらく考えてから
「気温の違いではないかしら。気温が低いときは濃い霧。気温が上がってきたら薄い霧」
と言った。それを聞いて、ぼくは
「そうだよ。そのとおりだよ。太陽が顔をのぞかせて、高く昇っていくにつれて、濃い霧がだんだん薄くなっていく」
と答えた。
「そう言えば、今の霧の濃さは、先ほどの霧の濃さとは違っている。先ほどまでの霧は湯気が出ている時のように、真っ白だったけど、今の霧は、煙突から出ている煙の色のように薄くなってきている」
妻猫がそう答えた。妻猫の観察力の鋭さに、ぼくは感心していた。
「もうしばらくたったら、霧の色はもっと薄くなって、白いレースのようなものになって、日光のなかに、とけこんでいって、きらきら輝きながら消えていく」
ぼくは妻猫にそう言った。
お昼近くになって、霧はすっかり晴れて、あとかたもなく消えてしまった。霧に代わって、大気中に、きらきら輝きながら、小さな物質が飛んでいるのが目に入った。妻猫が目を丸くしながら
「あれは何?」
と聞いた。
「あれはダイヤモンドダストと呼ばれるものだ」
ぼくはそう答えた。
「ダイヤモンドダスト?」
妻猫がけげんそうな顔をしていた。
「気温が低い時に、小さな氷の結晶が日光に当たって反射しながら、大気中を飛ぶ現象だ」
ぼくは妻猫に、そう説明した。妻猫がうなずいていた。
お昼過ぎにダイヤモンドダストは消えて、公園の中には、この時季としては珍しいほどに穏やかな陽ざしが降り注いでいて、日向ぼっこやウォーキングをするためにやってきた人たちの姿が、公園のあちこちに散見するようになってきた。
そんな中、シャオパイが公園にやってきた。ダイエットをするためにジョギングにきたのだと、ぼくは思った。
ぼくはシャオパイに
「今日は遅かったではないか。霧が濃くて、朝は来ることができなかったのか」
と聞いた。するとシャオパイが首を横に振った。
「今日はジョギングをするために来たのではありません」
シャオパイがそう言った。
「だったら何をしに来たのか」
ぼくは、けげんに思って聞き返した。
「ラブリーがいなくなりました」
シャオパイがそう答えた。ぼくはそれを聞いて、心の中に不吉な予感が走った。
(もしかしたらまた、どこかに捨てられたのかもしれない)
ぼくはそう思った。
「いつから姿を見なくなったのか」
ぼくは心配そうな顔をしながらシャオパイに聞き返した。
「今朝からです」
シャオパイがそう答えた。
「その時の情況を、ぼくに詳しく話してくれないか」
ぼくは居ても立っても居られなくなって、すぐに聞き返した。シャオパイはうなずいてから話し始めた。
「昨夜は、ぼくは裏庭にある犬小屋の中で、ラブリーと寄り添って寝ました。今朝、目が覚めてからしばらくすると、女の飼い主さんが、庭に出てきて、ぼくとラブリーを家の中に入れて、ドッグフードを食べさせてくれました。ぼくにはたくさん与えてくれたのに、ラブリーには、少ししか与えませんでした。ラブリーは年を取っているので多くは食べないと思ったのかもしれませんが、それにしても、与える量があまりにも少なすぎました。ぼくは気をきかして、ぼくに与えられたドッグフードを少し、ラブリーに分けてやりました。するとそれを見て、女の飼い主さんが、怒って、ぼくをトイレに閉じ込めました。それからまもなく、女の飼い主さんは男の飼い主さんといっしょに外に出て、車に乗り込んでいるのがトイレの窓から見えました。車の中にラブリーが乗っているのが見えたので、どこに連れて行くのだろうと、思いながら見ていました。車は三十分ほどで戻ってきましたが、車の中にラブリーは乗っていませんでした」
シャオパイがそう答えた。それを聞いて、ぼくはやるせない気持ちになって、悲涙がぽろぽろとこぼれてきた。
「そのあと、どうなったのか」
ぼくは涙を手でぬぐいながらシャオパイに聞き返した。
「ぼくはそのあとトイレから出してもらえたので、すぐにうちを飛び出して、フェイナのうちまで走っていって、ラブリーがいなくなったことを話して、いっしょに桜木横丁の中
を手分けして、くまなく探しました。でも結局、見つかりませんでした」
シャオパイがそう言った。
「それで、ぼくのところへ相談にきたのか」
ぼくはそう聞いた。シャオパイがうなずいた。
「笑い猫は知恵があるから、探すための何かよい方法を教えてくれるかもしれないと思って、やってきたの」
シャオパイがそう答えた。
「分かった。ぼくには今すぐには、よい方法は思いつかないから、しばらく考えさせてくれないか。よい方法が見つかったり、いそうな場所の見当がついたら、すぐに知らせに来るから、それまでは、うちで待機していろ。『果報は寝て』というから、あまり心配しすぎないことだ」
ぼくはシャオパイにそう言った。
「分かりました。そうします。ぼくは笑い猫のことを信用しているから、きっといい方法を見つけてくれるものと信じています」
シャオパイはそう言ってから、桜木横丁に帰っていった。シャオパイの姿が見えなくなったあと、ぼくは、あれこれと考えを巡らしていたが、なかなかよい方法が浮かばないで、思案に余っていた。その時、ふっと、老いらくさんのことを思った。老いらくさんは知識と経験が豊富だし、ぼくよりもさらに知恵があるので、相談に行ったらいい方法を授けてくれるかもしれないと思ったからだ。『困ったときの神頼み』という言葉があるが、ぼくにとって、老いらくさんは神さまのような存在であり、ぼくはこれまでに何度も老いらくさんからいい知恵を授けてもらって、危機的な状況を克服できたことがあった。一刻も早くラブリーを探し出して助け出してあげなければ大変なことになる。そう思って、ぼくは今、気がとてもせいていた。
老いらくさんは今の時季は、梅林にいることが多いから、ぼくは梅林に出かけていった。ロウバイの花はまだ咲いていなかったから、梅林の中には人は誰もいなくて閑散としていた。梅林に着くと、ぼくは大きな声で
「老いらくさん、いますかー」
と呼びかけた。すると遠くから、老いらくさんが駆けてくるのが見えた。ぼくも駆け寄っていった。
「笑い猫、どうしたのだ。何か、あったのか」
老いらくさんが心配そうな声で、そう聞いた。ぼくは老いらくさんにラブリーがいなくなったことを話した。すると老いらくさんは重いため息をつきながら
「それは大変なことになったな。早く見つけて助けてやらなければ、その老犬は、誰にも看取られないまま、黄泉(よみ)の世界にいってしまうぞ」
老いらくさんがそう言った。
「見つけるための何かいい方法があるでしょうか」
ぼくは老いらくさんに聞いた。老いらくさんは、しばらく考えを巡らしてから
「わしの子孫たちは、この町のあちこちに住んでいるから、その子孫たちに手分けして探させたら、もしかしたら何か手がかりが得られるかもしれない」
と言った。
「それはいい考えですね。お願いできますか」
ぼくは老いらくさんに聞いた。
「もちろんだよ。おまえの頼みだったら、わしは何でも快く引き受けるよ」
老いらくさんがそう答えた。
「ありがとうございます。心強く思います」
ぼくはそう答えた。
「わしはこれからすぐ、町のあちこちに住んでいる子孫のリーダーたちを訪ねていって、グループごとに別れて、老いて捨てられているマルチーズ犬を探すように言ってくる」
老いらくさんがそう言った。
「ご足労をおかけしますが、どうか、よろしくお願いします」
ぼくは老いらくさんに、そう言った。
「何か情報が得られたら知らせに行くから、うちで待っていろ」
老いらくさんが、そう言った。
「分かりました。でもうちの中には妻猫がいますから、うちに来るのはよくないです」
ぼくはそう答えた。
「妻猫は老いらくさんと面識がないし、老いらくさんがネズミであることが分かったら、猫の本能にかられて、妻猫が老いらくさんに飛びかかっていかないとも限らないからです」
ぼくは老いらくさんに注意を喚起した。
「そうか。分かった。だったら、うちの外で会おう」
老いらくさんが、そう言った。
「それがいいと思います」
ぼくはそう答えた。
「何か有力な手がかりが見つかったら、わしは翠湖公園に戻ってきて、眼鏡橋の上でおまえを待っている」
老いらくさんがそう言った。
「分かりました。ぼくは時々、そこへ行くことにします」
ぼくはそう答えた。老いらくさんがうなずいた。
「ではわしは、これからさっそく、子孫たちのところへ捜査の依頼に行ってくるよ」
老いらくさんがそう言った。
「分かりました。吉報を待っています。お気をつけて行ってください」
ぼくはそう答えた。老いらくさんが、うなずいた。それからまもなく老いらくさんは翠湖公園から出ていって、町の中に消えていった。