夏祭りの三日前、思い出カードを整理していた依茉が、一枚の封筒を見つけた。
差出人の名前はない。表には「灯食堂へ」とだけ書かれている。中には便箋が一枚入っていた。
「中学一年のころ、私はクラスでほとんど話せませんでした。誰かと喧嘩したわけではありません。ただ、話に入るのが遅くて、笑うタイミングもずれて、気づいたら透明な存在になっていました。放課後、灯食堂に寄ると、文乃さんはいつも『おかえり』と言ってくれました。青葉焼きは、私がその日に初めて受け取る返事でした」
依茉は便箋を持つ手に力を入れた。
智は隣で読んだ。
「名前、書いてないな」
「うん。でも、これ、飾りたい」
「本人が望むなら」
「望んでると思う。灯食堂へって書いてあるから」
智は少し考えた。
「全文じゃなくて、本人がわからない形で一部を紹介する。文乃さんにも確認する」
「うん」
依茉は便箋を封筒に戻した。
「智くん、前なら『本人の許可がないから駄目』ってすぐ言ってた?」
「言ってたかも」
「今は?」
「本人の気持ちを考えて、守り方を探す」
依茉は満足そうにうなずいた。
「最強バディっぽい」
「自分で言うと恥ずかしいな」
「でも、そうだよ」
その日の夕方、二人は文乃さんに手紙を見せた。
文乃さんは読み終えると、しばらく目を閉じた。
「あの子だね。名前は言わないよ。今は別の町で頑張ってる」
「飾ってもいいでしょうか」
智が聞く。
「一部なら、きっと喜ぶ。あの子は、自分がいたことを誰かに知ってほしかったんだと思う」
依茉は、手紙の中から一文を選んだ。
「青葉焼きは、私がその日に初めて受け取る返事でした」
その言葉を、英利子がポスターの横に小さく描いた。派手すぎず、けれど見落とさない場所に。
恵利は思い出カードの並びを変えた。最初に明るい話、途中に少し寂しい話、最後にまた温かい話。読む人の心が沈みっぱなしにならないように、流れを作った。
賢多は当日の説明用の短い台本を作った。
「青葉焼きは、青葉町で長く親しまれてきた鉄板料理です。本日は灯食堂の文乃さんに教わった味を、第三中の生徒が安全に気をつけて提供します。焦がし梅が隠し味です」
「隠し味を言ったら隠れてない」
啓信が言う。
「言っても量が少ないから隠れてる」
「なるほど。僕の胃袋では探しにくい」
「胃袋で探すな」
智は当日の作業表を何度も確認した。材料の搬入は朝九時。鉄板の点検は九時半。販売開始は十一時。文乃さんが来るのは十時半。依茉の母親は、遠くの市から午後三時に到着する予定だ。
依茉は母親に電話をした。
最初は明るく話していたが、途中で声が詰まった。
「うん。大丈夫。来てほしい。見てほしいものがある」
電話を切ったあと、依茉は智に言った。
「私、前は寂しいって言ったら、お母さんを困らせると思ってた」
「今は?」
「寂しかったって言う。あと、傘に手紙を隠すのは反則だって言う」
「それは言ったほうがいい」
「でも、ありがとうも言う」
依茉は黄色い傘を開いた。教室の蛍光灯の下で、内側の星が淡く光る。
「この傘、眩しいって言われるのが少し恥ずかしかった。でも今は、いいかなって思う」
「目印になる」
「何の?」
「依茉がいる場所」
依茉は傘の陰に顔を隠した。
「智くん、急にそういうこと言うの、ずるい」
「何か変だったか」
「変じゃないから困る」
教室の外で、啓信が「青春の匂いがする」と言い、賢多に「廊下で盗み聞きするな」と引きずられていった。英利子は「今の場面、ポスターにしたい」と言い、恵利に「許可が必要」と止められていた。
夏祭りは、もうすぐだった。
差出人の名前はない。表には「灯食堂へ」とだけ書かれている。中には便箋が一枚入っていた。
「中学一年のころ、私はクラスでほとんど話せませんでした。誰かと喧嘩したわけではありません。ただ、話に入るのが遅くて、笑うタイミングもずれて、気づいたら透明な存在になっていました。放課後、灯食堂に寄ると、文乃さんはいつも『おかえり』と言ってくれました。青葉焼きは、私がその日に初めて受け取る返事でした」
依茉は便箋を持つ手に力を入れた。
智は隣で読んだ。
「名前、書いてないな」
「うん。でも、これ、飾りたい」
「本人が望むなら」
「望んでると思う。灯食堂へって書いてあるから」
智は少し考えた。
「全文じゃなくて、本人がわからない形で一部を紹介する。文乃さんにも確認する」
「うん」
依茉は便箋を封筒に戻した。
「智くん、前なら『本人の許可がないから駄目』ってすぐ言ってた?」
「言ってたかも」
「今は?」
「本人の気持ちを考えて、守り方を探す」
依茉は満足そうにうなずいた。
「最強バディっぽい」
「自分で言うと恥ずかしいな」
「でも、そうだよ」
その日の夕方、二人は文乃さんに手紙を見せた。
文乃さんは読み終えると、しばらく目を閉じた。
「あの子だね。名前は言わないよ。今は別の町で頑張ってる」
「飾ってもいいでしょうか」
智が聞く。
「一部なら、きっと喜ぶ。あの子は、自分がいたことを誰かに知ってほしかったんだと思う」
依茉は、手紙の中から一文を選んだ。
「青葉焼きは、私がその日に初めて受け取る返事でした」
その言葉を、英利子がポスターの横に小さく描いた。派手すぎず、けれど見落とさない場所に。
恵利は思い出カードの並びを変えた。最初に明るい話、途中に少し寂しい話、最後にまた温かい話。読む人の心が沈みっぱなしにならないように、流れを作った。
賢多は当日の説明用の短い台本を作った。
「青葉焼きは、青葉町で長く親しまれてきた鉄板料理です。本日は灯食堂の文乃さんに教わった味を、第三中の生徒が安全に気をつけて提供します。焦がし梅が隠し味です」
「隠し味を言ったら隠れてない」
啓信が言う。
「言っても量が少ないから隠れてる」
「なるほど。僕の胃袋では探しにくい」
「胃袋で探すな」
智は当日の作業表を何度も確認した。材料の搬入は朝九時。鉄板の点検は九時半。販売開始は十一時。文乃さんが来るのは十時半。依茉の母親は、遠くの市から午後三時に到着する予定だ。
依茉は母親に電話をした。
最初は明るく話していたが、途中で声が詰まった。
「うん。大丈夫。来てほしい。見てほしいものがある」
電話を切ったあと、依茉は智に言った。
「私、前は寂しいって言ったら、お母さんを困らせると思ってた」
「今は?」
「寂しかったって言う。あと、傘に手紙を隠すのは反則だって言う」
「それは言ったほうがいい」
「でも、ありがとうも言う」
依茉は黄色い傘を開いた。教室の蛍光灯の下で、内側の星が淡く光る。
「この傘、眩しいって言われるのが少し恥ずかしかった。でも今は、いいかなって思う」
「目印になる」
「何の?」
「依茉がいる場所」
依茉は傘の陰に顔を隠した。
「智くん、急にそういうこと言うの、ずるい」
「何か変だったか」
「変じゃないから困る」
教室の外で、啓信が「青春の匂いがする」と言い、賢多に「廊下で盗み聞きするな」と引きずられていった。英利子は「今の場面、ポスターにしたい」と言い、恵利に「許可が必要」と止められていた。
夏祭りは、もうすぐだった。


