完売したからといって、すべてが終わるわけではない。
むしろ智にとっては、片付けこそ大事だった。鉄板を冷まし、道具を洗い、会計を確認し、借りたものを返す。祭りの熱が残るなかで最後まで整えることが、次につながる。
「智、顔が片付け委員長」
啓信が言った。
「何だ、その顔」
「楽しいけど、床の汚れが許せない顔」
「正しい」
「認めた」
依茉は思い出カードの板を外していた。祭りの間に新しいカードが二十七枚増えている。
「読んで」
依茉が一枚を智に渡す。
「初めて食べたのに、懐かしい味でした。隣のおばあちゃんが、昔の話をしてくれました」
智は読み上げて、少し笑った。
「知らない人同士が話したんだな」
「うん。青葉焼きが間に入った」
「食べ物の仲裁役」
「おいしいと、みんな少しだけ素直になるのかも」
そこへ英利子が、ポスターを外しながら言った。
「私も今日は素直に言うわ。掲示板の端に貼られた件、もう許す」
「まだ許してなかったのか」
賢多が驚く。
「今日、商店街の真ん中に貼られたから満足した。あと、文乃さんに才能があるってもう一度言われた」
「それが本命か」
英利子は照れ隠しのように看板を抱えた。
「うるさいわね。未練が一つ成仏したのよ」
「次の未練は作るなよ」
「それは無理」
「無理なのか」
恵利は会計を締め、表を智に渡した。
「売上、材料費、残金。間違いはないと思う」
「ありがとう。助かった」
「思い出カードの保管方法も書いた」
「本当に助かる」
恵利は少しだけ口元を緩めた。
「単独作業は任せて」
啓信は空の容器を重ねながら、黒猫に話しかけていた。
「君も食べたかった? 猫に味噌は濃いからね。僕が代わりに」
「代わりに食べるな」
智が遠くから言う。
「聞こえた?」
「お前の考えることはだいたい聞こえる」
黒猫は啓信を無視し、灯食堂の入口に座った。
文乃さんは店の中で、透明な電球を見上げている。
「この店を、すぐ前みたいに開けるのは難しい。でも、月に一度なら、青葉焼きの日を作れるかもしれないねえ」
商店街の会長がうなずいた。
「第三中の生徒に毎回頼るわけにはいかないが、地域の大人で手伝える人を募ろう」
智はすぐに条件を考え始めた。食品衛生、火の管理、人数、時間。
依茉が隣で笑った。
「また表を作る顔になってる」
「必要だろ」
「うん。でも今日は、少し休んでもいいと思う」
「まだ片付けが」
「片付けが終わったら」
「なら、休む」
智がそう言うと、依茉は満足そうにうなずいた。
片付けが終わるころには、夜の商店街に提灯がともっていた。祭りの音は遠ざかり、灯食堂の前だけが柔らかい明かりに包まれている。
依茉は黄色い傘を肩にかけた。
「智くん」
「何」
「私、前は誰かの意見を聞いてるほうが楽だった。自分の気持ちは、言うと形が変わりそうで怖かった」
「今は?」
「形が変わっても、誰かが一緒に持ってくれるなら大丈夫だと思った」
智は作業表の折り目を指でなぞった。
「俺は、正しい形にすれば何とかなると思ってた。でも、気持ちが入らない形は、すぐ壊れる」
「じゃあ」
「依茉が気持ちを見つけて、俺が形にする」
「強いね」
「依茉が言うなら、そうかもな」
二人は顔を見合わせて笑った。
啓信が遠くから叫んだ。
「最強バディ、残った氷をどうしますか!」
賢多が続ける。
「食べるなよ!」
英利子が看板を抱えて言う。
「氷まで食べるの?」
恵利が記録する。
「啓信、氷を食べようとした。理由、無限胃袋」
「記録しないで!」
笑い声が、夜の商店街に転がった。
黒猫は透明な電球の下で丸くなり、目を細めていた。
むしろ智にとっては、片付けこそ大事だった。鉄板を冷まし、道具を洗い、会計を確認し、借りたものを返す。祭りの熱が残るなかで最後まで整えることが、次につながる。
「智、顔が片付け委員長」
啓信が言った。
「何だ、その顔」
「楽しいけど、床の汚れが許せない顔」
「正しい」
「認めた」
依茉は思い出カードの板を外していた。祭りの間に新しいカードが二十七枚増えている。
「読んで」
依茉が一枚を智に渡す。
「初めて食べたのに、懐かしい味でした。隣のおばあちゃんが、昔の話をしてくれました」
智は読み上げて、少し笑った。
「知らない人同士が話したんだな」
「うん。青葉焼きが間に入った」
「食べ物の仲裁役」
「おいしいと、みんな少しだけ素直になるのかも」
そこへ英利子が、ポスターを外しながら言った。
「私も今日は素直に言うわ。掲示板の端に貼られた件、もう許す」
「まだ許してなかったのか」
賢多が驚く。
「今日、商店街の真ん中に貼られたから満足した。あと、文乃さんに才能があるってもう一度言われた」
「それが本命か」
英利子は照れ隠しのように看板を抱えた。
「うるさいわね。未練が一つ成仏したのよ」
「次の未練は作るなよ」
「それは無理」
「無理なのか」
恵利は会計を締め、表を智に渡した。
「売上、材料費、残金。間違いはないと思う」
「ありがとう。助かった」
「思い出カードの保管方法も書いた」
「本当に助かる」
恵利は少しだけ口元を緩めた。
「単独作業は任せて」
啓信は空の容器を重ねながら、黒猫に話しかけていた。
「君も食べたかった? 猫に味噌は濃いからね。僕が代わりに」
「代わりに食べるな」
智が遠くから言う。
「聞こえた?」
「お前の考えることはだいたい聞こえる」
黒猫は啓信を無視し、灯食堂の入口に座った。
文乃さんは店の中で、透明な電球を見上げている。
「この店を、すぐ前みたいに開けるのは難しい。でも、月に一度なら、青葉焼きの日を作れるかもしれないねえ」
商店街の会長がうなずいた。
「第三中の生徒に毎回頼るわけにはいかないが、地域の大人で手伝える人を募ろう」
智はすぐに条件を考え始めた。食品衛生、火の管理、人数、時間。
依茉が隣で笑った。
「また表を作る顔になってる」
「必要だろ」
「うん。でも今日は、少し休んでもいいと思う」
「まだ片付けが」
「片付けが終わったら」
「なら、休む」
智がそう言うと、依茉は満足そうにうなずいた。
片付けが終わるころには、夜の商店街に提灯がともっていた。祭りの音は遠ざかり、灯食堂の前だけが柔らかい明かりに包まれている。
依茉は黄色い傘を肩にかけた。
「智くん」
「何」
「私、前は誰かの意見を聞いてるほうが楽だった。自分の気持ちは、言うと形が変わりそうで怖かった」
「今は?」
「形が変わっても、誰かが一緒に持ってくれるなら大丈夫だと思った」
智は作業表の折り目を指でなぞった。
「俺は、正しい形にすれば何とかなると思ってた。でも、気持ちが入らない形は、すぐ壊れる」
「じゃあ」
「依茉が気持ちを見つけて、俺が形にする」
「強いね」
「依茉が言うなら、そうかもな」
二人は顔を見合わせて笑った。
啓信が遠くから叫んだ。
「最強バディ、残った氷をどうしますか!」
賢多が続ける。
「食べるなよ!」
英利子が看板を抱えて言う。
「氷まで食べるの?」
恵利が記録する。
「啓信、氷を食べようとした。理由、無限胃袋」
「記録しないで!」
笑い声が、夜の商店街に転がった。
黒猫は透明な電球の下で丸くなり、目を細めていた。


